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「ガラスの動物園」@新国立劇場中劇場 2022.09.28~10.02 イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出版

やっと待ちにまった、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ氏の演出作品を実際に自分の目と耳で拝見することが出来ました~(待ってました~!)
そもそもホーヴェ氏の作品との出会いは、NTLの「イヴのすべて(2019年、ホーヴェ氏演出作)」だったのですが、その時、どうにもこの作品と相容れなくて・・・。なんというか、自分の体が受け付けなかったんです。当然、芝居としても(映像だけど)ちゃんと咀嚼することが出来ず、それ以来、ずっと自分の中の課題というか、ちゃんとホーヴェ氏の演出作品を拝見してみたいと思っていました。
しかし残念ながら楽しみにしていた2020年の来日公演「ローマ悲劇」も中止となり、代替え?として上映されたホーヴェ氏の演出の「オープニング・ナイト」「声」「じゃじゃ馬ならし」を拝見してみたら、特に「声」に引き込まれて(一人芝居なんですが、素晴らしかったです)。作品との相性なのか、自分が変わったのか?は分かりませんが、もっと他にも観てみたいと思うようになりました。そんなこんなで、かれこれ3年越の念願(笑)叶って「ガラスの動物園」@新国立劇場中劇場にて、何度か拝見させて頂きました。以下はその観劇感想です。

原作:テネシー・ウィリアムズ「ガラスの動物園」
演出:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ
制作:オデオン・ヨーロッパ劇場
美術:ヤン・ヴェーセルヴェスト

出演:
イザベル・ユベール(アマンダ・ウィングフィールド)
ジュスティーヌ・パシュレ(ローラ・ウィングフィールド)
アントワーヌ・レナール(トム・ウィングフィールド)
シリル・ゲイユ(ジム・オコナー)

特記:
原作は1930年代頃のアメリカが舞台ですが、今回の上演は全編フランス語での上演されており、字幕は日本語と英語の二か国語がプロセニアムアーチの長辺部分に電光表示されています。


以下、個人の感想です。

原作は御存知の方々も多いであろう「ガラスの動物園(テネシー・ウィリアムズ著」なので、あらすじは省きますね。(未読の方は図書館か本屋さんへGO)
初めてこの作品の舞台を拝見したのは確か二十代の頃だったかと思いますが、その時は当たり前のように息子や娘の視点で拝見していて・・・。それから十年に一回くらいですかね?この「ガラスの動物園」を観劇する度に、観てる自分の視点が増えてくるんですよね~。今はもう、息子と娘はおろか、母の気持ちも解るような気がするし、家族を捨てた父親の気持ちも解らなくはないな・・・と思う自分もいたりして(^^; そういう意味では、自分の人生と並走してくれるような戯曲かな?とも感じます。

さて、前置きが長くなりましたが、今回、凄くいいなーとおもった本作の美術とホーヴェ氏の演出の2点について感想を書きたいと思います。
(芝居そのものについては、今回フランス語での上演というハードルがあり、細かなニュアンスや感覚的なものが判断出来ないので控えます。私ですら御名前を存じ上げるイザベル・ユベールさんは重くなりがちなこの作品を軽妙な可愛らしさを添えることで中和されていらっしゃったような?、かつ、食べながらずっと台詞を話してらっしゃっる場面があって、単純にスゴイなーと思ってました(笑))


<1>美術について

この記事のTOPにも貼らせて頂きましたが、こんな感じです。

「ガラスの動物園」@ホーヴェ氏の演出の来日公演イメージ (転載不可)

床・壁・天井の五面が全て、クマサンのようなフェイクファーで貼り包みされていて、ここ自体が一つの巣穴のような印象を受けます(地下ですし)。

使われているのは、こんな感じのフェイクファーです

フェイクファーの毛足が結構長めなので、逆毛だったところが照明の加減で暗くなり、客席から見ると、只の偶然ではなくて、何か「人の顔」のようにも見える・・・?。そう思って視点を引いて見てみると、あちこちに、この「人の顔」らしきものがあるんですね。イメージとしてはローマにある「真実の口」っぽい人間の顔だと想像して頂ければ近いかも?

フェイクファーの顔のイメージ⇒「真実の口」@ローマ

この色々な所にある顔らしき影が、時には「家族を捨てて出ていっちゃった父親」の写真のように見えたり(だからローラとジムが躍る場面でローラが壁を蹴るシーンが、ある種、爽快w)、ローラが学校や秘書養成所で気にしてる周囲の人々の視線にも見えるんですね。

なぜ、茶色なのか?と考えると、やはり「地下の巣穴」をイメージしやすいからかな?とも思います。
美術セットとしてはこれ一つですし、ワンシュチュエーションの中で展開されていくのですが、母アマンダは殆どキッチン辺りにいますし、姉のローラは逆にセット上手側の辺りに居て、それぞれの居場所っぽいところがあるんですが、息子のトムだけが階段の辺りで煙草を吸ってたり、逆にベランダ設定になっている客席との境に居たりして落ち着かないというか、居場所が無さげで、そうしたところも、この作品における家族の関係性を暗喩してるようにも思えて、シンプルなんですけど(勝手な想像ですけど)細かいところまで考えられているなーと感じました。


