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目的と手段、と「前提」(3/11)

 実践研究として、小学校「係活動」で端末とクラウドを使った実践を行おうと考えている。この前、ある方に「ICT機器を使うことが目的ではなく、係活動をするねらい達成のための手段であることが大事なことだ」と指導を受けた。納得できた。目的(子供が資質・能力を身に付けること)が最も大事、ICTを活用することばかりに意識が向いてはいけないとのことである。

 しかし、この目的と手段、とくに「手段」について気になることがある。「手段の一つだ」というのは分かるが、時にそれは「逃げ」ともとれるのである。

 学校ではGIGAスクール構想が推進され、やっと(遅いくらい)ICT環境が整ってきた。しかし一方で課題となっているのが、教員のICT活用の未熟さ、ICT環境を利活用した教育実践の乏しさである。ICT活用が未熟な教員が口にするのは、「まずは手書き」「教科書とノートが基本」「これまでの授業実践を大事に」という自身の経験を基準にした発言である。時代の変化には流されたくない、大きくやり方を変えたくない、これまでの経験を信じたい、ということか。つまり、見方を変えれば、「ICT活用は手段の一つ」というのは、ICT活用に不安があるが故の言い逃れともとれる。

 確かにICT活用は手段ではある。しかし今の時代、ICT活用が「手段の一つ」というのもおかしい気がする。むしろ、ICT活用は学習したり仕事をしたりするための「前提」ではないだろうか。ノートを使うことを手段の一つとは言わない、えんぴつをつかうことを手段の一つとは言わない。当たり前に身の回りにある前提のものである。ICTもそれと同様に前提とならなくてはいけない。身の回りの大人が、いや子供もすでにスマホやタブレットを活用して生きている。

 僕も含めて、ICT活用への意識が変わらない限り、学校の学び方は変わらないと思う。GIGAスクール構想の推進が活性化している今こそ、この意識を変えるチャンスだ。

 「手段の一つ」と言い逃れず、新しいことにチャレンジできる教員でいたい。と、今は思う。

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