心理的安全性というお化けワード

心理的安全性というワードが知れ渡ってきた感はあるが、心理的安全性というワードによって間違った主張をしてたりすることがある

自分には心理的安全性があるんだというプライドや謎の自信で何でもかんでも発言する

おそらくそれは違う

一時期、アドラー心理学の書籍「嫌われる勇気」が話題になったときに相手を攻撃することが肯定化されるような捉え方をされたように

自分の中では自己中と自己主張の違いなのかなと着地しそうである

自分の考えを当たり前、正解である前提、もしくは自分の考えを強制するようなことが自己中に近い(べき論とかもそれにあたる気がする)

一方で自己主張は単なる一意見という前提で話す

では、自己主張で話すときにはどんなことに気をつけるのか。それはアサーティブ•コミュニケーションに鍵があると思う。

自分の主張を自分の言葉で伝える。主語は大きくしない、xxさんが言ってたからのような言葉は極力借りない。相手を尊重して、自分も尊重する。

上下関係が前提にあると、自分を尊重せず/相手を尊重しすぎる人、自分だけを尊重して/相手を尊重しない人、ということが自然に起きることが多い。単なる役割の違いだ。人間として接すればいい。

っということで、心理的安全性を高めるために自らができることがあるとすればアサーティブ•コミュニケーションを身につけることだろう。

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