ごめん、強い人にはなれない

はじめに

なんだか抱負noteを書いている人が多かったので煽られた。広告に煽られるのと一緒。

なんだかカタカタタイピングすることは、僕の中ではもう終わっていたけど、またやりたいと思ったらやればいい。それだけの話し。

歌詞が書きたかったらなぜを書く。そうすれば、人に伝わるかもしれない。

整える

多分2022のテーマはこれ。

僕は弱い人間だ。めちゃくちゃすぐ落ち込む、ダイエットと言われると継続できない。

体力も、、そんなにないからすぐに顔に出る。我慢が苦手だ。楽な方に流れる。

人になぜを聞かれるのも嫌いだ。嫌いは言いすぎかもしれないけど、自分の中で酸っぱいものが胸のあたりに上がってくる感じがするのが嫌だ。

君がしたいことは、君のできることは、君にやらなければならないことは・・・

もう答えるのにうんざりだ。本当はみんなそんな人に興味がないのに。

ここ最近を思い出すと、聞かれるの嫌だなぁ、申し訳ないなぁということが様々に思い出される。

僕の進路のこと、選択のこと、やりたいこと、できること・・・

だから、一旦整えようと思った。

みんな、生活習慣を整えることを馬鹿にしすぎだ。まずはそこからだ。そこだよ、人間は。

同じ時間に寝て、同じ時間に寝る。そして、それなりに健康的なものを口にする。

たまに歩いたり、ジムに行ったり。寒いならあったかくしよう。暑いなら涼しくしよう。

換気もして良いかもしれない。マスクも、苦しかったら少し外して深呼吸。呼吸して酸素を取り入れよう。人間は感情に支配されるけど、支配仕返すことはできない。

そんなときは諦めて早く寝るんだ。

サウナに行ったって、温泉に行ったって、家のお風呂に浸かったっていい。

唐突に大雪な人に感謝を伝えても良い。

お前はこんな文章を書いていないで進路のことを考えろ、そんな風にコメントしてみてもいい。

とにかく自由だ。だからこそ、あえて制限をして整えることが大事だ。

自由と発散は違う。

自由とは制限の中に生まれる。発散は、そうだな、ちょうどこの文章みたいな読みづらいもののことを言う。

そうこうしているうちに隙間風が吹き、温めてくれていた暖房も消えかかる。次の章にいきたい。

影響を受けやすい

僕は人から影響を受けやすい。

あ、いいなと思った曲とか文章はすぐに影響を受けるから、お前〇〇っぽいなって思うかもしれない。

そういえばtake it lowさんに影響を受けてビートメイクをしている。

見ての通り再生回数は53だ。まぁ、ビジュアルとか歌ってるかどうかが大事だから当然。

ただ、僕はかっこいい音楽を作りたいというよりとにかく絞り出すことが好きだ。

同系統の曲は作っていたら飽きるから2,3曲作ったらどう系統の曲づくりはやめてしまう。

でも、いい感じのものを作りたいと思った時に、それでも絞り出てくる粕みたいなものが、僕が作っている音楽だ。

少し出てしまえばあとは勢いで出てくる。それを何度か繰り返して、完成する。

この過程が幸せだ。ないわけじゃない。あるものどう使うか。そしてどう見せるか、どう出していくか、どう表現するか。。。

そんなことが楽しくて仕方ない。

僕はそれをやっているときが一番輝いている気がする。

自分の作った曲が好きだから、自分の作った曲は何回も聴く。

いわば、自分が今まで野球と歩んできて生まれた子どもみたいなものだから。

人生はつながっている、と勝手に思っている。

なるようになる

わからないけど、なるようになる気がする。

僕も大切な人がいる。

自分を、元気にすることは大事だ。自分が元気で、自分が笑顔で、じぶんが幸せじゃないと他の人の幸せは願うことができない。

だから、傲慢な〇〇してあげる、はしたくないが

かといって自己中心的すぎるものそろそろ脱却したい。なんか面白くないし、僕はいろいろな人と繋がれて仲良くなれるのが好きだから。

自分の周りにいる人は機嫌が良いほうが、自分も幸せだ。

だから、僕自身がちゃんとその人に興味を持てるようにとか気遣いしたいなと思える状態。そして心の余裕、視野の余裕、頭の柔らかさを持ち合わせたい。ぼくもこれは、2つ目のテーマみたいなものだ。

身近な人から喜んでいてくれる状態にするというか、せめて自分が介入したことでマイナスにはしたくないなと。

気難しく考えたら、絶対に僕は固まってしまう。だから、ゆるく、弱い人間でもできるくらいで、やろう。僕は弱いことを知っている。

一旦冷静に

そして頭を冷やす。

つい、群がっているものを見ると、冷静さを失ってしまう。

そんな時こそ自問自答。俺は、本当に求めているのか?と。

我慢したさきの幸せ

すごいとこいくための過程は不幸せで、どん底から這い上がったほうが映える気がする。

かっこいいからな。

でもなんでだろう、僕はそれができなくなったのかもしれない。テスト期間、あらゆることを我慢して終わったら解放されるという、解放スタイルに僕はどうしても無理がある。

ここまで見ている人は、自分を弱い人間とか甘えるなと言ってくれても構わない。

十分すぎるほど僕はそのことを自覚している。

しかも、知り合い程度の人が書いたnoteを最後まで見ないことも俺は知っている。人は人に無関心だ。

呪いは呪いである、それだけだ

しなければならないということを呪いという言葉で形容することがある。

もちろん、それはある。ただ、呪いという言葉のニュアンスを上げるんだ。

深夜はおかしを食べるのをやめなければならないという呪いから体型をキープできるということもある。

だから、全てがすべてわるいという意味ではない。わかるだろうか。

結局

結局、自分を整え、解像度を上げ、機嫌をよく、人と過ごす。

これが至高なのかもしれない。

若さという資産を使い切った先に僕には何が残るのか、

それはわからないけど今日もある生命を使って生きていきたい。

2022年もよろしく。

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