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ピアノのレッスンと「恥をかく」

 4、5歳の頃から姉にくっついてピアノを習い始め、途中ほとんどピアノに触らなくなった期間がありつつも、細々続けています。大した腕ではございません。リビングにあるヤマハのアップライトは親友です。
 ピアノの効用は、楽しいということに加え、リラックスだったり脳の老化防止であったりするわけですが、ピアノのレッスンについて言えば、「恥をかくのに慣れる」という効用があると思っています。

 「ピアノを人前で演奏することは、裸で踊るのに似ている」とお世話になっている先生がおっしゃるんですが、言い得て妙。人前で演奏するのはものすごく恥ずかしい。演奏には自分の感性や解釈、心の動きがそのまま表れる。着飾ってメイクばっちりでもそんなもんは何の意味もない。演奏というのは、年齢も肩書きもとっぱらった、素の自分を人目に晒す行為なのですよね。小説とは違って言葉で説明が出来ない分、言い訳もできないしごまかしもきかない怖さがあります。コンサートピアニストの精神力って尋常じゃあない!演奏前にプレッシャーで吐いたりするわけだわ…とつくづく尊敬します。街角ピアノなどで堂々と弾ける方も、すごいすごすぎる(そもそも暗譜がきつい年齢になった私には無理…)。
 しかも私の先生がですね、演奏を聞けばその人が何を考えているのか大体わかるんじゃないか?頭の中読まれてる!?と思うくらい的確な指摘をばしばし繰り出す人なのです。ここまでお見通しの先生の前で弾くというのは、そりゃあもう腹を括らないと無理。未熟な姿を晒すしかない、といつも諦めの境地で臨んでいます。
 そのお陰で、「表現して恥をかく」ということに免疫がついてきた気がします。今でも毎回レッスンは緊張しますが。ちなみに先生はとってもチャーミングでやさしいお人柄で、ちっとも怖くはありません…(ただ洞察力が飛び抜けている…!)。
 表現することは楽しくもあり、怖くもある。でも、一発勝負の楽器演奏に比べたら、小説は準備もできるし修正もきく。うん、平気平気、好き勝手やろう、といい意味で力を抜くことが出来ます。失敗しても死にゃしない、と思っておけばいいんですけどね。なかなかそこまで悟れないもので。

 ちなみに、今弾いているのはバッハのイギリス組曲で、第2番のプレリュードがどーしても弾きたくて挑戦中。この第2番プレリュードといったら、イーヴォ・ポゴレリチ(Ivo Pogorelich)による演奏が最高に好きです。こちらの一番最初の曲がそれ。

 こんな速度ではとても弾けませんが。彼のショパンも素晴らしいですよね。この頃の演奏は本当に神がかっている…。

 というわけで、小説を発表する恥ずかしさや緊張を和らげるのに、別の表現方法であるピアノは効果がありそう、という話でした。
 では皆様、よい一週間を!  



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