短編小説│どぶねずみ

これは子どもの頃の話。

あの頃は繁華街の隙間、排水管の陰が寝床だった。
化け物がうろつく街に神経を尖らせて、呼吸を吐く度にトイレに籠ってやり過ごしていた。

その日も僕は暗い路地裏で体育座りをして身を潜めていた。
すると目の前を一匹のどぶねずみが通り過ぎた。
ずんぐりした体にしては機敏な動きに目を取られていると、そいつの動きがふと止まった。
何を思ったのか、僕は本能的にその尻尾を掴んでいた。
途端、そいつは激しく暴れ回った。
けれど僕は指を離さなかった。
そいつはついに僕の人差し指に噛み付いた。
鋭い牙が皮膚を貫いた感覚が伝わってきた。
それでも僕の指は開かなかった。
暫しの睨み合いの末、そいつは諦めたのか力が抜けて無抵抗になった。
僕はもう十分だと思ってそいつの尻尾を離してやった。

たったそれだけだ。
それでもあの日の僕には、その尻尾は天から垂らされた蜘蛛の糸のように思えたのだ。


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