記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

「おやこ見習い帖」へのご感想をいただきました!(6)

 やっと剣道大会の疲れから復活いたしました。実は、今週20日より夫母国のイタリアへ7月前半まで参りますもので、そろそろ荷造りしないとまずい状況。何もしておりません。フフ…。まぁ何とかなるでしょう。明日の自分に期待(え)。
 夫が国内二か所の大学で講演をする関係で、義家族のいる町以外(北の端っこ)にもいくつか町を移動します。いずれも素敵なところだそうなので、滞在中にnoteに出没するかもしれません…。
 「おやこ見習い帖」の動向が気になるので、本当はあまり米国を離れる気分でもないのですが、私が気を揉んだところで仕方がない部分もありますし。と思うことにいたします(気になるけれど…!!)。

 さて、こちらで交流させていただいているnazomiさまが、「おやこ見習い帖」のご感想を記事にしてくださいました!6月前半にお読みの3冊に加えていただきました。たいへんありがたく光栄です。
 目次を見落として読み始め、三冊目に取り上げていただいているのに気づいた時には「わぁっ!?」と椅子から落ちそうになりました。嬉しい驚きでした☆

 一気に読んでから、また読み直してくださっているとのこと。ありがとうございます。
 「自然の描かれ方」、「制限のなかで生きる」、「影の主役、三味線」の三点についてご感想を記しておられ、どれも共感せずにはいられないことばかりでした。
 「自然の描かれ方」について、「季節のうつろい、空模様、鳥の声…文章が清冽で心地よく、この国ってこんなに美しかったんだ、とはっとする」とおっしゃっていただきましたが、私も書きながら「日本の四季折々の風景は美しいなぁ」と発見する心地がしました。季節毎に見られる草花、庭を訪れる鳥、空の色、雲の形…調べれば調べるほど、知らない言葉、使ったことのない表現がたくさん出てきて、知らずにいるのがもったいない気持ちになります。
 読み手の方が同じように感じてくださるのはほんとうに嬉しいことです。

 ちなみに…とある花を本編の中に登場させていたのですが、校正から戻ってきた原稿に、「この花は時期的に咲いていないのでは」との指摘が。
…そこまで調べてくださるとは!!と仰天しました。
 江戸時代は旧暦を使用していたので、現代の暦とは一ヶ月ほどのずれがあります(江戸時代はほぼ一ヶ月季節が先行していたと考えていただければ。旧暦2月なら、現代の3月−4月の間の季節感です)。わかっていたんだけど、時折頭がこんがらがって開花時期と旧暦のずれが頭から抜け落ちることがありまして…。
 他にも江戸時代の尺貫法や細かい表記などの時代考証はもちろん、登場人物の年齢の整合性までチェックしてくださったり、登場人物の心情について説明が足りているかどうかなども指摘をくださり。

 校正者様…どれだけ読み込んでいらっしゃるんですか!!と驚愕しました。

 逆に長唄などには特殊な用語が多いため、「これで表記は正しいのか」という問い合わせに「合っています」と説明することもあったのですが。ものすごくマニアックな部分の考証についてはやはり全責任が著者にあるため、印刷所へデータが送られるぎりぎりまで気が抜けませんでした。
 校了寸前に細かい考証ミスが立て続けに見つかり、夜も悪夢にうなされたことも。「直せます!」と即座に対応してくださった担当者様には感謝するばかりです。
 まずミスに気づく読者さんはいないのではという部分でしたが、一度印刷されたら修正がきかない。学術論文ではないのだからとは思いつつも、その時代への敬意は可能な限り払いたいと思っています。
 大名の庶子が三味線の名手で、おまけに凄腕の剣客というファンタジー設定ではありますけれども!(次作なんて胡散臭い千里眼の遊び人が活躍するあやかしミステリーですけれども…!)
 
 ただ、正確ではないと知りつつも、便宜上今の言葉を用いている場合もあります。例えば「藩」という言葉は明治以降に公称されたもので、江戸期には一部でしか使用されていなかったんですよね。
 当時は「藩」ではなく、国持大名(ひとつの地域を丸々領有し転封もない)の領地ならば場所の名前「加賀」とか「薩摩」で呼ぶし、そうでない場合には「支配地名+大名家の名前+家」とか、単純に「ナントカ(大名家の名前)家」などと呼称されていたし、それで通じたのです。もちろん「藩士」という言葉もなく。「ナントカ家家中」とか「ナントカ家家臣」が一般的でした。しかしそれでは読者には分かり辛いし複雑すぎる。ですので本書でも「藩」や「藩士」を使用しています。
 
 話が逸れました。
 次の「制限のなかで生きる」では、「身分や出生地、性別など、変えようもない境遇の中で、腐らず誠実に生きる人々の姿勢に胸打たれる」とおっしゃってくださいました。
 執筆の原動力には、不本意ながらも不自由な、束縛のある世界に置かれた人が、いかにして生きるのか、その姿を描きたいという欲求が常にありまして、自分がそれを知りたくて書いている節があります。登場人物たちにはそれぞれ背負うものや抱えるものがあり、彼らなりの方法で立ち向かおうと苦闘している。その姿に共感していただけるのはたいへん幸せです。

 最後に「影の主役、三味線」では、「久弥が生を全うするためには、「奏でる」ことが不可欠だ、と感じさせるのは、このボリュームの情報という土台があってこそ」とおっしゃってくださいました。
 時代小説には三味線を奏でる場面はよく登場するのですが、それ自体は脇役であることが一般的です。けれども本書では久弥が音楽家として生きていること、また師匠として青馬を導いていくので、何となくチントンシャンと奏でて、それらしい練習シーンを作ってお茶を濁す、という選択肢がありませんでした。よって、三味線の歴史から材質から構造から作り方から…と基礎知識を学び、当時の三味線の形状(時代によって異なります)、奏法、稽古方法、当時の長唄の詞章(時代によって歌詞が微妙に変化します…)、曲の背景、意味等を延々と調べることとなりました…。
 そのお陰で、久弥や青馬の人格についてのリアリティや説得力が増したのではないかと、手前味噌ながら思います。 
 
 本書の産みの苦しみに思いを馳せてくださり、また描いている世界を楽しんでくださり、ほんとうにありがとうございます。
 改めまして、心より感謝申し上げます!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?