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「テラヤマキャバレー」@日生劇場 観劇感想

『このテラヤマキャバレーは、僕から日本へのラブレターなんだ』と、演出のデヴィット・ルヴォーさんはおっしゃったらしい。
寺山修司さんを筆頭に、唐十郎さん出てくる、近松出てくる、あー、ルヴォーさん、寺山さんを筆頭に小劇場演劇や日本の伝統芸能も大好きなんだね的なものは感じるけれど、果たしてそれだけのラブレターなのだろうか?
恒星(自ら輝く星、太陽系でいえば太陽、劇中では寺山修司さん)が放つ強烈な光の部分だけを見つめて賞賛しているのか?、いや、どうやら、それだけではなさそうな。

1960年代後半に天井桟敷が旗揚げされた頃から始まった小劇場第一世代、その強烈な光が生んだものもあれば、その後に続いた小劇場演劇(いわゆるアングラ)の影響ゆえに生まれた影もある。長い間その影が当たり前とされ、影が影だと気付かされもしない時代に生まれ育った、今、日生に居る観客達。
マッチを擦るかのように、過去(寺山修司などの小劇場第一世代の時代)に触れ、今、自分達が生きている「言葉が無い時代」を見つめ、そして、その先の未来を見据えた時、果たして私達は何を想うのだろう?
いや、そもそも、明日という日が当たり前のように来るとは限らない。
誰にも平等に、突然、死は訪れる。
だからこそ、今、自分達が長年の影の影響で何を失っているのか?そこから見つめなければ、例え明日という日がきても、惰性で時が流れるだけないだろうか?
今を、明日を、生きる。
その為に。考えなければならないこと。
行動に移していかなければ変わらないこと。
ルヴォーさんが「ラブレター」という形で現代の日本に住む私達に投げかけたこと、それこそが「質問」というものなんじゃないかな?とも、思う。

そして、スマホのラインやSNSではなく、リアルで向き合って、自分の言葉で話し合う。それは何も実際の友達関係だけではなく、劇場という場ならば、演劇そのものだったり作品自体を通して向き合って、見知らぬ者同士が心を通わせることが出来る。疑問をぶつけあうことも出来る。だからこそ、ルヴォーさんは作品の中で「劇場は出会いの場」だと言いたかったのだろう。と、推察する。

人は、その相手に興味が無ければ「質問」などしない。そもそも、何を質問したらいいのかもわからないだろうし。「質問」するということは、相手のことや相手の考えを知りたいと思うからだ。
劇中で寺山さんが呟く「言葉が無い」という意味は、飽きれて言葉が出てこないという意味での「言葉が無い」ではなく、自分の想いや考えや伝えたいこと聞きたいこと(=質問)を、SNS等で流れてくるような「誰かに借りてる言葉」ではなく、「自分の言葉」で言える人間が激減した。そうした「今の社会」に対して「(自分の)言葉が無い」と唖然としたのだろう。自分の言葉に拘った寺山修司さんにとって、そうした未来(=今の日本)は、変わっていて欲しい未来ではなかったのだろうか。




日本でも何度となく演出を行っているデヴィット・ルヴォーさんが、「ゆうめい」の池田亮さんとタッグを組み、没後40年を迎える寺山修司にスポットを当て、寺山さんが作詞した曲を織り交ぜたオリジナルの音楽劇「テラヤマキャバレー」。

没後40年を迎え、その稀有な才能に再び注目が集まる寺山修司。もし寺山が今生きていたら、何を思い、何を表現したのか。虚実に満ちた寺山のパワフルな世界が、新進気鋭の作家池田亮の脚本とデヴィッド・ルヴォーの演出、香取慎吾主演で立ち上がります。舞台は生と死が交錯するキャバレー。寺山の詞による多くの昭和の名曲を織り交ぜた、これまでにない驚きの音楽劇。

梅田芸術劇場「テラヤマキャバレー」公式HP イントロダクションより引用

<スタッフ>
演出:デヴィッド・ルヴォー
脚本:池田亮
美術:杉山至
照明:吉枝康幸

<出演>
香取慎吾:寺山修司
成河:劇団員(白粥)
伊礼彼方:蚊
村川絵梨:劇団員(アパート)
平間壮一:劇団員(暴言)
花王おさむ:劇団員(舌ちょんぎり)
福田えり:劇団員(ミッキー)
横山賀三:劇団員(青肺)
凪七瑠海(宝塚歌劇団):死

