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時代はどう動くか - 意志と情念と行動の織りなす合力、ワンピースがいま過去一で面白いのはなぜか

ワンピースが最近本当に面白いと思っています。過去、私が特に好きだったのは頂上戦争編とおでんの過去あたりでしたが、それがとうとう本編のルフィ自身にやってきたか、というのを感じています。
作者自身が、最終章が面白くなると言い続けていた通り、本当に面白くなり、またこれから先は絶対に面白いと断言できるようになってきました。
ところで、私はマンガを「大きなマンガ作話技術の流れ」あるいは「マンガ界の課題(?)」から解釈しようとする"悪癖"があります。過去に鬼滅推しの子などでそういった事を考えていましたが、ワンピースをこの目線で解釈し直すと、色々な事に気づきました。それで、気づいた事をまとめていきます。


バギーに共感する日

最近、心に残った場面がいくつかありますが、そのうち一番想定外だったのはバギーがシャンクスについて語ったときのこと。なんとなく分かっていた、というか、そりゃあそうだよなという、極めて当たり前の感情。シャンクスが有能過ぎるという事への羨望と、その一方で、シャンクスが「なぜか」自分で海賊王を目指さないと言うようになってしまった事への失望。そうした感情と、自分にシャンクスのような実力はないという自己認識がありつつも、偶然たどり着いた今の地位と、それを踏まえて自分の目指したいもの。それを目指したいと宣言すること。
いわば、ニコ・ロビンが「生きたい」と言ったのと同じ事を、まさかバギーの口から聞くことになるとは。
白ひげの「若く無様」じゃないですけど、私はこういうのは本当に好きで。まさかバギーに共感する日が来てしまうとは。まあ、ウソップでもちょいちょい存在する内容ではあったので、普通に想定できた話ではあるのですけど、しかし「このバギーは本当に良いなあ」と思ってしまいました。(ウソップは、メリー号の件とか、あるいは狙撃でシュガーを倒す時とか、良いキャラクターなんですけど、でもこんなに共感した事はなかったので。)

くまを巡る、ボニーと革命軍の交差

まさにリアルタイムな話では、王下七武海として登場し、パシフィスタの元になった暴君くまを巡っての話が、なかなかの厚みを持っています。
くまの人生における革命軍の意味と接点が語られ、ボニーの出自もかなり明かされましたが、縁があるとはいえそれぞれに異なる道を選んだ人々が、くまという点を基準に交差しています。
この展開はワンピースではよくある展開とも言えて、最も大きな規模のものではエースを点としてルフィ・白ひげ・海軍、そして黒ひげ・赤髪まで集まった頂上戦争がありますが、他にも様々な点で線が交わる展開があります。
このとき、ボニーや革命軍のそれぞれの設定が薄いと面白みがなくなりますが、意志・情念・行動による裏付けを持つ設定がしっかりとしていて、それぞれの生きた"線"が交差するという概念が機能しています。

成長するコビー、実直拳骨とロッキーポート事件

ワンピースにおいて生きた"線"が交差するとき、特に良いなあと思うのは、それぞれの人が次のステップに進んで邂逅を果たすところです。
この点で一番わかりやすいのはコビーです。コビーは本当に最初から登場して、かつ海軍を目指すという事でルフィと全く違う道を歩みましたが、その全く違う道をきちんと自分で進んでいます。
頂上戦争でもルフィの命を結果的に救う事になりましたし、直近ではハチノスの実直拳骨、あるいは少し遡ってロッキーポート事件と、重要なイベントを経て着実に次のステージにたどり着いています。ロッキーポート事件では他にロー、ティーチという重要なメンバーも関わりましたが、この「主人公たち以外の登場人物、同格の人も上の人も下の人も、全員がそれぞれの意志で人生を生きている」ところが、私にとってのワンピースの最大の魅力であると感じます。
私が冒頭で挙げた頂上戦争編もおでんの過去も、出てくる人物の意志がかなりはっきりとしていて、それを支える情念と結果の行動がわかりやすく、かつ腹落ちするものになっています。
コビーに限らず、ルフィと同じステージにいる人々は皆相応の苦労や努力を重ねて今に至っていますし、ルフィよりはるか上に居た人々は当時のルフィ以上にそうした積み重ねの上に立っていました。そういうものだと思わせる話が、元々それなりにありましたが、ここ数年は特に顕著であるように感じます。

