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僕の1日を基に、漱石がエッセイを書いてくれた。

はじめに

今日も一日おつかれさまです。小学生の時から読書が好きな私は、「いつか小説を出版したい!」と密かに夢見たり夢見てなかったり。そんな些細な夢をChatGPTが叶えてくれるのでは!?とふと思い、「今日の一日の内容を基に夏目漱石、太宰治、吉本ばなな風エッセイをお願いします」と案外やってみたらおもしろかったので、そのまま掲載しました(笑)それぞれに対するコメントなどは(ちょっと今めんどくさくて泣)書いていないのでとりあえず読んでみてください。ちなみに、ChatGPTに投げた文章自体は同じもので、実際の今日の日常です。それぞれのエッセイを読んで、元の文章を推測してみてください(笑)(ちなみに、これらの文章は、今日の出来事事実そのままを書き込み、すべてChatGPTが生成したものであり、私の想いや心情とは全く関係ありません。)

1. 夏目漱石風

朝の五時半、まだ薄暗い空の下で目を覚ます。昨晩の疲れが残る中、わたくしはふと、もう一度眠るか否かの選択に迫られた。だが、二日目の腕立て伏せというものが頭の片隅をよぎり、重たい身体をベッドから引き起こした。腕立て伏せなどというもの、なぜ人はこのような労苦を自らに課すのか、と疑問に思いながらも、義務感に駆られた自分に少々の満足を感じた。

その後、二度寝に身を委ねる。再び目覚めたのは九時前、朝マックに出かけた。少々混雑していたが、エッグマックマフィンを注文し、手に入れた瞬間、なぜこのような人工的なものに魅力を感じるのか、自己の内に問いかける。しかるに、マクドナルドのフリーWi-Fiに接続し、チャットGPTなるものと対話を始めた。ここに不思議なものを感じた。人の言葉が機械を通して返ってくる、しかもそれはどこか人間らしき反応を見せる。近代の怪異とも言えるかもしれぬ。

午後は家庭教師の仕事が控えている。一軒目の指導を終え、地下鉄で移動し、次なる生徒の家へと向かう。地下鉄の揺れとともに、わたくしの頭は浮世の煩わしさを忘れようとする。こうした日常の連続が、いかにしてわたくしの精神を疲弊させているのか、考え出すと止まらない。

夕刻、帰宅後には明日の準備がある。スライド作成やプロジェクトの反省を行うべきであるが、ジンハイボールの誘惑には勝てない。しばし飲みながら、作業を進めているうちに、時計はもう十二時を指していた。この一日の流れの中に、何か大きな意味が潜んでいるのか、それともただの繰り返しなのか、今はまだ答えを見いだせぬままである。


2. 太宰治風

朝、目が覚めた。五時半だった。自分がこの時間に目を覚ます理由などないはずなのに、どうしてだろう、全く訳が分からない。それでも腕立て伏せを始めた。継続二日目、なんて馬鹿げたことだ。誰も僕に期待していないのに、どうして僕はこんなことをしているのか。とにかく身体を動かしてみたが、心は空っぽだった。

そのあと二度寝した。逃げるように眠りに戻ったんだ。いつもこうだ。目覚めたのは九時過ぎ、僕はマクドナルドに行った。混んでいたけれど、それも僕にとってはどうでもいい。エッグマックマフィンを手に取り、フリーWi-Fiに接続して、チャットGPTと対話を始めた。でも、何かを学ぶためじゃない。ただ、逃げ場所が欲しかっただけなんだ。言葉を交わしているフリをしながら、ただただ何も考えたくなかった。

午後、家庭教師の仕事が始まった。僕は教えることができるのだろうか。そんな疑問が常に頭の中にある。生徒たちは僕を見つめている。僕は何かを伝えることができているのか。教えながら、僕自身がただ流されているような感覚が拭えない。地下鉄で移動して、二軒目の生徒に会う。何も変わらない。世界は僕を置いてどんどん進んでいく。

夜、家に戻り、スライドを作らなければならない。明日の準備だ。プロジェクトの反省もしなければならない。でも、そんなものどうでもいいんだ。本当は何もしたくない。ただ、ジンハイボールの缶を開けて、心を麻痺させたかった。時計を見るともう十二時だ。僕は今日何をしていたのか。何もわからない。ただ一日が終わった、それだけなんだ。


3. 吉本ばなな風

朝、少し早く起きて、まだ世界が静かな時間に、軽く腕立て伏せをする。二日目の挑戦だ。身体を動かすことで、なんだか心の中もすっきりしていく気がする。だけどその後、ちょっと疲れてしまって、二度寝をしてしまった。まあ、そんな日もあるよね、と自分を許すことにした。

九時過ぎに目が覚めて、なんだか朝ごはんが欲しくなったので、マクドナルドへ行くことにした。少し混んでいて、並んでいる時間にちょっとイライラしてしまったけど、エッグマックマフィンを手に取った瞬間、その香りで心がほぐれた。店内でWi-Fiを使いながら、チャットGPTと対話する。機械と会話するって、ちょっと不思議な感覚だけど、なんだか安心感がある。この場所と時間が、ほんの少しの間だけど、自分だけの世界に感じられた。

午後は家庭教師の仕事があって、一軒目の生徒に会いに行く。いつも彼女と話す時間が、私にとって少しだけ特別なものになっている。何かを教えるというより、一緒に時間を過ごしている感覚が強い。地下鉄で次の生徒の家に向かう途中、電車の揺れとともに少しぼんやりしてしまったけれど、それもまた気持ちがいい。

夕方、家に戻って、明日の準備をしなければいけない。スライド作りやプロジェクトの反省。ジンハイボールの缶を開けて、ちょっとずつ飲みながら、仕事を進める。気づいたらもう夜中の十二時。時間があっという間に過ぎていく。今日一日を振り返ると、大きなことはなかったけれど、小さな幸せが散りばめられていた気がする。



ここまでお読みいただきありがとうございます(笑)。

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