「いつの日か君とほっと一息」:2022年1月〜3月の香港カントポップ(1)【注目のヒット曲編】
いま香港の音楽シーンがアツい。
2021年には、暗い社会情勢の中でMIRRORというアイドルグループが大流行し、カントポップ(広東語ポップス)業界全体が全体が大いに盛り上がった。それについては顛末については以前連載にまとめた。
今回の記事では、その追加報告として、2022年に入ってからの3ヶ月間、香港でどんな曲が多く聴かれていたかをSpotifyが毎週金曜日に公開しているWeekly Chartのデータをもとにまとめ、香港の音楽業界の最新の動向を追ってみようと思う。
2022年1月〜3月の再生数トップ20
まず2022年の1月から3月の間、SpotifyのWeekly Chartにランクインした楽曲の再生数を合計し、この期間に香港で最も再生された曲トップ20を調べた。各週チャート圏内の200位以上に入ったものだけを集計しているので、圏外だった週の再生回数はカウントされない(200位未満の曲の再生数はそもそも少ないはずなので、この上位ランキングには影響を与えないとは思う)。結果は以下の通り。
2021年に引き続きMIRRORが圧倒的人気かと思いきや、1位、2位、4位を獲得する圧倒的な成績を収めたのはMIRRORのメンバーではなく、張天賦だった。
年初からの累計なので、集計開始段階で既にリリースされていた曲の方が有利になる。そのため、ランクインしているのはほとんどが2021年1月以前にリリースされた曲だが、9位の『留一天與你喘息』と16位の『某種老朋友』の2曲は、2月半ばのリリースにもかかわらず食い込んでいる。特にトップ10内に入っている『留一天與你喘息』は、すごい勢いで再生されただろうことがわかる。
トップ20の中では、2020年4月リリースの姜濤の『蒙著說愛你』が一番古い楽曲だった。また広東語以外の曲でトップ20にランクインしていたのは、韋禮安の『如果可以』とThe Kid LAROIの『STAY (with Justin Bieber)』のみである。
2021年のSpotify再生数をまとめた記事では、香港の音楽ファンが、海外の音楽や懐メロではなく、再び最新のカントポップに関心を抱き、聴くようになったことが指摘されていた。少なくともトップ20を見る限り、その傾向は今年もまだ続いていると言えるだろう。
この20曲の週ごとの再生回数の増加も棒グラフにした。20本もあるとごちゃごちゃして見づらいと思うので、目立った動き方をしているものだけ色をつけている。
やはり『留一天與你喘息』が急上昇して順位を上げていることがわかる。
またほとんどの曲は時間が経つと再生数の上昇が緩やかになっていくが、姜濤の3作『Dear My Friend,』『鏡中鏡』『Master Class』だけは、むしろ後半に尻上がり再生数を伸ばし、順位を上げている。
2022年1月〜3月各週の再生数トップ3
さらに2022年に入ってからの13週間、それぞれの週に再生された回数が多かった上位3曲をまとめると以下の通りになる。
この期間にトップ3に入ったことのあるそれぞれの楽曲の週ごとの再生数の推移をグラフにまとめると、以下のようになる。
こうしたデータからは、2022年の最初の3ヶ月の特徴的な動向が見えてくる。
(1)序盤は圧倒的に張天賦(MC)の楽曲が人気
2022年の1月〜2月上旬にかけては、昨年デビューした男性R&Bシンガーの「MC」こと張天賦の歌が圧倒的に多く再生されていた。期間中の再生数1位、2位を獲得したのも彼の楽曲である。
トップ3を独占する昨年の新人王
