わたしの好きなタイプは太宰治が言ってくれた。
どうもこんばんは。
新年を迎えてもやはり彼氏ができる気配がしません。
アラサーのきむらです。
「好きなタイプは?」
って聞かれたら「こんな人!」って即答できる人はどれくらいいるのだろう。
この質問をされる度に困ってましたわたし。
流行りの有名人とか分からないし、
性格だっていくらでも難癖つけられるし。
優しい人がいいとか、面白い人がいいとか。
それってでも、タイプとは違うよな、と思ったり。
そんな悩めるわたし、太宰治の一言に出会いました。
太宰治なんて、高校の国語の教科書に出てきた羅生門くらいしか読んだことない。(太宰治さんは人間失格や羅生門の、走れメロスを書いた人です。羅生門は芥川龍之介さんです。大変失礼いたしました。ゆゆちゃんさんコメントありがとうございます。ちょっぴり恥ずかしいですが、賢くなったのでヨシ)
そんなわたしにも刺さるくらいの一言を残せるのだから、まさに文豪なのでしょう。
それはさておき。
太宰治の一言とは、
「本を読まないということは、その人は孤独ではないという証拠である」
これ、刺さりました?それともなんて事のない言葉?
わたしにはそれはそれは深く刺さりました。
わたしは本を読むのが好きです。
自分の知らない世界へと連れて行ってくれて、頭の中に新しい世界を作ってくれるから。
そして本を読む人も好きです。
共通の趣味としてもあるけど、本を読む人には想像力だったり、感受性だったり、そういうものが育っているから。と思っていた。
でも、太宰さんの言葉が真理でした。
本を読まないということは、孤独ではないこと。
つまり、本を読む人は孤独であるということ。
そう、わたしは孤独なのだ。
恋愛だったり、友人だったり、家族や職場。至るところで孤独を感じるし、それはなかなか分かち合えないもの。それを埋めてくれるのは確かに本であるかもしれない。
太宰が生きた時代といまの時代は違うから、太宰が言う本がいまの本そのままの役割を果たすわけではないだろうけど、他の娯楽に言い換えてもそうだと思う。
SNSに夢中にならないのは、孤独ではないという証拠。
太宰のような言い回しはできないけど、なかなかしっくりきませんか?
わたしの好きなタイプについて話を戻します。
わたしは本を読む人が好きです。
わたしは孤独な人が好きです。
孤独を知っている人が好きです。
孤独を知っていたら、それを乗り越える強さも辛さも知っているから。
わたしの孤独はまるっと受け入れられるわけではないけど、それは誰だってそう。
でも孤独の辛さ、楽しさ、言葉では表せない気持ちも共有できると思う。
わたしの好きなタイプは、孤独を知っている人だ。
読んだ本の数だけ、孤独が、言葉が通じる人の数が増えると本に書いてあった。
いつかわたしの孤独が通じる相手に出会う人が来るまで、なるだけ本を読んでおこうと思う。願わくばそれが運命の相手でありますように。
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