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「万作を観る会 野村万作卒寿記念」@国立能楽堂 2021.11.21

野村万作さんの卒寿を御祝いして催された公演です。
改めまして、卒寿、おめでとうございます(^^)

本日の演目は
 ☆高砂 八段之舞(たかさご) 20分
 ☆枕物狂(まくらものぐるい) 40分
 ☆鬮罪人(くじざいにん)   40分

狂言を拝見し始めたのが最近なものですから色々なところを勘違いしていたりするかもしれませんが御容赦下さい。また個人の感想です。

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「高砂」

謡としての高砂は何度か聞いたことがあるのですが、能の一場面として拝見するのは初めて。歌舞伎で言うところの素踊のような紋付き袴の御姿で舞われます。お囃子の方々の気持ち良い拍子と共に拝見。
私、どうも能には苦手意識がありまして(学生の時の鑑賞教室以来)恥ずかしながら全く素養も無いのですが、今回、拝見して感じたのは「息」が根本にあるのでは?と。日本語に「息を合わせる」という言葉がありますが、日本の舞の場合はオーケストラのような指揮者が存在しないので、お囃子の方々と舞われる方の間に互いの間合いを合わせる、同じ「息」のリズムが存在しているんじゃないかな?って感じたんですね。それが拍子となって表に現れるわけですが、その「息」を観客も感じ、同時に自らの「息」を合わせていくことで、何か共有できるものがあったような(今回で言えば高揚感のようなものが・・・)感じが致しました。


「枕物狂」

祖父役に野村万作さん、孫役に野村太一郎さんと野村裕基さん。実際のおじい様とお孫さんでいらっしゃる万作さんと裕基さんが舞台上でも祖父と孫を演じられるという趣向の一作。

当然ながら初見なので(^^; 始まる前に入場時に頂いたパンフレットを拝読。おおよその粗筋と謡の現代語訳を見てみると、意外と(予想以上に)なまめかしい。昔の恋歌って現代よりストレートだったりするんですよね(笑)

さて、本番。
おじいちゃんが恋しちゃってるらしいよ?と噂を心配した孫二人が久しぶりのおじいちゃんの家を訪ねる。でも、「老いらくの恋」を止めようとして来たわけじゃなくて、出来ることなら、おじいちゃんが幸せなら、その恋を叶えてあげよう!とする孫二人。やさしい。とても物分かりが良い。今時でもなかなかいないですよね?(^^)
一方のおじいちゃん。彼女と新枕を交わした翌日なのか?その数日後なのか?わからないけど、彼女にそっけなくされちゃったのか・・・かなりしょんぼりして帰ってくる。そこに孫二人が訪ねてきたと知って慌てて隠す枕。観てる方は孫達の気持ちを知ってるから(おじいちゃん、応援してくれてるから大丈夫だよ~)と教えてあげたくなる(笑)
孫達が話を切り出して「応援するから話してよ!」と言っても隠そうとするし、昔話から「老いらくの恋」の危うさを語り出すおじいちゃん。でも、その内に昔話と己が重なって、昔人の話では無くなっていく。その変化の中、孫の一人がおじいちゃんの想い人を迎えに行って連れ戻ってくる。「あなたがもっと早くに会ってくれれば孫達に恥ずかしいところを見られなかったのに」と恨み言を言うけれど、何だかんだと?(笑)、二人そろって家の奥に入っていく、という御話(かな?)。

先に書いたように、意外となまめかしい御話なので、まだ脂っ気のある(笑)世代の方が演じられると単なる色欲に感じられちゃうかも?しれない。だからこそ、そうした次元を超えた・・・枯れた芸というのとも少し違うし、何だろう?そういう話を演じても嫌悪感を与えないような加減を保てる方が演じられるからこそ楽しめる作品かな?とも感じました。

祖父(おじいちゃん)、子供や孫たちが独立して一人だったのかなぁ・・・寂しかったんですよね。孫も遊びに来ないし。
いくら歳を重ねて達観しても、人は人恋しいもので、それは色欲だけでなく、人の温かみを求めるような、誰かが側に居てくれて、誰かが自分を必要としてくれる、その喜びはたとえ幾つになっても人が生きる上で必要なものなんじゃないかなぁ・・・。そう思うと、おじいちゃんの気持ちが解ると同時にとても切なくて、ちょっと途中で涙ぐみそうになりました。

この演目は「老いる」ことと向き合うと同時に、最後まで「生きる」姿を見せて下さったようにも感じます。その姿が同時に今を生きていらっしゃる野村万作さんの御姿とも重なって、今年卒寿を迎えられた万作さんからの「これからを生きる」メッセージのようにも感じたのでした。
いつまでも、御元気で舞台に立って下さることを願いつつ、心より、卒寿を迎えれましたこと、お慶び申し上げます。


「鬮罪人」

京都の豪商なのでしょうか?そこの主人に石田幸雄さん。その家に仕える太郎冠者に野村萬斎さん。そろそろ祇園祭の山鉾の準備をせねばならぬ時期となり、街の顔役?の主人の家に町内のお歴々が集まって相談をする。しかし、太郎冠者が要らぬ口出しをするもので・・・という御話(笑)
私が生まれ育った街にも大きな祭りがありますし、そうした町内会の寄り合いのようなものがごく身近にありましたので、こうしたシチュエーションはよく解ります。

御主人は今でいうところのファシリテーター担当。皆様の意見を伺い、案配良くまとめていくのが役割。せっかく頂いた意見を頭っから否定しちゃうなんてもっての外。だけど、それをしちゃうのが太郎冠者(笑)
太郎冠者が口を挿んで話を折る度に「超しかめっつら」になっていく主人役の石田さん。気の毒だけど、面白くて(^^; 怖い人でも、嫌な人でもないんですよね。街の顔役として、皆の「和」を大切にし、話を取りまとめたいだけで、そういう立場をわきまえた方。

一方の太郎冠者は・・・天然?(笑)
嫌なヤツでもないし、悪気もないけれど、思いつくと黙っていられない性分、なんでしょうか。他の町衆に考えを求められるところを見ると今までも結構アイデアマンだったのかも?しれませんね。でも、場が読めないw
この家の御主人の望む「太郎冠者」と、実際の「太郎冠者」のミスマッチが気の毒でもあり、可笑しくもあり。

そうこうする内に太郎冠者の「祀りにはありえないアイデア」が選ばれて、その中に登場する「鬼」と「罪人」を鬮(くじ)引きで決めることになって。(だって誰もやりたがらない御役ですからね~)
鬮を引く時点で、どっちかが罪人になるんだろうな?という想像はつくけれど、期待に沿って?(笑)、主人が罪人、太郎冠者が「鬼」となり。

稽古として鬼役である太郎冠者が罪人役である主人を打擲するのだけれど、この機会に日頃の恨みを晴らしているのだろうと怒る主人w
そんな主人が怖くて稽古なんて出来ないーーーっと町衆に助けを求める太郎冠者(ちょっと自業自得w)。で、しょうがないので、鬼の衣装と面をつけることに。で、この「鬼の面」が予想以上にめっちゃ「鬼顔」で、リアル系。(いやいや、観てるこっちが怖いですが・・・)と思いつつも中身は太郎冠者なので、稽古再開するも主人の眼力に恐れをなして転ぶわ逃げるわ(笑)なのでした!という狂言らしい一作でした(^^)

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一口に狂言といっても色々な趣の作品があるんだなぁ・・・と今回も感じました。国立能楽堂で拝見したのはまだ3回目くらいですが、また伺える機会を楽しみにしております。