MCはテレビ局ViuTVが2019年に放送したオーディション番組『全民造星II』をきっかけに見出され、昨年ワーナーからデビューすると、セカンドシングルの『反對無效』がヒットし、同じ『全民造星』の第1回出身であるMIRRORに匹敵する人気歌手となった。今年の元日に行われたラジオ局商業電台の音楽賞「叱咤樂壇流行榜頒獎典禮」では新人男性歌手部門で、MIRRORのメンバーであるイーダンを抑えて金賞を受賞している。
2022年に入ってもその人気は衰えず、デビュー曲の『Good Time』が3月以降圏外に転落したのを除き、昨年リリースした全ての楽曲が毎週再生数トップ200に入り続けている。特に『記憶棉』、『反對無效』、『時候不早』の3曲は、1月〜2月上旬にかけて、ほぼトップ3を独占していた。
歌もラップもできて、英語でも広東語でも(噂では韓国語でも)なんでも歌いこなしてしまう抜群の歌唱力に加えて、端正でどこかワイルドな色気のあるルックスも相まって、間違いなく現在の香港で一番人気の若手実力派歌手となっている。
共演者キラー、人妻キラーの噂
年始にはちょっとしたスキャンダルもあったりもしたのだが、再生数を見る限り、まったく人気は衰えていないようだ。それどころか、もしかすると色男的なイメージも、彼の歌うラブソングに重みを持たせているんじゃなかろうか、とすら思う。
(以下は下世話なゴシップなので興味のない人は読み飛ばしてほしい)
1月のはじめには、自身の楽曲『時候不早』のMVに出演した鍾卓穎(Ash)と前年のクリスマスイブに2人でスーパーで買い物していたことが話題になった。
Ashは、昨年放送された女性版MIRRORの結成を目的とするオーディション番組『全民造星IV』の出場者でもあり、オーディション自体は途中で落選したものの、そのルックスから視聴者の注目を集め、多くの広告にも起用されていた。
AshとMCの密会が話題を呼んだ理由は、彼女が人気者だったからだけではなく、既婚者だったからだ。アイドル志望のオーディション参加者が既婚者であったという事実は、番組放送中から一部のネット民をざわつかせていたが、年末には彼女の台湾人の夫の意味深なSNS投稿から不仲も噂されていた。1月に入ってからは、Ash自身もSNSで離婚を認めている。そうしたタイミングでのクリスマスイブ買い物騒動だったので「MCとの関係が離婚の原因では?」との憶測を呼んだのだ。
(この「事件」の細かな時系列は、こちらの香港のネット記事に詳しい)
MCの『記憶棉』は、寝具の綿の感触に別れた恋人との記憶を思い出すというやや艶めかしい歌詞をもつ失恋ソングだが、大晦日には間の悪いことにAshがViuTVの番組で情感たっぷりにこの歌を披露する動画が投稿されていた。
などなど、疑惑の3角関係を思うと意味深な歌詞のオンパレードに、この動画のコメント欄は「やたらうまいと思ったら、本心のこもった歌唱なわけだ」「元夫も”独りに戻っても侘しく思わない”といいな」など、MCとのスキャンダルに関連づけたコメントだらけになってしまっている。
(なおAshのInstagramアカウントはもっと酷い炎上状態が続いていて、芸能活動も今なおほとんど自粛状態にある)
その後MCは、さらに『反對無效』のMVに出演した別の女性、陳濬樺(Santis)と買い物をしている(らしい)写真も流出したことで、騒動がさらに加熱した。
SantisはYoutubeチャンネルFHProductionのメンバーで、その代表と恋仲にあるとされ、さらに彼と極秘結婚しているのではないかとも噂されていた(なおこのスキャンダル後の2月、彼女はチャンネルとの契約を解消している)。
連続して二人の既婚者(とされる女性)との疑惑が出たことで、MCを「人妻殺手」(人妻キラー)と形容するメディアもあった。
