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塩梅

私は見栄っ張りだ。
「いい自分」をいつだって演じてしまう。
だから、人と本音で話したことがあまりない。
常に頭の中でこれを言ったらどうなるかを考え、自分の写り方を計算し、ものを言う。
愚痴も、褒め言葉もそういうことは全部、それを言うべきかどうか判断してから言うのだ。

決して悪いことではない。
この癖のおかげか、これまでの人生で他人と大きくぶつかったりしたことはまずなかった。
協調性があり、冷静で客観的だとさえ言われることもある。

けれど、そのせいで言おうと思って言えなかった言葉たちが私の中に積もっている。
こんなこと言ったら、こう思われるかも…。と考えて、ぐっと飲み込んだ言葉の数々。
言いたくて言えなかった言葉は消えない。
言えなかった言葉は自分の体の中で分解されず、溜まり溜まって毒になるんだと最近知った。
今ちょうどその毒が全身に回っているからだ。

私が日頃、人に向かって話すことは私の中の上澄みだけ掬った薄くて当たり障りのないものばかり。もっともっと深くに匙を入れてみれば、私の中にはドロドロした毒が沈んでいる。
それがきっと私の本音なんだと思うけれど、怖くて自分でも触れられない。

私の話す人工的な薄さに気づいて、私の毒を底から丁寧に掬いあげてくれる人がいたらいいのに。
そう思うのは傲慢だ。
自分でかき混ぜなければいけない。

自分でいい塩梅に建前と本音をかき混ぜて提供することが、社会人としてのマナーなのだろう。
私はそれが下手なんだ。
人に出すのは建前ばかりで、本音が少しも入っていない。出さなかった本音はどんどん自分の中に溜まっていく。
建前と本音をいい塩梅で混ぜて話すことができる人は、いろんな人から好かれている気がする。
そういう人をみると、いいなあと思う。

結局、私はどこまでいっても他力本願で、誰か私の本音を掬って!お願いそのままあなたが飲み込んで!なのだ。

…美味しい建前と本音の比率を誰か教えてはくれませんか。
美味しくできれば、私も誰かに提供する勇気がでるかもしれません。


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