<2>演出について

今まで(映像も含めて)拝見してきたイヴォ・ヴァン・ホーヴェ氏の演出作品「イヴのすべて」「オープニング・ナイト」「声」「じゃじゃ馬ならし」そして「ガラスの動物園」を比較すると、似通った所が一つもないんですよね。先ずはその表現の幅広さに驚きます。
あと、今回の来日公演で印象的だったのが、その演出手法が「王道」と言ってもいいかと思うくらい、奇をてらったところのない、非常にシンプルなものでした。劇中の台詞自体は原作のまま(月給は65ドルのままだし、ローラが習うのはタイプライターです)なので、今回の上演にあたり原作を大きく変更したようなところは恐らく無いかと思います。ただ、今回の来日公演の演出で驚いたのは
 ☆1930年代アメリカという戯曲の時代背景が薄らいでいる
 ☆ローラの障害が肉体的なものというより精神的なものとして感じる
この2点でした。
私はこの2つにこそ、ホーヴェ氏の演出意図があるように思うんです。

まず、時代設定ですが、原作は約100年前のアメリカ(不況時代)の話ですけれど
 ☆来日公演はフランス語で上演されている
 ☆衣装や美術が時代を特定するような印象を与えないように配慮
この2点の効果で、どこの国であってもおかしくない、どの時代(現代に近い)であってもおかしくない、そうしたニュアンスに変わっていて、要は、この原作が持っている百年前の社会背景と、今の自分たちが生きている現代の社会背景の間の溝を、ホーヴェ氏の演出はそっと観客に気付かれないように埋めてくれているんじゃないでしょうか?
そうすることで、
 (あー、これ、今も同じようなことがあるよね)とか
 (あー、これ、世界各国、どこでもありえるよね)とか
 (あー、これ、人間誰もが多かれ少なかれ悩むよね)とか
自分や自分の周りとの接点を持てるようになってるんじゃないか?と。
姉のローラの障害についても、その手足の強張り自体は肉体的なものというより精神的なものなのかな?という印象があって、彼女の心の成長と共に解消されていくのかも?しれないという未来での可能性を感じるものでした。

今回のホーヴェ氏の演出を拝見して改めて感じたのは、全ては「戯曲を核になるものを真っ直ぐに客席に届ける」為に考え抜かれた事で、それが奇抜に見えたり王道に見えたりすることは結果論であって目的では無いんですよね、多分。

ラストシーン。
姉のローラは客席に背を向け、レコードの世界に引き籠る
母は息子を罵倒し泣き崩れ
息子はこの家族に絶望し家を出ていってしまう
ほんの少し、姉に対する後ろめたさを抱えて・・・。

その「状況」だけを印象に残したまま、余計なことは一切付け加えない。

どうして、こうなってしまったのか?
ここから、どうなっていくのか?
そうしたものは観客に委ねて下さる(あくまで原作に忠実)

その先で、今までの自分(観客)がどうだったのか
自分の周りの人達の想いはどうだったのか
そして、今、自分はどう生きているのか
これから、どう、生きて行きたいのか
戯曲自体が考え続けるヒントやきっかけとなってくれる
この作品の中の、ローラに対するジムという存在のように。

色々とヒントをアドバイスしてくれる人もいるだろうし
助けてくれようとする人もいるかもしれない。
でも、結局、変わっていくには、自分自身の踏み出す勇気とか、頑張るエネルギーとか、そういうものしか状況を改善していけないんじゃなかと・・・
暗に作品から言われたようにも思うし、自分が自分自身の中に見てしまったのかもしれないし、ホーヴェ氏から世界中の人々への想いなのかもしれないし、それは観た人それぞれが考えればいいんだと思います。


そういう意味では、戯曲を丁寧に届けることを大前提に、約100年前という時代の隔たりだけをそっと埋めて、現在に生きる私たちが、テネシー・ウィリアムズの「ガラスの動物園」を今も通じる話として受け止められるようにして下さった演出が、とても好きだなーと思いました(^^)

どうか、また、新作を引っ提げて(笑)日本にも来て下さい。
首を長くしてお待ちしております。

今回の上演を機会に、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ氏の演出に興味を持たれた方々がいらっしゃいましたら、10月上旬、池袋の東京芸術劇場にて、2020年に来日公演予定だったものの社会情勢により中止となってしまった「ローマ悲劇」の上映会がシアターイーストで行われます。私は未見ですが、上演中に撮影OK・SNS投稿OKという宣伝だったので、今回とは真逆に近い前衛的な演出なのかも?しれません。


最後に。
これは諸事情でどうしようもないのかなーと思いますが・・・
この芝居に、中劇場は大き過ぎますよね?
来日スタッフの拘束期間とか色々あるのかな?とも思いますし、拝見出来ただけでも嬉しかったので贅沢な望みだとは思いますが、出来れば小劇場サイズで拝見したかった・・・。それだけが唯一の残念です。すみません。