「しっかり丁寧に」教えるとは(1対2の個別指導塾編)

大学生の頃から私は個別指導塾でバイトを始めてからずっとこの業界で仕事をしているが、いまだに「理想の指導」というものが具現化できないまま現在に至る。毎度「こうではないか」「いや、こうじゃないな」なんかを自問自答しながら過ごし続けているからだ。そんな自分が考えてきたことを少し思い出しながら時系列で整理し、では1対2の個別指導で意識していくことについて考察できたらと思う。

※ここから先の話は全て「悪かったこと」と「反省点」ばかり書いてありますが、合格できた生徒もいますので、ご了承ください。


 もう8年近く前になるか、当時は明○義塾を代表とした個別指導塾が絶賛ブーム中であったが、私自身、過去に個別指導を受けた経験がほとんどなかった。そんな自分がある個別指導塾の看板を見つけて最寄りの駅の近くだからやってみるかといった形でインターネットの募集サイトから応募した。確かゴールデンウィーク明けから授業を受け持った。当時はブームというのもあり、その教室の生徒数は130人ほどはいたと思う。自分自身はとにかく高校生を担当したいという謎の願望(今思えばなんて高飛車なやつなんだと思う)で初めて担当したのが高3だった。確か偏差値で言うと45くらいの公立高校でそこから日東駒専にいきたいという生徒だったと思う。そこから高校1、2年生もそれなりの人数を担当した。その当時の私はとにかく必死で「丁寧に教える=躓くたびに解説&答えを教える」のスタイルだった。(今思えば考えがとても浅はかだなと思う。)その当時は非常に生徒から有難がれた。その年の大学受験は今でも忘れないが2月の私立大学の一般入試真っ只中に2週連続で関東では大雪が降った。それが担当生徒の受験日と重なり(しかも2週連続で第1志望の大学の試験日)電車は大幅に遅延し、試験開始時間はずれ、生徒のメンタルがかなり不安定になった状態での受験で、普段通りの実力を出すことができず、専門学校に進学することになった。その時に「躓くたびに解説&答えを教えても、本番で点数取れなかったら、意味ないじゃないか」と自分が受験生だった時以上に悔いた。
 その翌年度から意識したことは「本番で実力を出せるように、たくさん反復させよう」ということである。ただこの当時も考えが非常に浅はかで「とりあえずいろんな教材をやりまくる」といった具合である。あとは初年度と何の変化もなく「しっかり丁寧に」の意味を履き違えたような指導をしていた。その年度も事件が起こった。その年は中3を指導することが多かったが、ある生徒(中3)の成績が勉強量の割に一向に良くならないのだ。具体的には数学はよくできるが、そのほかの教科(国語、英語、理科、社会)の模試の点数が全く合格ラインに達しないのだ。結果的にその年もその担当生徒は希望の進路に行くことはできなかった。その結果から「丁寧に教えるだけでもダメだし、考えさせないとダメだ」と反省し実践していった。これも今考えればただの放置であったかもしれないなと現在猛省しているが、この年は謎に入塾してきた生徒の初期レベルが高かったので、自分の指導が低レベルでも普通に希望の進路に進学していった。だからこの年に感じたのは謎の満足感ともう少し違うところで指導したいという頃で、1年だけ独立した。その時は完全に1対1の個別だったので、細かいことは割愛して後日に回すが、自分の浅はかさがさらに露呈した。  
 そしてまた、大学生の頃にお世話になった個別指導塾で社員として働いていくことになるが、そこでも指導に関して悩むことが多々あった。具体的には「勉強しない子にどうやって勉強してもらうか」や、その時はホワイトボードに板書して指導していたので「板書を授業でどう活かすか」、などといったことを考えながら日々奮闘していた。全国展開しているような個別指導塾には勉強したくなくても中学校3年生になると高校入試のために入塾してくるような生徒が多い。そうなると、塾としては高校入試をなんとしても突破してもらいたいので、あの手この手で勉強してくれるような取り組みをする。当時の自分はそれがとても苦手で、どうしたものかと悩んでいたが、当時、同じ教室にいた上司がとてもうまかったので、真似たり、アドバイスをもらったりした。