『反對無效』は、どれほど周りに反対されようとも貫きたい愛を歌う歌で、これまた不倫の歌として解釈することも十分に可能な歌詞のオンパレードだった。
もちろん、どちらの楽曲にしてもラブソングとしてはありがちといえばありがちな表現で、不倫にひきつける解釈はただのこじつけにすぎない。またMCの事務所は2人との関係について「ただの仕事上の友人同士」「スーパーではパーティの買い出しをしていただけ」と疑惑を否定しているので、噂の真相も不明だ。
少なくともこんなゴシップが大きな話題になるほど彼が人気だという証拠でもあるだろう。また人々がMVに出演した女優との関係を思わず邪推してしまうほどに、彼の歌はリアルな雰囲気を備えている、とも言えるかもしれない。
ただとにかくこの疑惑以降、リスナーたちはどうしても、彼の歌うロマンチックなラブソングにプレイボーイの色香を嗅ぎとってしまうようになった。先述のAshのカバー動画には「『記憶棉』と『反對無效』がこんなにも立体的な作品になり得たなんて、MCは本物の芸術家だ」という皮肉も書き込まれている。
今年に入ってからはまだ新曲は発表していないが、もしリリースされたらMVともども、いろいろな意味で大きな注目を集めることは間違いない。
実力は間違いない歌手だけに、今後も彼が(そしてAshも)、ゴシップを乗り越えて活躍してくれることを願いたい。
(余談:Santisの方はその後3月にラッパーNovel Fridayのメロウな新曲『小鹿亂撞』のMVに出演している。小鹿亂撞=胸がドキドキは、MCがSantisとのMV撮影の記録として公開したVlogのタイトルでもある。これは偶然なんだろうか……)
(2)現時点での年間ベストヒット候補『留一天與你喘息』
MC無双だった1月〜2月前半だったが、2月の中盤以降は、2月14日にリリースされたMIRRORのメンバー陳卓賢(イアン・チャン)のソロ曲『留一天與你喘息』が『記憶棉』を抑えて1位を獲得している。この曲は期間中の再生数トップ10にも2月以降リリースの楽曲で唯一ランクインした。
タイトルは日本語に訳すなら「とっておきの一日に君と一息」あるいは「いつの日か君とほっと一息」のような感じだろうか。そばにいるだけで心が軽くなるような「君」と、1日限りでいいからゆっくり過ごしたいという願いが歌われている。
リリース直後から急上昇したヒットソング
そんなささやかな願いを歌うバラードであるこの曲は、リリース直後から急速に再生数を伸ばした。同じMIRRORの他のメンバーが今年に入ってリリースした新曲と比べても、その伸び率はおそらくトップである。下のグラフでは、MIRRORメンバーの新曲(と一部参考用に他の歌手の新曲)の再生数を週ごとに足していき、累積再生数を示した。青色で示した『留一天與你喘息』が最も急な角度で再生数が上昇していることがわかると思う。
個人の人気ではなく、歌の人気でヒットに?
この再生数の伸びは、イアン個人の人気というより、楽曲そのものの人気だと考えるべきだと思う。彼の他のソロ曲と比べても圧倒的に再生されているからだ。おそらくふだんから彼の曲を積極的に聴いている固定ファン以外の間でも、この曲は多く聴かれているということだろう。
聴けば人気の理由もなんとなくわかる気がする。先述の通り心を寄せる相手と「ほっと一息」つける1日を願う切ない歌詞、イアンが自作した優しげなメロディ、それを歌い上げる彼のやわらかい歌声、さらにオダギリジョーとも共演経験のある女優・モデルのアンジェラ・ユンが出演する映画のようなMV(精神病院から抜け出し束の間の自由を謳歌する男女を描いているらしい)と、どこをとってもこの曲には繊細でどこか儚い美しさが溢れている。
似非日本語で仮歌を録音した香港製J-Pop?