浅野彰一:劇団員(犬尻)
小田龍哉:劇団員
葛たか喜代:劇団員
川原田樹:劇団員(ノックノック)
日下七海:劇団員
小林風花:劇団員
近藤彩香:劇団員
的場祐太:劇団員(鶏)
水口早香:劇団員

木村風太:スイング
中野風音:スイング

<演奏>
Cond/Keyboard:太田 裕子
Guitar/Daxophone:内橋 和久
Flute/EWI:坂上 領
Trombone/Keyboard:湯浅 佳代子
Violin:渡辺 剛
Bass:西嶋 徹
Drums:堀越 彰
Percussion:スティーヴ エトウ

<スケジュール>
2024.02.09~2024.02.29(@東京 全25公演)
2024.03.05~2024.03.10(@大阪 全7公演)

上演時間:2時間40分(途中休憩25分含む)
     (1幕75分 <休憩> 2幕60分)

<ストーリー>

1983年5月3日(火)、寺山修司はまもなくその生涯を終えようとしていた。寺山の脳内では、彼を慕う劇団員がキャバレーに集まっている。寺山が戯曲『手紙』のリハーサルを劇団員と始めたところへ、死が彼のもとにやってきた。死ぬのはまだ早いと、リハーサルを続けようとする寺山。死は彼に日が昇るまでの時間と、過去や未来へと自由に飛べるマッチ3本を与える。その代わりに感動する芝居を見せてくれ、と。
寺山は戯曲を書き続けるが、行き詰まってしまう。そこで、死はマッチを擦るようにすすめた。1本目、飛んだのは過去。近松門左衛門による人形浄瑠璃「曽根崎心中」の稽古場だ。近松の創作を目の当たりにしたことで、寺山の記憶が掻き立てられる。2本目は近未来、2024年のバレンタインデーの歌舞伎町へ。ことばを失くした家出女や黒蝶服、エセ寺山らがたむろするこの界隈。乱闘が始まり、その騒ぎはキャバレーにまで伝播。よりけたたましく、激しく肉体がぶつかり合う。
寺山は知っている。今書いている戯曲が、死を感動させられそうもない、そして自身も満足できないことを。いまわの時まで残りわずか。寺山は書き続けた原稿を捨て、最後のリハーサルへと向かう。

梅田芸術劇場「テラヤマキャバレー」公式HP ストーリーより引用



<関連動画>

「テラヤマキャバレー」公演ダイジェスト動画


「テラヤマキャバレー」稽古場



以下は、公演を拝見して想ったことです。
所謂、演者さん等に関する観劇感想ではありませんので、そうしたものを御探しの方は別サイトを御検索下さい。また、個人の考えです。



MY初日の時は「調子の悪い野田秀樹(さん)」その台詞で吹いたことくらいしか観劇感想が書けないなと思ったし、今でも作品自体が届けようとしているものの実体は見えてこない。直感が働かない。こんなことは久しぶりだなと戸惑っているけれど、その後にもう一度観て朧気ながら感じた気配もあったので、(ルヴォーさんの創作意図は別にして)こういう風に受け取った人もいましたよという記録に書きました。


勝手な推測ですけどね、一言で言うと、色々なものの「光と影」。
それは「昭和」という時代や高度成長期がもたらした「光と影」であり、同時期に派生した小劇場(アングラ)演劇という時代と、寺山修司さんや唐十郎さんなどの時代の寵児がもたらした「光と影」
なのかなぁ、と。
強烈な光を放った「時代」や「時代の寵児」は消えてしまったけれど、今の私達は、強い光が放った、その影から続く負の遺産を長らく背負わされているんですよね、無自覚的に。

具体的に言えば、第二次世界大戦での敗戦復興から始まった昭和における高度成長期からバブル崩壊まで、国民の誰もが右肩上がりの経済成長が続くと信じて疑っていなかった時代。利益を上げることが「正」とされ、今では当たり前となったパワハラなんて概念さえなく、国民の税金は業界と癒着した政治家に悪用され贈収賄事件が起こることも珍しくなかった。
やがて日本のみならず世界中の資本主義が度を越えた利益追求を行った結果、破綻したのがリーマンショックであり、バブル崩壊。当初は失われた10年と言われた日本の経済低迷は今や失われた30年に変わったまま今も続いているし、実体の無い株価の高騰のみがマネーゲームのように浮足立っている。その間に生まれ育った人達は「昭和」という時代が残していった負の遺産の(=影)の中で生きている。高度成長期などという夢物語が、もう日本では二度と起こらない未来の中で、何を夢見ればいいのだろう?

