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あなたに映画を愛しているとは言わせないなんて言わせない

2022年2月12日(土)に恵比寿映像祭で『映画愛の現在』三部作が上映される。「映画愛」と銘打ってはいるが、特定の「」のかたちを鑑賞者に押し付けることを意図したわけではない。むしろこの映画が訴えかけるのは次の一言だ。

「あなたに映画を愛しているとは言わせない」なんて、絶対に言わせない。

いびつな愛

高校時代から個人制作の映画を撮り、作品論や作家論も書いてきたわたしにとって、映画を見ることはいつしか、楽しみというより義務のような行為になっていた。「日々、浴びるように映画を見なければ、優れた作品はつくれない。優れた文章を書くことはできない。」そういうプレッシャーを常に感じていた。

もちろん、そういう世界に身を置くことで初めて出会うことのできた作家や作品もあったし、初めて知ることのできた喜びもあった。人生を映画に捧げるような生き方をする人々への憧れや尊敬もあった。だが、個々の生き方やスタンスの問題を超えて、他者の映画体験や「愛」のかたちを否定するような言葉、何が映画で何が映画ではないかを選別するような言葉には、常に疑問を抱いてきた。

「映画を語るなら、劇場で1年365本以上映画を見ておくのが最低条件だ。」
「封切り直後に見ておかなければ、その映画を語る資格はない。」
「ビデオ鑑賞は映画鑑賞にカウントしてはいけない。」
「こんなものは映画じゃない。」
「お前は映画に愛されていない。選ばれていない。」

「あなたに映画を愛しているとは言わせない。」

正しい「愛」のかたちを規定し、それ以外の映画との関係の築き方を否定するのは単なる独占欲だ。それ自体、歪んだ愛のかたちだ。人間同士の恋愛ならば、恋人に自分以外との交流を一切認めず、常に束縛し続ける、危険な思考だろう。

また近年、ミニシアターでのパワハラ問題が相次いで露見しているように、個々人の映画愛を試すようなかたちで劣悪な労働条件を受け入れさせる空気にも馴染めなかった。人から映画業界や撮影現場での過酷な体験談を聞くたびに、「ああ自分には絶対無理だ」という気持ちが強まり、結局挑戦することも諦めてしまった。

ただし、映画を撮ること自体を諦めたわけではない。カメラがあれば映画は撮れる。紙とペンがあればアニメーションは作れる。一人でも映画は撮れるのだ。実際、私のデビュー作は、親に買ってもらった液晶ビューカムと携帯電話、三人の友人の協力を得て制作した『手紙』(2002)だった。

多様な愛のかたちを記録する

わたしが2016年の春から暮らすことになった鳥取市内には、映画館が一館しかなかった。県内で見ても、東中西部にそれぞれ一館ずつ、合計三館しかなかった。

先ほど述べたような映画との関わり方、すなわち、膨大な数の映画を日々映画館で浴びるように見ることは、東京や大阪などの大都市圏でしか成立しない。映画館が少ない地域では、そもそも毎日違う映画を映画館で見ること自体が困難なのだ。結局のところ、映画は都会の文化であり、そこに暮らす人々だけに許された特権なのか? 地方に暮らす人間には、映画を愛する資格は与えられていないのか?

スクリーンを求めて彷徨う私の前に現れ、あらためて映画の楽しさを教えてくれたのは、「自分たちが選んだ作品を、自分たちの手で上映」する活動、すなわち、映画の自主上映活動を行う人々だった。

「自分たちが選んだ作品を、自分たちの手で上映」するとは、観客の側からすれば、誰かが愛する作品が、その人自身の手で上映されるのを見ることだ。確かに鳥取では、映画館で見ることのできる作品の選択肢は少ないが、他方で、未知の作品との偶然の出会いはむしろ増えたような気がする。これまで興味のなかった監督やジャンルでも、誰かの思い入れ込みで見ることで、また違った楽しみ方、味わい方を知ることができる。数をこなすように見るのではなく、映画と、その映画への愛のかたちを同時に受け取ることの意義を、そこで教えてもらった。

『映画愛の現在』三部作は、そうした自主上映活動を行う人々を讃えると共に、それぞれの映画への愛のかたちを記録したドキュメンタリーである。当初は90〜120分くらいの一本の映画として制作する予定だった。だがインタビューを始めてみると、鳥取で活動する自主上映団体や個人は想像以上にたくさんいて、とても一本では収まりきらない感じになってきた。検討の末、それぞれの活動地域で分け、東部編、中部編、西部編の三部作として映画を完成させた。

