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たまに過ごし方を変えてみる(2/25)

 朝8時頃、マクドナルドに立ち寄った。午前中はここで過ごすことにした。コーヒーとハッシュドポテトを買い2階の窓側の席に座った。電源コードもついている。すぐさまパソコンをセットした。窓の外には地元の山が見える。ネット記事はロシア・ウクライナ情勢の話題で持ちきりだ。ため息をつきながら、いつくかの記事に目をやった。いったい何が起こっているのか、数日前から関心をもって情報に敏感になってはみたものの、その歴史や背景を知らないためか、いまいちピンとこない。専門家によっても解釈が異なる。異常事態だということだけははっきりした。

 時間が経つにつれ、人が増えてきた。店内を眺めるとパソコンで作業をしている人が目立つ。やはりコーヒーは必需品だ。当たり前のように店内にいるが、普段はこのように過ごす機会はほとんどない。他の人は何やら慣れた様子。いやまて、ひょっとして他の人からも僕は慣れた人に見えるのだろうか。

 気付いたらまたニュースを見ていた。ロシア・ウクライナの現状は僕から見ても明らかに異常だ。でも、ロシアやウクライナにとってはいつこのようなことが起きてもおかしくない状況であったのだろう。起きてほしくないことがついに起きてしまったというところか。僕が知らなかっただけ、知ろうともしなかっただけだ。

 論文を読み、考えたことを仲間にメール配信をする。また、大学の研究発表動画を見てコメント、返信をする。論文を読んだり研究発表を聴いたりしても思う。知らないこと、知ろうとしていないことが多すぎると。目を向けようとしていなければ、当然ながら知見は増えないし、考える力も乏しくなる。世間から取り残される。ぼーっとしていてはいけないのだとはこのことだ。

 何が自分にとって必要なのか、関係があるのか、そんなことは分からない。マックのことも、ロシアのことも、論文のことも、最初から自分にとって意味がある必要があるって分かっているようなことはそもそも大したことはない。関係があるかないか、必要か必要ではないか、そんなこと考えていては何も変わらないのだろう。

 今日も発見があった、考えた、見た、感じた、驚いた、その積み重ねが自分自身を少しづつ変化させる。たかだか朝マックしただけだけれど、違う景色、違う人の習慣、違うコーヒーの味、ポテトのうまさ、快適な空間を知ることができた。論文や研究からも考えがうまれた。

 この後、行ったことのないラーメン屋に行こうと思う。そして午後からは行ったことのない図書館へ行こう。

 きょうも、やってみよう。


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