香港が香港でなくなるとは私たちにとってどういうことなのか 【書評『辺境の思想』】

半年前に依頼されて書いた書評が、このタイミングで公開になりました。

福嶋亮大先生と張彧暋先生が往復書簡形式で日本と香港の文化・社会を語る『辺境の思想:日本と香港から考える』の書評です。

こちらのリンクからダウンロードできます。

お二人の先生方の鋭い分析をお借りしながら、香港を戦後日本の文化的パートナーとして位置付けることを試みています。

同じようなことは、このnoteの過去の書評でも書いたことがありましたが「香港が香港らしさを失うということは日本の人にとってどんな意味を持つのか」という問いに、「民主」や「自由」などの政治的価値、あるいは国際金融都市としての経済的価値というものを持ち出さずになんとか自分なりに答えられないものだろうかと苦悩してみた結果です。

書評の文章自体は、先述の通り、半年前に書いたものです。

この半年、香港でも世界でも、執筆時にはほとんど想像できなかったような出来事が起こりましたが、今になってこの問いがよりタイムリーなものになってしまっていることになんとも言えない気持ちです。

「香港が終わった」と語るのは簡単ですが、今それ以上に私たちに求められているのは、「香港の終わり」ということが、香港の人々にとって、そして私たちにとってどんな重要な意味を持つのかということを親身になって想像することではないでしょうか。少なくとも、今はそれが私にできる最低限のことだと思っています。

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