第Ⅰ部「壁の向こうで」出演者
中村俊一郎(鳥取シネマ)
清水増夫(鳥取コミュニティシネマ)
Clara、黒田ミキ(クララとクロダのひょっこりシネマ)
森本良和(映画監督)
長嶺泉子(わらべ館)
中島諒人(まちなかミニミニ映画館)
映画を見る会(仮称)
赤井あずみ、蛇谷りえ(すみおれアーカイブス)
安部大河、柿原朔太郎(鳥取大学映画研究会)

第Ⅱ部「旅の道づれ」出演者
安部大河、柿原朔太郎(鳥取大学映画研究会)
大久保藍(俳優)、荒尾極、荒尾純子(ことるり舎)
中森圭二郎(映像作家、松崎ゼミナール)
波田野州平(映画作家、現時点プロジェクト)
村上大樹、松本凌(鳥取大学地域学部卒業生)
蛇谷りえ(うかぶLLC)
金澤瑞子、杉原美樹、磯江正一(元倉吉シネマクラブ)
河原朝子、上所俊樹、野口明生、中山早織(現時点プロジェクト)
小松亜希恵(三朝中学校)、服部かつゆき(映像作家)

第Ⅲ部「星を蒐める」出演者
大下志穂(大山アニメーションプロジェクト)
赤井孝美、山口東炫(米子映画事変)
浦木誠一、武山輝詔(米子映像)
吉田明広(米子シネマクラブ)
水野耕一(よなご映像フェスティバル)
小山大輔/マルチーズ(Studio Spark)
田口あゆみ(映像作家)
河本幸樹、升田乃愛、島崎寛己、田中晋(米子高専放送部)

出演してくださった方々の映画との関わり方は千差万別だ。大都市圏の映画文化を理想とする人もいれば、鳥取だからこその体験を追求する人もいる。自らの映画愛を熱く語る人もいれば、映画に特別な思い入れはないと言い切る人もいる。見たい映画を見るために近隣の県や東京・大阪まで出かけていく人もいれば、映画は年に数本しか見ないという人もいる。もちろんそこには、わたしにとって共感できる考え方もあれば、相入れないであろう考え方もあった。

『映画愛の現在』三部作のインタビューでは、私はひたすら聞き手に徹することに決めていた。そのことに、不満や物足りなさを覚える人もいるかもしれない。だがこのテキストを読んでくださっている方には、わたしの態度が及び腰ではなく、確固たる決意のもと選択した態度であることが理解してもらえるだろう。映画への愛のかたちを一つに固定しないこと。多様な愛のかたちがあることを尊重すること。なおかつ、「多様な」「様々な」「人それぞれ」といった便利な言葉を使うだけで満足してもいけない(それでは何も見ていないのと同じだ)。「多様さ」の内実を一つ一つ丁寧に見て、聴いて、記録すること。それは他者の映画愛を知ることを通じて、自分自身と映画との関係を顧み、変容させていくプロセスでもあった。

ポストシネマの冒険者たち

だからこの映画は、地方を賛美し、大都市圏を否定するといった単純な二項対立の物語ではない。鳥取を舞台にし、そこで活動する人々を讃えているが、別の土地で活動する人々の活動も讃えたい、声援を送りたいという気持ちがある。特に個人的な想いとしては、関東(茨城・東京)に暮らしていた頃に知り合い、新しい映画のありかたを模索しながら同じ時代を併走してきた方々のことを、常に意識しながら制作を進めていた。

例えば、映画史研究者・批評家の渡邉大輔さん。

渡邉さんは、NetflixやAmazon Prime ビデオが普及する以前から、映画館の外に拡張していく映画体験、映像体験を一貫して擁護してきた。それも、露悪的・挑発的なパフォーマンスで注目を集めるのではなく、映画史の蓄積を尊重し、古くからあるものと新しく出てきたものを接続・共存させるべく研究や批評活動を行ってきた。両サイドから板挟みになり、攻撃や批判を受けても、屈することなく「架け橋」であろうとし続けてきた。その存在にどれだけ勇気づけられてきたことか。

近年、渡邉さんより若い世代の映画研究者や批評家による重要な著作が続々と刊行されているが、そうした「現在」の実現に、渡邉さんのこれまでの仕事が——直接的であれ間接的であれ——果たしてきた役割が評価される日が来ることを願っている。渡邉さんが矢面に立ち、切り開いた道の上を歩かせてもらっていると感じている人は、きっと私以外にもたくさんいるはずだ。