小劇場演劇がもたらした概念の一つである「観たい者・解る者だけが観ればいい演劇」。
第一世代の演劇は思想の伝達や反社会でもあったので、それはある意味、正しかったのかもしれない。ただ、昭和という高度成長期の中で、続く第二世代や第三世代の人々は、そうした思想を手放したにも関わらず「観たい者・解る者だけが観ればいい演劇」というスタンスを取り続けた。言わば「観客は素人なんだから解るはずもないんだし、黙ってみてろ口を出すな」を観客側に押し付けて、自分達にとって都合の良い「演劇界」に変えていってしまった。それが成り立ったのは、高度成長期で社会にお金が有り余っていたから、新しもの好きな若者層に受けたので興行として成り立ったという側面があったことと、日本の経済や人口が今ほど減衰に傾いていなかったからだろう。

同時に、小劇場演劇とは別に、日本にも海外からの大型ミュージカルが入ってきて、興行として成り立たせる為の複数キャスト制だったり、元々演劇の基礎訓練を受けていない芸能界の人々が演じるようになっていった(全て興行として成り立たせる為のチケット販売手法の一つとして)。実力ではなくネームバリューが勝るし、演劇として芝居(作品)を観るのではなく、今の推し活のように「人を観る・応援する」ものへ観客の視点が変わっていってしまったことだった。
(この時既に「観客は素人なんだから」の刷り込みが長年に渡って行われてきた時だったので、そうなってしまったのは観客側だけのせいではない)

そうした「時代」と「故意的に操作されたもの」続き、本来、日本では「演劇は全ての人のもの」だったはずが、演劇に関わる人達だけの物だと、あたかも社会通念の如く(演劇界の)声の大きさで書き直され、「演劇」は民衆の手から取り上げられた。
よく演劇界の方々は「観客なくして演劇は成り立たない」と言葉では言うけれど、その実態は、チケットを買う観客がいなければ興行が成り立たないからで、観客の芝居を観る目や想像力や思考力を信頼しているからでは無い。

しかし、時代は変わった。
日本の経済は弱体化し、人口は減り、チケット代は高騰し、演劇が日常生活の中にある人々は激減し、演劇界は客層の若返りに模索を重ねるようになったけれど、果たして、それが根本的な問題解決になるのだろうか?
舞台から見える客席に座っている人々は、「ファン」という一塊の物体では無いし、「応援」をしに来てる人達ばかりでもない。
一人一人の頭には、思考もあれば、想像力もある。
そうした当たり前のことを演劇界が受け入れ、互いに作品を通して「出会う」という演劇本来の在り方に戻ろうとしない限り、娯楽としてのエンターテイメントとしては残るかもしれないけれど、本来の演劇が持つ力だったり劇場という場所がある意味は、観客と共有されることもなく、やがて先細りになっていくことだろう。

今、トップランナーとして走っている劇作家や演出家は、そうした「負の遺産」を増長させてきた世代ゆえに、自分達の非は認めたくないというか立場的にも認められないのだろうし、そうしたトップランナーに憧れたり仕事上の絡みがある現役の演劇人も、そうした「負の遺産」を表立って否定することは出来ないのだと思う。

しかし、もう、残された時間は少ない。
「負の遺産」が正当化される前の時代を知っている、そもそも演劇は観客を含めた社会全体のものだったという時代の人々が近い未来で途絶える前に。「テラヤマキャバレー」という作品の中で過去の強烈な光を観る時、その光と影、今に続く功罪を、色々な立場の人々が見つめ直す時期なんじゃないかと、私は思う。




