産休2.5ヶ月めの振り返り
タイトルを書いて、我ながら長い産休だなあ思った。双子妊娠のため予定日の14週間前から産休中。単胎妊娠の倍以上である(単胎の場合、出産予定日の6週間前から取得可能)。
産休1ヶ月のふりかえりでは胎動に関する違和感と漠然とした不安について書いた。
今ではその違和感や不安はほとんどなくなった。なぜかというと2つ理由がある。
一つは夫に話してみたから。あまり理解できなかったようだけど「夫がお腹に話しかけているときはポジティブな気持ちになる」と伝えたら、より話しかけてくれるようになった。(嬉しい)
もう一つはコーチングで話してみたから。そこで発見した2つのことが大きく影響している。
一つは、胎動を違和感があると感じたい自分がいること。二つめは、胎動も双方向のコミュニケーションであること。
一つめに関しては、「胎動そのものが違和感なのか」「胎動を感じる自分に違和感なのか」とコーチに問いかけられて気づいた。
私は自分と子どもは違う人間であって、お腹の中にいるときから子どもは1人の人間であると思っている。1人では生きられない存在ではあるけれど、赤ちゃんであっても意思があったり快不快の基準がある。
同時に「子どもに自分の願望を押し付けたくない」「自分の経験を投影したくない」という気持ちも強くある。
そうなりたくないから余計に「自分と子どもを分けたくて胎動にも違和感を感じたい」という自分がいたのではと思った。
そして、二つめ。お腹の子どもとコミュニケーションがとれるということ。
胎動は一方通行でこちらの意思ではどうにもならない。外と中、お互いに一方通行だと思っていた。
しかし、動いたところを触ったり、声をかけたり。相手の反応はわからないけれど、双方向のコミュニケーションになり得るということ。(科学的にではなく、気持ちの問題として)
そういえば、夜寝れないとき。お腹でぐわんぐわん動いていて「そうか2人も起きているのか。まだ寝ないで」と思ったことがあった。
私にとって胎動が生きている証であること以外、はじめて感じたポジティブな出来事だった。
そして今、胎動が逆に気持ちがいいときがある。それは違和感を感じていたときの胎動と違い、骨ばったようなゴリゴリとした動きになったからだ。
「なーんだ身体的な問題だったのか」と思わなくもないけれど、お腹の中にいるときにコミュニケーションがとれる存在だと認識できてよかったなあと思っている。
これから
フォーカスしているのは、一つは、出産までの残り時間を自分らしく過ごすこと。2つめは、穏やかに過ごすこと。
自分らしくとは、好きなことに没頭すること。今だとTOEICと社労士の勉強。新しい環境に備えた居住空間づくり。
穏やかにとは、自分の身体が気持ち良い状態でいること。
塩分の多い食事をとるとすぐむくむし、勉強を頑張り過ぎるとものすごく疲れる。
コロナも増えてきて、予定通りに病院で産めるのか、産後のサポートは受けられるのか。
不摂生は自分の身体にすぐ跳ね返ってくる。「自分の希望を満たせないストレス」がある一方で、満たさないほうが身体としては状態がいい。だから、身体のほうを優先する。
コロナにまつわる不安。準備はしておくが、まだその問題は何も起きていない。毎日いつも通りに過ごす。
産まれるまでの日々はそんなふうに過ごしたい。
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