《煲底之約》 (鍋底の約束)という香港デモの歌の話
香港の歌手・阮民安(トミー・ユン)が今月20日にYoutubeにアップロードした曲『煲底之約』について、広東語のお勉強会用に作ったメモを元にした簡単な解説。
日本語訳をブログに書いてくれてる人がいたから、歌詞はそっち見てね。
MVでは日本でも「民主の女神」としてよく紹介されている周庭がヒロインを務めている(相手役の男性は、たぶん日本では知ってる人はいないと思うけど、私の好きな、有名なネット作家)。
歌っている「トミー」こと阮民安は、香港ではなかなか珍しいヤンチャ系の歌手で、「MK文化」と呼ばれる繁華街・旺角(モンコック)独自の若者文化のアイコンのひとりだとか。
「MK文化」については、内容はともかく社会的位置付けについては「渋谷系」やら「原宿系」やら日本の歴代の「〇〇系」(あるいはその前身の「〇〇族」)文化を想像してもらえば当たらずとも遠からずなんじゃないかと思う。
一部の若者の間では確かに流行しているスタイルなのだけど、その他の社会からはその独特なセンスが嘲笑の対象になっていて、このスタイルの男女のことをバカにするニュアンスを込めて「MK仔」「MK妹」すなわち「旺角系男子」「旺角系女子」と呼んだりもする。私にはあまりピンと来ないけど、香港人には「MK」系と言えば共通して思い浮かぶイメージがあるようで、どうやら男性だと派手に染めた髪や腰パン、金のネックレス、女性だと露出の多いミニスカートやショートパンツあたりが特徴っぽい。だから、とりあえず日本の皆様は「ヤンキーファッション」「ギャルファッション」に変換して想像しとくといいんじゃないかと思う。
トミーは「MK文化」の中でも「MK-Pop」と呼ばれるK-Popもどきのカントポップの始祖的扱いをされていて、このレッテルにも流行を無批判に模倣して追従する「MK文化」への揶揄が含まれている。
そんなトミーさんは、今年6月以降の抗議運動に参加していて、特徴的な金髪からすぐに発見されて話題になった。バレて以降は積極的にデモを応援するメッセージを発信していて、この『煲底之約』もデモへの応援ソングになっている。
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「煲」(bou1)は鍋を意味する広東語なので、タイトルは直訳すると「鍋底の約束」。この鍋底は、立法會(国会に当たる)の外にあるデモエリアについたあだ名で、ここではそこで会う約束のことを指している。
(立法会の円筒状の建物が鍋のように見えるからついた呼び名らしい。この「煲」はただの鍋ではなく「電飯煲」(din6faan6bou1)つまり炊飯器のことだという話もあるけど、確かに香港でよく見る足のついた炊飯器に似ているかもしれない)
(Wikimediaのを元に書き足し)
政治の中心部なので、当然多くの抗議運動の舞台にもなってきた。
(今年6月に撮った写真。デモ隊が周りに集まっている)
6月以降抗議運動が持続する中、10月ごろから、抗議運動が勝利したらこの”煲底”でマスクを外して集まろうという約束、「煲底之約」が香港のネット上で語られるようになった。私が最初に見たのは「阿塗」という香港の漫画家が10月12日にSNSに掲載したイラストだった。
この曲の歌詞の内容も、苦難を乗り越えていつか煲底で再会することを誓う内容になっている。作詞は若い民主派立法会議員の鄺俊宇(ロイ・クォン)。6月以降の抗議運動の初期から頻繁に前線に(というか前線のデモ隊と警察の間に)立って精力的に活動する姿が話題になり、一部では「鄺神」とも呼ばれている。活躍しすぎて現場で失神したり、政府支持派に街中で襲撃されたりもしている。
その活躍は一部海外メディアからも「香港デモの”神”」として報じられていた。
(フランスの新聞『Le Monde』の報道。写真がかっこいい)
とはいえ、なんで議員が作詞をと思われるかもしれないけど、実は「鄺神」は作家としても活動していて、ロマンチックな若者向け小説を書いている。
(彼の小説は本屋で立ち読みしたことがある程度だけど、クラクラするほどのピュアな甘酸っぱさになんか恥ずかしくなって買うのをやめてしまった。)
だからこの曲「煲底の約束」の歌詞も(若干のくどさを感じるほど)ロマンチックで、カントポップの王道ラブソング風味になっている。恥ずかしいんだけど、できるだけこの青春胸キュン感が伝わるように訳してみた。
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歌詞のあちこちにしっかりカントポップの「経典」的懐メロからの引用があるのも今風のカントポップらしい。
上で言えば「広い空と海と大地の中」とざっくり訳してしまった部分の「天高 海闊 地厚」は「海闊天空」、「天高地厚」という四字熟語(どちらも世界の果てしなさを表す)からとられているのだけど、これは伝説的ロックバンドBeyondの『海闊天空』と『十八』の中に使われていることでも有名なフレーズだ。
前者は雨傘運動以来の民主化運動のアンセムだし、後者は今回の運動の精神的指導者になっている収監中の活動家エドワード・リョンのお気に入りの一曲だった(『地厚天高』は彼のドキュメンタリー映画のタイトルでもある)から、今回の運動の応援歌への引用としても完璧だ。
他にも「春の風も秋の雨も」(春風秋雨)というフレーズも、ジャッキー・チュン(張學友)に同名の曲がある。
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「煲底見」(”煲底”で会おう)という合言葉はポジティブに見えるけど、4ヶ月続いた運動の中で、ますます先行きが見えなくなり、逮捕者や負傷者の増加で暗いムードも漂う中で生まれた言葉だった。そんな中でなんとか明るい結末を想像して団結を呼びかけるような言葉だし、ある種の終末論的な悲痛な響きすら感じてしまう。
だからそんな重い言葉を、明るいメッセージソングに昇華させたトニーと作詞のクォンさんの功績はすごいと思う。
今までトニーさんはただのチャラいお兄さんだと思っていたし、クォンさんの書く小説も「なんかクサくて苦手」って思っていたけど。
こういう歌が出てきているうちは、きっとまだ香港には希望がある。
(これほどポップなのは稀だけど、他にもいくつか出てるから機会があれば「香港デモのソングブック」としていくつかまとめたいかも)
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