(幸いなことに、初単著である『イメージの進行形』と、このところ立て続けに刊行された新著『明るい映画、暗い映画』『新映画論』によって、渡邉さんのこれまでの仕事にアクセスするのは非常に容易になっている。)

渡邉さんの他にも、わたしのわがままに付き合って『人間から遠く離れて――ザック・スナイダーと21世紀映画の旅』(2017)の共著者になってくださった特異な映画ツイッタラーnoirseさん(「小人閑居為不善日記」連載中。また最近は、てらまっとさんらとの「低志会」をめぐる議論も話題に)、KINEATTICVISUALABなどオンラインとオフラインにまたがって若い世代の映画作家の拠点を作ろうとした橋本侑生さん(長らくお会いしていない!お元気ですか……?)、わたしをドキュメンタリーの世界に誘ってくださった萩野亮さん(現在は本屋ロカンタンの店主としてご活躍中)の存在を常に意識しながら、『映画愛の現在』の制作を進めてきた。コロナ禍もあり、なかなか再会できる機会がないが、いずれ三部作の感想を伺えたら良いなと思う。

出発点としての個人映画

インターネット時代の映画、ポストシネマといった議論が起こる以前にも、狭義の「映画」の枠に収まらない映画制作や鑑賞の試みは無数にあった。映画館で全国公開される映画だけが映画ではないこと、そして一人でも映画は撮れることを教えてくれたのは、映像作家の小池照男さんだった。スピルバーグの『ジュラシック・パーク』(1993)のようなハリウッド大作を撮りたいという夢を抱いていた中学生のわたしが、個人映画の世界に足を踏み入れるきっかけを作った張本人だ。

小池さんの『生態系』シリーズを初めて見た日のことを、今もはっきり覚えている。俳優は居らず、物語もない、ただただノイズのような映像が続く「映画」に最初は戸惑ったが、次第に惹かれていった。

その後、ジョナス・メカスやマヤ・デレン、山崎幹夫、原將人といった個人映画作家の存在を知り、決定的な影響を受けることになった。(『映画愛の現在』三部作の主題歌は、原將人監督の許可を得て、『初国知所之天皇』の劇中歌「旅に出る唄」をカバーさせてもらっている。編曲は田中文久さん、歌は大久保藍さん。)

個人映画も——ある時には他者から、またある時には自ら——他の映画と区別され、結果「映画ではない」ものとして周縁に追いやられがちな表現である。

かつて蓮實重彥は、個人映画の作家たちがしばしば自らの作品を他の映画とは「別の映画」として区別することに触れ、「「別の」という言葉を口にするものが示す排除的身振りが、別でない「映画」の総体を、そっくり一つの虚構として制度化し、曖昧に生き延びさせてしまう」と批判した(「個人映画、その逸脱の非構造」『芸術倶楽部No.9 特集:個人映画』所収、フィルムアート社、1974年)。だがこれが却って個人映画批判の安易な雛形となり、蓮實を真似て「選別と排除の思考を打破せよ」と言っておけば、個人映画の作家や作品をまとめて否定でき、見ないで済ませられるような風潮ができてしまったという(松本俊夫『逸脱の映像——拡張・変容・実験精神』月曜社、2013年)。

『映画愛の現在』では、何が映画で何が映画でないかを区別したり、映画と別の映画を区別したりはしない。むしろ、一見まったく異なる種類の表現や、決して相容れないように思える作品が、同じ「映画」という語のもとに出会い、併存していることの不思議さや、その偶然の出会いがもたらす新たな「何か」に期待するスタンスをとっている。

何千・何億ドルの予算が掛けられたハリウッド映画と、学生がアルバイトで貯めたお金で作った自主映画が、同じ「映画」と呼ばれること。同じ「映画」として見られること。どれだけ予算や規模に差があっても、スクリーンに映し出される時には、両者は対等な立場である。観客がどちらを面白いと感じるか、どちらが優れていると感じるか、どちらが記憶に残り続けるかは、見てみるまで分からない。

わたしにとっては、これこそが映画の最大の魅力であり、面白さであり、これからもずっと関わり続けたいと願う理由である。自分に映画への愛があるとしたら(確信は持てない)、おそらくこういうことなんじゃないかなと思っている。


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