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変に尖らず、装わず

私の手元には一冊のモレスキンノートがある。
いろんな人の言葉に触れ、共感できるところがあれば書き留めていたこのノートは、折に触れて何度も開いたり閉じたりしたせいか、ゴムバンドはすっかり伸びてしまっている。

結果的に出来上がった『私のための金言集』の製作期間は、私が自営に転じて建築設計事務所を開設する前後に重なる。

シンクタンクから建築設計事務所に職を転じ、最終的には自営業の道を選ぶこととなる当時の私が抱いていた「これ以上の潰しは効かない」という危機感が、このノートづくりの原動力のひとつになっていたことは間違いがない。
自分で決断してきたにも拘らず、自身が望むわけではない方向へと自身の身の振り方を絞っているように感じることへの不安は、今思い出しても息苦しい。

そもそも私は、建築設計を生業にするつもりがなかったのである。

友人知人に意見を求め、自分なりに考えられることは考え尽くし、最終的には事務所の開設を決めたのだが、それでもなお漠然とした不安が今でも、時には焦りを伴って私に纏わりついてくる。

私は何がしたいのか。
私には何が出来るのか。
私はこれからどうすればよいのか。
私は人に求められるのか。
私は人の求めに応えられるのか。

最近では公私を問わず、目の前の案件を片づけるのに精一杯で、そういったことを考える機会がめっきり少なくなっていた。

しかし、

世間がお盆休みでのんびりした雰囲気になったそんな時、
「そういえば…」
と当時のことを思い出し、
「そういえば…」
と私は書棚から例の金言集を取り出した。

ページをめくって探し出したのは、2013年8月11日に記録したこの一文である。

早弾きの超絶テクニックだけが
ピアニストの形じゃない。
低い跳び箱をきれいに跳んで、
誰よりも美しく着地をすれば、
人の心に響く。

msn産経ニュースWEST(2013年7月28日付)
『「大江千里」折れかけた心を奮い立たせたNYの教え』からの抜粋

他人を見て羨ましく思ったり、焦りを感じたところで何も始まらない。
身の丈を知り、時には少し背伸びをして、やりたいことに近づいていく。
そのための努力は欠かさない。
そういうことなのだと思う。

書き留めた言葉を座右に置いて実践しているつもりでいても、実際には出来ていないことが多い。
時が経つと、そもそも自分が何のために何をしているのかが判らなくなることすらある。

今回のように、過去の自分に救われることがあるのだが、それを単に食い潰してしまうようなことがないようにしなければとも思う。



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