作詞をしたOscarは1990年生まれの新世代の作詞家で、イアンとは小中高が同じ同窓生でもある。93年生まれのイアンとは少し年は違うけど、そんな縁もあって話しやすいので、彼の心情にあった曲は作りやすいとか。
ラジオ番組でのインタビューによれば、Oscarが広東語詞をつける前に、イアンは日本語(っぽい)仮の歌詞をつけてデモ音源を録音したという(一部公開されていたので聴いたけど、日本語話者の私には日本語には聞こえず、韓国語っぽく聞こえた)。そのせいか完成版も全体の雰囲気がJ-Popのバラードっぽくも聴こえる。
広東語には語尾で「っ」と息を止める発音があるため、カントポップの歌も普通はところどころにスタッカートが入ったような、歯切れのように歌い方になりがちだ。たとえば上のMCの『記憶棉』のサビの歌詞を例にとって、広東語の発音をアルファベット表記すると以下のようになる。
-t、-kで終わってるところが語尾で「っ」と息を止める発音の部分。特に-uk, ikの時は短く止めないといけない(-okは母音を伸ばしてから止める)。他にも-ingのところとかaaじゃなくてaが一つしかない「sam」とかも、母音を短く発音する必要がある(私は音声学の専門家ではないのであまり信頼はしないでほしい)。上では特に短く止める発音の部分を太字で示した。なので自然と「はーでんっ きゅっ さんっ うぃふぉっ だんさんっ どうばっ ごーふぉんれょーん そっ せょぃなーはっ わんめいさっ いぇっ おーいぇっ なんちぇんっいょーん」のように音を区切るように歌うことになる(Ash版の方がわかりやすいかも)。
でもイアンの『留一天與你喘息』ではこの本来の発音の規則を一部無視して、日本語のように滑らかに音をつなげて歌っている(気がする)。
たとえば歌い出しの以下の部分:
上と同じく短く発音されるべき箇所を太字で示した。特に最後の韻を踏んでいる「-ik」は、広東語の発音の本来の決まりとしては短く語尾を切るようにして「セッ」「テッ」「イェッ」のように発音しないといけないはず。だけどこの歌では、最後の「卻竟得到你呼應」はちゃんと短く区切るように発音されているけど、そこまではあえて語尾をやわらかくして「モウソウチード〜コー ホ〜ハンウォタンセ〜 マイサッリゥオー フーノウタンテ〜 チンチューオーチーヤウ ソウセィゲィイェ〜」と伸ばしてつなげているように聞こえる(止めるべきだけど伸ばしているところを「〜」と表記している)。
もしかしたらこの「似非日本語」っぽいイメージの曲作りも、この曲のやわらかい印象に一役買っているのかもしれない。
日本のミュージシャンでも洋楽風の楽曲を作曲するために似非英語を使って仮歌を作って、完成版もあえて発音を英語風に崩した日本語で歌う人はロック業界を中心にけっこういると思うけど、反対に似非日本語で曲を作る歌手がいるということ、そしてそうして作られた楽曲がヒットするというところに、日本から見た香港音楽業界のおもしろさがあると思う。
(3)根強い支持を受ける姜濤が首位を奪回
単一の楽曲の人気で再生数を一気に伸ばし、MCの牙城を崩したイアンとは反対に、同じMIRRORのメンバーでグループ屈指の人気を誇る姜濤(キョン・トウ)はファンからの根強い支持を受けながら複数の曲の再生数をじわじわと伸ばし、3月後半にトップを獲得した。
伸び悩んだ人気No. 1歌手の新曲『鏡中鏡』
元日の叱咤でもリスナー投票部門で男性歌手賞と楽曲賞の2冠(前年に続き2年連続)に輝いた彼だったが、翌日にリリースした新曲『鏡中鏡』の再生数は若干伸び悩み、1月中は週ごとの再生数ランキングでも最高で10位だった。MCの楽曲に遠く及ばないのはおろか、自身の前作である『Dear My Friend,』も下回っている。
彼の人気を思えば、正直なところやや不発だったという印象が拭えない。
その理由ははっきりはわからないけど、あえて推測するとすれば、この曲はポップソングとしては少し難解だったのかもしれない。