参考に、小劇場演劇と呼ばれるものの、ざっくりとした流れを。

今でこそ、海外の方々が羨むほど多種多様に広がった日本の演劇界だが、明治以前は所謂今の「伝統芸能(歌舞伎・能・狂言・文楽等)」で、それらが(当時の)現代演劇でありマスメディアとして民衆に楽しまれていて、戯作者や座元は民衆と共にあった、そういう時代だった。
明治になって、歌舞伎あたりから新派が生まれ、その後、歌舞伎や新派とは価値観を別にした翻訳劇などを上演する新劇が生まれた。
詳しくは、ここいら辺を参考に。


時は昭和。戦後の産めよ増やせよがもたらしたベビーブーム(1947年~)の子供達が学生のなった時に起こったのが学生運動で、当時の社会を背景に生まれたのが小劇場演劇(いわゆるアングラ)。その特徴は、一言で言うと既成概念の否定、社会への反発、思想の表現としての演劇だった。

1960年代後半から始まった小劇場演劇において、そのリーダー的な存在が生まれていきました。例えば・・・
 <第一世代 1960年代> ※反体制運動など思想的な傾向が強い
  鈴木忠志さん、寺山修司さん、唐十郎さん、蜷川幸雄さん
 <第二世代 1970年代> ※小劇場演劇をエンタメ化し若者層に浸透した
  つかこうへいさん
 <第三世代 1980年代> ※小劇場ブームなどマスコミとの共存化
  野田秀樹さん、鴻上尚史さん

今回の「テラヤマキャバレー」の主軸となっている寺山修司さんは正にこの第一世代の方で、当時、アングラ(アンダーグラウンド)演劇と呼ばれた中の旗手であり劇団「天井桟敷」の主催者だったし、劇中、唐十郎さんがキャバレーを訪ねてきますが、同世代なんですよね。

ここいらへんも参考に。



そうした時代の流れを踏まえて、今、日生劇場で「テラヤマキャバレー」が上演されているという現実。
小劇場でもなく(収容人数1330名の大劇場ですよ)、日比谷という一等地で、一ヶ月弱の興行が行える。
それはとりもなおさず、国民で知らぬ者はいないんじゃないかと思う主役の方の動員力在りき、の企画だからではないでしょうか?現実問題として。
上の方で書きましたが、演劇が民衆のものでは無くなった後、興行を成り立たせる為に編み出された「スター制度」は、社会全体と演劇という関わり合いから考えたら「負の遺産」が招いたものあることも事実だろうけれど、そうした社会情勢の起因となった小劇場演劇の発端となった寺山修司さんを扱う作品をスターが支えている現実に気付く時、果たしてこれが偶然なのか?それともルヴォーさんや池田さんが作品の中に忍ばせたものなのか?どちらなのかなぁ・・・と、疑問に思うんですね。

「昭和」という時代と時代を牽引した「時代の寵児」が生み出した「光と影」の行く末に生きている私達は、その影がもたらした「負の遺産」に多くの人々は気付いてもいないのかもしれない、と、いうより、気付いたところで演劇界総出で否定されちゃうのが今の演劇界なので、押し黙されちゃうんですよね。
そのまま衰退していくなら、それは日本の演劇界が招いた自業自得だとも思うけれど、「演劇」そのものこそ、この不安定な社会や世界の中で必要とされるものもなく。

「昭和」の時に世界の警察だったアメリカが自国主義に変わり、大国と呼ばれる国々も変わり、そのパワーバランスの中、日本は弱小国の方に転じた。大戦を再び起こさない為に出来た国連も、もはや現在の対応を協調へ導く力は無く、世界各所で戦争や紛争が起こっている。

もし、子供の頃から「演劇的な思考」が身近にあったら、相手の立場に立って考えてみる、という思考回路が育ったかも?しれない。日常の人間関係においても、そうした「思考の術」は、自分から見えるものを広げてくれる。

だからこそ、「演劇」は、「演劇界だけのもの」にしてはいけない。


野村萬斎さんが何かのトークで「日本の演劇はスダレ演劇だ」とおっしゃっていましたが、その意味は、伝芸あり、新派・新劇あり、小劇場演劇あり、ミュージカル等の商業演劇あり、宝塚あり、と、何かが廃れて変わっていくのではなく、色々な種類の演劇が廃れることなく並行して進んでいる、それは現代の日本の演劇の大きな特徴であり、面白さなんだと思います(世界の中でも珍しい国かと)。
その良さは良さとして生かし、負の遺産となって演劇本来の姿や在り方を歪にしているものは是正していけばいいと、心から、思います。