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教師に欠かせない「魅力」とは(3/2)

 昨日、初任者のときに言われた「愛」と「技術」の必要性を述べた。

とは言え、「こんなに子供たちのことを大事に思って関わっているのに」「こんなに研究して、授業をよりよくしているのに」と、愛や技術があっても子供とうまくいかない、授業や学級経営がうまくいかないことは多い。そうなるのは様々な要因が絡み合っていることは言うまでもない。しかし手を変え品を変え・・・と、ハウツー的に解決できるようなことではない。ではどうすればいいのか。それは、愛や技術を支えている「教師の魅力」に目を向けなければならない。

 子供たちが感じる教師の魅力は、おおむね小中高の発達段階によって異なっているようである。河村茂雄氏は小学生の感じている教師の魅力について次のように述べている。(小学校についてのみ紹介する。)

小学生は、教師の人間的な部分と、授業の教え方などの役割を識別していない。したがって、どんなに教え方がうまく、かつ熱心でも、親しみやすさや明るさ、悩みなどを受け入れてくれる対応や雰囲気がないと、その教師に対して魅力を感じてくれず、授業にものってこない、という状況が生まれる。
河村茂雄(2010)「日本の学級集団と学級経営」,図書文化社

また、次のようにも述べている。

「教師の魅力」を感じているとき、両者の人間関係は良好になり、「罰・強制性」を感じているときには、両者の人間関係はマイナスに触れていくのである。
河村茂雄(2010)「日本の学級集団と学級経営」,図書文化社

 小学生の場合、授業がうまい、話し方がうまいといった技術的に優れているかどうかということや、熱心に指導してくれる、親身になってくれるといった愛情深いかどうかということを、区別して教師を見ていないと言える。つまり、「人間性」がそのまま子供たちに影響を与えるということである。(中高になってくると、これらを区別して見るようになる)。

 そう考えると、日常の様々な場面で子供たち(同僚)とどのように関わっているかが重要であると言えないだろうか。例えば、朝子供と出会ったときにどのような表情でどんな声をかけているか、子供たちが用事があって声をかけてきたときにどのように対応しているか、ルールを守らなかった子供に対しどんな指導をしているか、自主的に掃除している子供にどんな対応をしているか、子供の前で同僚と話すときにどんな様子か、など挙げればきりがない。子供たちの目に映った普段の教師の姿を子供たちは「教師の魅力」として捉え(感じ)ているのだろう。

 授業や生徒指導、学級経営がうまくいかないときに、その原因はなんだろうと考える。そのとき、方法論に飛びつく前に、まずは自分の普段の姿を見つめ直してみたい。そして、愛と技術を見直したい。その後、やっと方法を見直すといったところだろうか。

 このように書きながらふと思う。今朝起きた時、妻にどんな様子で「おはよう」と言っただろうか・・・・・・日常の姿を見直す、人間性を鍛えるって簡単ではないが、この意識こそ大事。と、今は思う。



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