具体的にはどのようなことかというと「ゴールを設定して、そこに持っていくためにどのような問答をしていくか、この質問を投げかけたらどのように返ってくるかを常に予測し、ゴールに持っていくシミュレーションを事前に行っておく」や「さまざまな事象を言語化していく」といったことである。これをほぼ毎日のように1年間、例えば今日授業であったことなどについて授業後に上司とディスカッションしていった。これは自分にとってはかなり効果的であったし、生徒対応だけでなく、保護者面談等、大人との対話のレベルも上がったと思う。板書については本当に1度自己流を捨ててyoutube等で上がっている予備校の授業動画を見比べていいなと思ったところひたすら真似た。字の大きさ、字と字の間隔、各色の使い方等である。そこで発見したのは「字と字の間隔、特に文と文の行間はあまり空け過ぎなくても綺麗に見える」ことである。色は自分の中でルールがあればそれで良いと思う。
 このような感じで社会人1年目が終了し、2年目に突入した。翌年度は人事の関係で前の年にやっていた校舎の教室責任者となった。教室責任者になって早々新型コロナウイルスの関係で、かなりごった返していたが、個人的にはいろいろなことに挑戦できた1年だったので、充実はしていた。オンライン授業等も試行錯誤したが、オンライン授業についてはまた後日書いていくことにする。今回の記事の趣旨は授業についてなので、授業について書いていくことにする。1対2の個別指導となると、科目も学年もバラバラの生徒が自分の両隣に座るので、まだ慣れていない学生講師が行なうと片方の生徒のことしか見えなくなってしまい、もう片方が演習だけで終わってしまったりと後味が悪くなってしまうことが多い。私は慣れていたので、まず両隣の生徒の科目を事前に把握し、説明重視の生徒なのか、もしくは演習重視の生徒なのかを意識し、説明している間も常に隣の生徒には目を配る(意識する)ことはしていた。これがなかなか難しい。これができるようになるためには、各生徒にする説明は無意識な状態でも自動的にできるようにしておきたい。これができるだけで、授業中の余裕がかなり違う。プリントも必要な場合は事前にある程度はコピーしておくとこれだけでも余裕が持てる。ただし学生講師は大学やプライベートも重視した方が良いと思うので、準備はほどほどにした方が良い(大手個別指導塾では準備に対するお金が一切でないところがほとんどである)。わざわざ自分の時間を犠牲にしてまでやる必要はない。これは教室責任者の配慮が大切であると考える。ここまでできるようになったら、宿題の出し方や授業中の教科指導以外の部分にも目を向けていきたい。宿題はどう伝えたら次回までにやってきてもらえるのか、どう伝えたら勉強の仕方を誰も見ていなくても実践できるのかなどがその部分にあたる。こんなことが私が教室責任者になって様々な学生講師を見て感 じたことである。
 最後にまとめに入るが、巷には「丁寧に教えていきます!」や「付きっきりで教えます!」などの文言を表に出している塾は多くあるが、先に書いてきた私の経験からも分かる通り、「しっかり丁寧に」という言葉を表面だけ撫でるような解釈はしていないだろうか。「丁寧に=何でも教える」と解釈してはいないだろうか。「考えさせる=放置する」と解釈してはないだろうか。案外、こういったことをしっかりと考えてみると難しい(私も未だに答えが出ない)。そこで私もまだ未熟ながらこれまでの経験での教訓をまとめておくと、要するに何事にも「バランス」が大切である、ということである。「今日は〇〇君に丁寧に教えすぎて隣の××さんに説明がほとんどできなかった。」「次回は××さんの説明の時間を意識しがら、〇〇君の演習に気を配るようにしよう。」といった具合である。では、「バランス」をとるためにはどうしたら良いか。それは授業時間内に「余裕」を持つことである。「余裕」を持つためにはどのようにしたら良いか。それは事前に意識しておく(把握しておく)ことではないだろうか。ちなみに私が学生の頃は大学から教室に向かう電車の中でその日の授業について考えるくらいだった。それでも全然違うので、ぜひやってみることをお勧めする。

 したがって私は現時点では「しっかり丁寧に=バランス、そしてバランスを保つためには『余裕』が必要」だと考えながら、日々仕事をしているし、これからもそうしていく予定である。

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