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結局一番大事なのはコレかな、と感じていること

※366日間チャレンジ、106日目。

結局一番大事なのは、人と人との間にある肉体という境界線を、心や魂、感覚というものを使って溶かしていって、私たちってひとつだよね、と理屈じゃなく感じ合うことなのかな、と感じている。

でも、言うじゃないですか、
「人との間の健全な境界線を引きましょう」
とか。

これのバランスも難しいんだけど、私とあなたは別だね、だけどひとつだね、という、一見矛盾するようなことを、理屈じゃなく肚落ちするレベルで感じる、というのが可能なんだと思ってる。

それがスピリチュアルってやつなのかな、と思っている。

サグラダ・ファミリアの、てっぺんの塔だか最後の塔だか何かを仕上げるドキュメンタリーを以前見た時に、ガウディの計画が戦争などのためにわからなくなっていて、それをどう形にするかを現代の担当者たちが頭を悩ませていた時の話があった。

それは、ガウディが、最後まで
『ガラスの色を境目がないようにグラデーションしようとしていた』
というエピソードだった。

これって本当に、人の魂とかオーラとか言われるやつそのもののことで。

人と人との存在の間って、違う色の光の玉がそれぞれに大きく輝きあって、その境界の色が、パキッとした境目がなく溶け合っているんだよね。

これを物質で表そうとしたら、まあ、そういうことになるわけで。

スポットライトみたいな、パキッと境目がわかるような光じゃないから、なんと表現したらいいかよくわからないんだけど、とにかく、ほわぁんと光る色が、穏やかにグラデーションしながら溶け合っているというか・・・

夕暮れの空と海の境目がわかりにくくなったりとか、あ、そうだ、夕焼けの空の色が赤から紺色にグラデーションしてる感じというか。

で、それを音で表現するならハーモニーになるし、動きで表現するならダンスになる。

特に音に関しては、合唱とか合奏とかみたいなのは、本当に、魂の溶け合う様子を的確に表してる感じがする。

言葉が分かり合えなくても、同じ音を出すだけで、何かが溶け合うじゃないですか。
ああいう感じ。

違うけど同じだね、ということを、理解し、広めるのが、これからのスピリチュアルの人たちが成すべき仕事なんだろうなと思う。

トップ画像は2015年7月11日、トロントのユニオン駅。
教会みたいだけど駅舎。
この、光の、境目のないふわぁんとした感じを、ガウディは、ガラスで表現したかったのかもしれない。

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