コミュニケーション下手を直さない

自分はコミュニケーションの上達を避けてきました

たとえば、世の中の人間は年上、年下の扱い方を人生を通じて学んで、こういう時は適当に振る舞えばいい、このタイプの人には自分から絡めばいい、この人はいじってもいい、この人はいけない等の技術を学んでいくと思うのですが、私はどうもこの手のスキルが皆無でして、反省から学ばないし、学ぶ気力がないというか、面倒くさいという言葉ひとつで投げ出してしまう癖があります。

学んだらいいと十二分に気付いてはいるのですが、そういったことを考えようとすると頭が異様に痛くなったり、恐らくその時の失敗等を考えて心がちくっとしたり呼吸が浅くなることが嫌で仕方がありません。辛抱ができないのです。

コミュニケーションスキルというのは、勉学よりも何よりも大切な能力であり、最も優先して取り組むべき事柄であるのに、著しく興味をもてず、また良くしようという思いがありません。


それゆえ多くの失敗や失言をし、多くの不要なストレスを抱えてきた自負があります。
本当しょうがない阿呆なのに、否定されることへの過度の恐怖から、小さくても守りたい自尊心から、人に相談一つせず30まで生きてきました。


自分なりに、治す努力をしたこともあります。
例えば、相手への感謝の気持ちをもつとか、敬意をもって接するといった考え方です。
これに意味があるかはさておき、
こういった試みが上手くいった(継続した)試しがありません。
人間関係の悩み、仕事などで生まれる不安要素で頭が埋め尽くされると、その試みを無にするといいますか、トライアンドエラーをする体力がないと途中で投げ出してしまうのであります。


巷に溢れている参考本やテレビで得られる情報は、継続する人間にしか効果が出ません。


いけませんね。
もう少し、もう少し生き方を模索していきたいと思います。

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