意志・情念・行動による時系列の繋がり

ただしワンピースはそれだけではなくて、ワンタイムのある特定時点での話ではなくて、時系列できちんと繋がって描かれているという事が重要な要素となっています。
一般論として、ある人物X,Y,Z…がいて、それぞれに意志・情念があって、その結果として行動が生じます。XにはXの過去、YにはYの過去、ZにはZの過去があってそれぞれの人物が形成されていて、その人物を元に物語が動く。
これはとても普通のことですが、では、その過去はどう表現されるのか?
普通は相互の線は全く交わらない・物語の本筋と全く関係ないと思うべきサイドストーリーになるか、あるいは何かしら非常に強いしがらみがあるか、のいずれかになりがちです。ワンピースでは、サイドストーリーでありながらも線が適度に絡んでいる場合があって、直接的な関係性はもちろんのこと、同じ場に居たがものすごく左右されたものではなかったり、本人の気づいていないところで偶然が重なって助けられたり、そういった絶妙な関係性が丁寧に描かれています。例えば、オペオペの実を手に入れたときのローとドレークとか。
"サイドストーリー"をどう描くかというのはワンピースの重要なテーマの一つで、同時並行の話であれば扉絵を使ったり、過去の話であれば回想を使ったりしながら、繋がるように各登場人物の意志・情念・行動が描かれています。

全体をドライブする要素を何とするか

私にとってのワンピースの重要な特徴は、ワクワクするということです。
単純な面白さ(?)、趣深さ、感性を刺激する度合みたいな事でいえば、他にもっと私に刺さったマンガがありましたが、ワンピースが唯一無二であるように感じるのは、ワクワクする部分です。頂上戦争もおでんも、大変ワクワクしました。
おそらくワクワクさせる要素には様々なものがあるのですが、一番これかなと思うものを抽出すると、それはおそらく「意志に従って立っている強い人間がぶつかるから」だろうと思っています。例えば頂上戦争でいうと、私は赤犬が大好きで、これまで意志を持って積み上げてきたものの上に立っている強い人間がその意志をぶつけてくる、というのがとても格好良いです。(ちょっとそこ、雑魚海兵への督戦隊みたいな事してて意味不明だし、煽るばっかりでダサいとか言わないで)
対するルフィは、積み上げがなくて、意志しかありません。だから威勢だけで、弱くて若く無様なんですが、それでも意志を持って向かうこと。
その後、エースが結局死んで意志が折れそうになったものの、仲間が居ると思い直した上で、改めて修行が必要だと意志を以て判断すること。
ワンピースの世界を根本的にドライブしている要素は意志なのだと思います。(「Dの意志」とあれだけ言われていて、今更ですか、そうですか。)
ちなみに、これまで意志・情念・行動という要素を並べて書いてきたのですが、意志というのはその人の大局的な考え方、情念というのはその場での感情など、行動というのはそれらと外部要因によって結果的に生じるもの、というつもりで書いていました。その場の感情や結果的な行動で話が進むこともしばしばありつつも、全体の筋は意志である、というのがここで言いたい事なのです。
バギーで言えば、「ふにゃふにゃとラッキーで上がってきても、ちゃんと意志はある」というのが、私の心に訴えてきたのかなと思います。

単純な対立軸だけでは動いていない世界と、集約されていく対立軸

さて、ワンピースの世界における意志の方向性ですが、基本的にはみんなバラバラです。例えば有力な海賊は、基本的にはそれぞれ自分たちが海賊王になりたいと思っていますし、海軍、革命軍、世界政府などを考えていくと、それぞれバラバラな方向を向いています。現実の世界では何か一つの決まった軸がある訳ではないので、ある意味で当然の話ではあります。しかしマンガでは必ずしもそうではなく、鬼滅などは対照的で、無惨を撃滅せんとする鬼殺隊と、それと戦う鬼という明確な対立軸が中心にあります。
しかし、特に最近の話によって、物語の軸は空白の100年の謎や世界政府(天竜人)からの解放といった部分に集約されるように動いてきています。もちろん個々の登場人物の持つ「ベクトル」はそれぞれ微妙に異なる方向でしょうが、これから物語の大筋、流れは一つの対立軸に集約されていく事になるでしょう。一般に話を作る要素としては意志・情念・行動がありますが、これらの「合力」で話の軸ができるとすれば、各「ベクトル」の一つの方向に向きが揃っていく事で大きな「合力」が生まれる事になります。
つまり、今はまだ鬼滅のような強い軸を持ってはいない世界(あるいは、「大海賊時代」という海賊の軸ぐらいしかない世界)に、はじめて強い軸が生まれていく事になるのです。そりゃあ、過去一面白い。間違いない。