Garethの作る曲は今風だが盛り上がりどころがわかりにくい
『鏡中鏡』の作曲者は新進気鋭のR&BシンガーGareth Tong(中国語名:湯令山)で、姜濤とは前年3月リリースの『Master Class』でもタッグを組んでいる。
Garethはメロディの展開ではなく、リズムやループを中心に楽曲を組み立てていくR&B/ヒップホップ的なアプローチをとるソングライターで、『Master Class』でもイントロから繰り返される「ポンポンポン」という伴奏や、サビ頭の「なーなーなーなーな」というスキャットが生み出すリズム感が前面に出ている。
そんな彼の曲はノリがよく「今っぽい」新鮮な感じはするが、メロディの起伏や盛り上がりには欠けるので、はっきりしたAメロ、Bメロ、サビからなる旧来のカントポップに親しんできた人には「わかりにくい」のではないかと思う。
『鏡中鏡』の作詞を担当した小克も「そもそもメロディーが速すぎて旋律が聴き取れない」「区切りもわからないし、聞き慣れたポップスの比較的メロディックな旋律形式ではない」ので作詞には難儀したと語っている。
(Gareth自身が昨年末にリリースした『勁浪漫 超溫馨』も、似たようなメロディの繰り返しの中でじわじわと盛り上がっていく楽曲である。それまでのGarethは英語曲を中心に歌っており、広東語曲のリリースはこの曲がはじめてだった。彼のようにそれまでカントポップ業界の外側で活動をしてきたアーティストの参入が、昨今のカントポップの音楽スタイルに新鮮な風を吹き込んでいるのは間違いない。)
小克の歌詞は玄人ウケはするが難解
それでも『Master Class』は、まだぎりぎりわかりやすいポップスとしての体裁を保っていたような気がする。ベテラン作詞家の黃偉文が手がけた歌詞には「巨匠直伝の指導=master classを拒否し、自分なりの道を歩もうと決意する新星」というわかりやすいメッセージ性やポジティブさもあった。
でも『鏡中鏡』の方は、歌詞も難解な印象だ。作詞者の小克は、MIRRORのJerのソロ曲を多く手掛けてきたが姜濤の楽曲を担当するのはこの曲が初めてだった。
小克はもともとはパンダのキャラクター「聾貓」などで有名な漫画家だったが、次第にポップスの楽曲の歌詞を改変したパロディ作品などでも知られるようになり、本格的な作詞も手がけはじめた。
作詞家としての出世作の一つである陳奕迅への提供曲『Allegro, Opus 3.3 am』も締切が迫る中で言葉を捻り出す作詞家の気持ちを歌う歌だった。
この曲の発表と同じ2009年には、その陳奕迅をダシにした『如果我是陳奕迅』(俺が陳奕迅だったなら)というヒット曲の作詞も手がけている。
今ではより真面目な作詞もしているけど、パロディ作品にルーツを持つためか、歌詞の中に言葉遊びや他の音楽作品、文学作品への言及が非常に多いのが彼の作詞の特徴だと思う。たとえば彼が手がけたJerの楽曲は、それぞれの歌詞世界がつながった組曲形式をとっているが、重生三部作と呼ばれる『狂人日記』『砂之器』『人類群星閃耀時』は、それぞれタイトルが魯迅の『狂人日記』、松本清張の『砂の器』、ツヴァイクの『人類の星の時間』と著名な小説の題名から取られている)。
また『狂人日記』には次のような一節がある。
最後の1文の「披」はビートルズの中国語表記である「披頭四」の頭文字であり、「ダイヤ」「ルーシー」「天幕」といった言葉は、彼らの名曲『Lucy in the Sky with Diamonds』を連想させる。同曲はタイトルの頭文字をとると「LSD」になることから、ドラッグソングではないかと噂されたことでも有名だ。そこから類推すると、この部分の歌詞は、深夜に大音量で音楽を聴きながらドラッグをキメる様子を描いたものだろう、と考えられる。
