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香港は死んだのか:[書評] 『Found in Transition』

「香港は死んだ」、のだろうか。

香港研究をはじめてからというもの、他の研究者から、あるいは一般の「香港迷」の先輩方から、時には大学の事務職員の方からも、そんな言葉を聞いてきた。「香港はもう変わってしまった」「今さら何を研究することがあるの?」と。香港人自身から面と向かってそう言われることもある。

それはたぶん、私だけの経験ではない。香港は随分長いこと「死んだ」と言われ続けてきた。アメリカのフォーチュン誌が「香港の死」(The Death of Hong Kong)と題された論考を掲載したのは返還を2年後に控えた1995年のことだし、2009年には香港のテレビドラマ『天與地』(天と地;英題『When Heaven Burns』)の中で登場人物が語った「This city is dying, you know?」(死にかけてんだよこの街は)というセリフが話題となった。『十年』のように香港の消失を描く映画だって、定期的にヒットになる。

「香港は死んだ」という時、意味されているのは、たぶん、かつての英領時代の香港とは様変わりしてしまったということだろう。

1997年に返還を迎えてから、香港は本当に変わってしまったのだろうか。私には、どうにも答えられない。当時駐在していた親戚を訪ねて初めて香港の地を踏んだのは、小学校低学年だった1998年11月。すでに返還後1年以上たっていたし、空港も今と同じ赤鱲角空港がオープンしていたから、ビル群スレスレを飛ぶ啓徳空港のあの有名なアプローチも経験したがことがない。私が直接経験した香港は全部「中華人民共和国香港特別行政区」で、返還を機に香港が変わった、あるいは「死んで」しまったなら、私は本物の香港を知らないことになる。

しかし、ならどうして私と同じ世代、少し下の世代の若者たちが、「香港」を守ろうと、あれほど熱心に、「過激」と称されるほどの活動に身を投じているのだろう。彼らだって返還前の記憶はほとんどないか、あるいは今の大学生以下であれば、全くないはずなのに。

とっくに死んだもののために、どうして闘えるだろう。
死体が動くだろうか。キョンシーじゃあるまいし。

その答えはひとつ、香港はまだ死んでなどいないからだろう。

香港は、返還後の激動の中でたしかに様変わりしたかもしれないが、香港独自の「らしさ」を求める意識は決して消えなかった。むしろそれは、「香港の死」への不安が今まで以上に現実のものとして感じられるなかで、より強く意識されるようになってきたとすら言えるかもしれない。若者たちは、きっと、そんな返還後の空気を吸って育ってきている。

香港大学の朱耀偉(Yiu-Wai Chu)教授は2018年に出版された著作『Found in Transition』で、まさにそんな返還後の「変化」(transition)のなかであらためて「見出され」(found)きた香港意識について、文化研究/ポストコロニアル理論のアプローチで検討している。

第1章では香港の街並みの変化について、第2章では香港の特殊な植民地的状況について、第3章では教育の場からの広東語の追放の流れについて、第4章では近年増加する大陸との合作映画の中にひっそりと残る「香港らしさ」について、第5章では昨今の香港映画に用いられる懐メロの効果について、それぞれ考察されている。

どの章も、香港映画研究や香港カントポップ研究で知られた朱先生だけあって、歌詞やら映画のセリフやらポップカルチャーからとった適切な例が散りばめられていて、それがわかる人は退屈せずに読めるし、これから入門したい人は新しい作品に触れるいいきっかけになる。とはいえ研究書なので理論への言及もしっかりあって、ミシェル・ド・セルトー、スピヴァク、デリダなどなどの文化研究界隈のビックネームの思想が適宜参照されているから、そっち方面のアジアへの応用例として香港研究以外の人が読んでも楽しめるはず。

実は、朱先生の前作は『Lost in Transition』(2013)というタイトルで、当時のドナルド・ツァン行政長官政権下の香港で、かつての香港の様々な価値観が「失われる」様子を描いていた。それが、雨傘運動という香港史に残る政治的・社会的激動を経て出版された本作で『Found in Transition』というポジティブなタイトルがつけられているのは、そんな「消失」に抵抗しようとする人々の意思が思った以上に存在することが明らかになったからだ。そう思う人がいる限り香港の文化は消えないし、何度でも再発見される。

これは実は、さほど新しい意見ではない。今では香港文化研究の古典的な扱いを受けているアクバル・アッバスの『Hong Kong: Culture and the Politics of Disappearance』(1997年)が、すでに似たような議論をしていた。タイトルにも入っている「消失の文化」ないし「消失の政治」というのがアッバスの議論で、彼は1982年に中国への返還に向けた交渉が本格化したことで、逆説的に「いつか失われるもの」として(彼の言葉を用いれば「未来完了」系で)香港固有の「らしさ」を表現しようとする文化が増えた、と書いている。その図式によれば、「香港の死」という意識は、常に「香港らしい文化」を求める態度を育ててきたことになる。

そんな歴史を受けてか、本書の序章で朱先生は、「香港は死んだのか」という問いに対して、中国本土の映画『世界』の会話を引用して、「まだ始まったばかり」と答えている:

「幸か不幸か、香港の人々はこれまで『絶望の政治』と共に生きてきた。これは実は『希望の政治』なのだと私は言いたい。未来を取り戻すには『絶望の危機にあっても我々は決して諦めてはならない』のだから。長年にわたる『ショック療法』を通して香港の人々はこの教訓を学んできた。例えば1967年に、1984年に、1989年に、1997年に、2003年に、2014年に。だからこそ香港が困難な時代を迎えているにも関わらず、私は本書で、できるだけはっきりとした態度を取ることを選んだのだ。『私たち死んじゃったの?』、『いいえ、まだ始まったばかりよ』」(p.26)

1967年は左派暴動の年、1984年は返還が決まった年、1989年は天安門事件の年、1997年は返還の年、2003年はSARSと国家安全法反対デモの年、2014年は雨傘運動の年。何度も何度もどうにもならない大きな力に振り回され、その度に「もう終わり」と言われながら、香港は生き延びてきた。

将来この一覧に「2019年」を足すことができるか、香港が今の危機をどのようにして乗り越えられるのかは、正直言って私には(多分誰にも)わからない。でもこの本を読めば、「香港は死んだ」と言っているだけでは、あるいはそういう声に耳を傾けているだけでは見えてこない香港の今がわかるはず。

香港はどう変わったのか。そんな変化の中で香港の人々が失いたくない「何か」とはいったいなんなのか。それを再発見/再構築していくためにどんな手段が取られているのか。日常生活の中、日々のポップカルチャーの消費の中からその感覚を掴み取ろうとする本書には、「民主のため」、「自由のため」(あるいは「中国が嫌いだから」)と単純化されて説明されてしまいがちな香港の昨今の政治運動についても、その背景にある返還後の香港の人々の日常的な意識を考えるヒントが詰まっている。

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「香港は死んだ」とこれだけ言われる今、いったいなんの研究をするのか。こんな危機的状況の中で、どうして文化研究の話なんてできるだろう。今年の6月以降、自分自身も不安になって無力感に苛まれることもあるけれど、本書の議論を借りれば、今だからこそ痛烈に意識されている、「変化の中で見出されて」いる香港の文化があるからだ、と言える。こんな困難な時代だから、今の香港だからこそできる文化の研究がきっとあるはずだ、と信じている。■


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