新時代、合力に乗る海賊王 - 組織なしで同じ方向に動くこと

ワンピースでこれから、何が描かれていくのか。私は、「新しい時代が生まれる様子」だと思っています。つまり、いろんなところにいろんな意志を持つ人間たちがいて、バラバラの意志の軸が様々な流れによって次第に一つの軸に集約されて、その軸の元に新しい時代が生まれる。このとき、結果的に"合力"と同じ方向を向く力、あるいはその合力の作用点の中心に居るのがルフィであり、そうやって海賊王になる(というメカニズムを描く)、という事なのだと思います。これは私の願望も含めてですが、そうやって、新時代を切り拓く様こそが、これまでのマンガには成し得なかった「人間の集団が時代を変えていくメカニズムの明示手法」になるのではないかな、と思っているのです。

一般的なバトル漫画では、誰か圧倒的に強い人、あるいは圧倒的に強い人達がいて、その人達がタイマンやタイマンに類する戦いによってストーリーを進めていきます。しかし、現実の世界では一人のタイマンで出来ることはせいぜいショーでしかなく、はっきりと時代を作るという事は稀ですし、どんな達人・英雄も寝首を掻かれれば死にます。現実の人間の個体差はそれぐらいのものでしか無い中で、一方で時代を変える人、時代の中心に居る人、例えばいわゆる英雄というのが現実に存在するようにも思えます。その様子を、どうやって描くか。
鬼滅の刃では、組織的に物事が成される姿が描かれたと思っていて、これは非常に革新的な事であったと私は思うのですが、それでも時代と言うべきような規模ではありませんでした。
ワンピースは、はっきり時代が変わる時を描こうとしています。かつ、その時代の変化を、必ずしも組織構造が中心にはない形で描こうとしているのです。というのも、ワンピースの一つのテーマは「非全体主義的でありながら、同じ方向に力を生じること」だと思っています。海賊王は自由な存在である、例えば統治者ではない、ということは本編で何度も言われていることですし、このままいけばニカのやる重要なことの一つは"解放"です。解放のドラム。しかし一方で、ルフィの求心力、あるいはその場の人間が全体的にルフィと同じ方向に向かって味方になる現象についても、本編で何度も出てきています。ミホークが危険視したそれです。「能力や技じゃない―その場にいる者達を次々に自分の味方につける」

全体主義的ではない力の集約がいかにして生まれていき、どうやって時代が変わるのか。ワンピースのこれからに、私はとても期待しています。

バトルがタイマンを克服できなくても

ワンピースは、登場人物が増えていく中でバトルに非常に苦心していると思います。全員が戦う様を描こうとするとどうしても長くなるし、しかもバトルは本質的に、うまくタイマンにしないと描きにくい。
もっとバトルが面白かったり、あるいはもっと個人を掘り下げているマンガはいくつかあって。
例えば鬼滅の刃は、バトルを中心に据えながら、これまでうまく描けなかった、インフレがなくかつ組織的な戦いを描きました。
呪術廻戦は、今まさに"バトル"に振り切った新境地を開拓しています。
ハンターハンターは、より繊細かつ個人主義的だが、しかしバトルやしがらみを含むドラマを丁寧に描こうとしています。

ワンピースは登場人物を愛せるし話も面白いが、しかしバトルは正直めちゃくちゃで、かつ人物が増える事によって戦いの描写の難度が上がりすぎているのでは…と思うことが何度もありました。実際、バトルの答えはまだないと思っています。しかし、大局的に多くの人が動く状況が何なのか、時代が変わるとは何なのか、それを描こうとしているのだと今更はっきりわかって、なるほどそりゃあワンピースはナンバーワンだ、となったのです。

現実的な話として、バトルで時代を動かす事にリアリティはない、というのは項羽と劉邦の時代から火を見るより明らかです。1回の戦闘で時代が決まることはない。現実の世界では、仮に物事の最終的な判断をするのが一人であったとしても、その一人によって世界が動き続けている訳ではありません。 時代はどう動くのか。それを説得力を持って示すには。これは少年漫画の課題だと思いますし、それどころか今まで文章ではうまく表現しきれていないと思っているのですが、むしろマンガであればそのモデルの一つを示せるのかな、と思ったりしました。
おしまい。

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