(MVにもJer扮するロックミュージシャンが白い粉末を吸って陽気に笑うシーンがあり、たぶんこの解釈は正しい)
こういう連想ゲームのような歌詞は解釈するのは楽しいし、隠された意味に気づいた時の快感もあるから玄人ウケはするけど、ちょっと聴くだけではわかりづらい。
『鏡中鏡』の歌詞も、姜濤が人気者になる過程で感じたさまざまな葛藤、特に外から見たイメージと自分自身の内面との葛藤が歌われているっぽいのはなんとなく推測できる。まさにタイトルから想像できるように、鏡の中の自分を見つめるような内省的な歌詞なのだと思うのだけど、少なくとも私の読解力では、全体として「こういうメッセージの歌だ」というのはよくわからない。
(ちなみにタイトルは例によって引用で、エストニア出身の現代音楽の作曲家アルヴォ・ペルトの作品『Spiegel im Spiegel』=鏡の中の鏡から取られている。)
謎めいた哲学的な歌詞なので、いろいろな人が解釈を試みている。たとえば著名な香港の作家である董啟章もこの曲についてコラムを書いている(『地図集』という作品が日本語訳もされていて、国際的な評価も高い大物作家である)。
言葉のプロである作家がじっくりと考察したくなるほど芸術的な歌詞なのだから、素人には難しいのも無理はないだろう。
わかりやすいロングヒットバラード『Dear My Friend,』
というわけで『鏡中鏡』は、曲・詞ともに少し難解な曲だったと思う。再生数を見ても、この新曲よりも、前年8月にリリースされた前作『Dear My Friend,』の方が多く再生され続けている。こちらはメロディの起伏がわかりやすいバラードで、歌詞も「姜濤が亡くなった親友への想いを歌う」という明確なメッセージを持っている。こちらの方がやはり一般聴衆のウケはよかったのだろう。
(元日の「叱咤」音楽賞では、受賞後のパフォーマンスでこの曲を歌おうとした姜濤が亡き親友への思いから泣き崩れ、歌えなくなってしまう場面もあった)
新曲の伸び悩みから、今年の3月の半ばには、Spotifyの再生数のデータをもとに「姜濤、MCに追い越される」的な記事を書く香港メディアもあった。
でも強固なファンベースを持ち、安定した人気を誇る姜濤の楽曲はじわじわと再生を伸ばし、3月の後半にはトップに返り咲いている。件の『鏡中鏡』も3月末にはリリース以来最高位となる第3位を記録した。冒頭でも貼ったトップ3楽曲の再生数推移の表を見ると、他のアーティストの楽曲がリリースから時間が経つごとに週当たりの再生数を落としていく中、姜濤の2曲は比較的安定して微増し、最終的に上位になっていることがわかる。
こうしてじわじわと再生回数を伸ばしていった結果、累計再生回数でも『Dear My Friend,』がギリギリのところでMCの『時候不早』をまくって3位に入った。『鏡中鏡』と『Master Class』も後半に大きく順位を上げている。
リリース後も安定して長く聴かれているのは、彼の楽曲が固定ファンの熱心な支持を得ていることの表れだろう。ただ、それだけでは後半の伸びは説明できないので、彼のファンが増加し続けているということか、あるいは彼の楽曲には長く聴くほど良さがわかる独特な味のようなものがあるということなのかもしれない。
いずれにせよ、このように新しい曲が強いとは限らず、長く聴かれ続ける楽曲も評価できるところがメディアの発表する新曲中心のウィークリーチャートにはない、音楽配信サービスの再生数ランキングのおもしろさだろう。
次回:注目の新人、新世代の作詞家
この前編ではMC、イアン、姜濤の3名のヒット曲を見てきたが、トップ3楽曲の中にも取り上げられていないものがまだある。また、当然トップ3には入らなかった中にも、注目すべき楽曲はまだまだある。そこで、次回はもう少し幅広く、今後の香港音楽シーンで注目すべきアーティストを紹介したい。
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