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自己物語探究の旅(3)

 遅ればせながら、新しい年を迎えた皆様に、年頭のご挨拶をいたします。こんな風に恭しく書く私ですが、数年前から年賀状の習慣を止めました。理由は様々にありますが、一番は子育て中心の生活において、200枚程の年賀はがきにあてる出費が厳しいということでしょうか…。そんな私に、大学時代からの友人夫妻(「音楽・平和・学び合い」11で紹介した「作曲ゼミの先輩とピアノ科の同級生」)は、いつも賀状を送って下さいます。今年の手書きコメントは「人類が1mmでも平和に近づきますように」…。平成元年に知り合って今年で30年目。お二人の結婚式は当方の教員1年目(1997年1月)で、熊本で行われた指揮法セミナー(講師:山下一史氏)参加のため出席できませんでした。当方の披露宴(2000年8月)には、お二人目が奥様のお腹にいるにもかかわらずご出席下さり、「ジャズ研究会リユニオン」ということで、ベースの先輩も交えてトリオでセッションしたのでした。ベビーカーに乗っていた娘さんは今年大学受験。お腹にいた妹さんと共に凛々しく成長した姿が、年賀状に並んでいます。つくづく自身の無礼を恥じますが、いつか別の形で恩に報いたいと願っているところです。

 年が明けて、気づけば郵便料金は値上げされ、ますます返礼を認めることが難しくなりました。小学校高学年で切手収集が趣味となり、中学時代までに800種程の記念切手を集め、将来は郵便局員になりたいと思う程、郵便に関心を持っていた私ですが、それも40年近い昔のこと…。「郵政民営化」などと言ってもイメージが湧かない若い世代を指導する立場となり、上記先輩と熱く議論していた30年前を思い返しつつ、ふと初任校に勤めていた頃に読んだ本を憶い出しました。

 書名は『郵便的不安たち』。東浩紀さん(1971年生:ゲンロン代表)が処女作ともいえる『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』(新潮社)の翌年に出版した批評集です。東氏は私の一つ年下で同世代。もちろん日本の現代思想(佐々木敦氏なら『ニッポンの思想』と呼ぶでしょうか)を牽引する、現代版「知のトリックスター(山口昌男)」とも言うべき賢人に自身を重ねること自体、大変不遜であることは重々承知の上です。東氏の名前は、現代音楽を研究していた大学院生時代から、タワーレコードのフリーマガジンに寄せるエッジの効いた論考で注目していました。20代の私は、修士論文で取り上げたレヴィ=ストロース、ロラン・バルト、ジェラール・ジュネット、ジュリア・クリステヴァといったフランス現代思想への関心を持続していたものの、初任校での日常に疲れ果て、ほとんど読書もままならない日々を過ごしていました。上掲書を書店で手にしたのは、初めての卒業生を出し二回目の一学年で担任をしていた時のことです。同世代にこんな知性が現れたのかと、ひたすらに圧倒されたことを今でもはっきり覚えています。

 東氏は昨年出版された著書(『ゲンロン0 観光客の哲学』)に寄せた
インタビューで、次のように語っています。http://dokushojin.com/article.html?i=1253

(前略)「郵便的」という概念には大きな可能性があると思います。(中略)いまの世界はポストモダンがますます深化している世界です。ポストトゥルースなんて流行語が生まれましたが、あれは要はポストモダンってことです。正義も実証も存在しなくなった世界でなにをするか。それこそがポストモダニズムが考えていたことではないですか。だから、この現実に対しては、ポストモダニストは、本当はポストモダンの理論を深めることでこそ応答しなければいけないのです。近代になんて帰れるはずがない。ぼくは、かつてデリダやフーコーやドゥルーズやボードリヤールを読んだ人間として、その責務を果たしているだけです。(後略)

 東氏の議論を敷衍して、そもそも「郵便的」とは何かを論じるべきなのでしょうが、それは別の機会に譲ります。40代の後半を迎え、紆余曲折の末にようやく自身の「原問題」と言うべき「自己物語論」に行き着いた私ですが、どうも自身のコア・ナラティヴを記述するには、東氏が指摘する「ポストモダン」の言説へと遡上する必要があるようです(上記先輩には「現代思想オタク」と揶揄されていたのでした…)。今回は臨床教育学会での発表に引用し、これまで何度か公表してきた文章を以下に紹介します。2009年から折に触れて書き続けている私的なエッセイ(「浦河べてるの家」のナラティヴ・プラクティスにあやかって『当事者研究』と名づけています)の一部です。自身の研究的実践を支える「アリアドネからの糸」(中井久夫)とも言うべき「自己物語の核」となるナラティヴです。

(以下引用)
2010.5.3-4 『当事者研究』その9(教育目的論雑感/フーコーを巡って)

(前略)指摘したいのは、様々な経験や思考の遍歴を経て、自己言及から他者言及へと向かう私のあり方と、田中氏の次の記述が符合するということだ。

 数年前から、30代前半に書いた原稿を、苦笑いしながら、書き直してき  
 た。文字通り「言葉にならない」いらだちが論理をねじ曲げている原稿を
 読み、いささか赤面しながら、自分の思考を書き改めた。1984年に出 
 版されたブランショの『明かしえぬ共同体』は、そのころほとんど受け付
 けなかったが、今やよくわかるようになった。ありありとよみがえる苦い
 想いと、もはやそうした想いから離れそうになっている自分に、時間の流
 れと時代の推移を、あらためて感じることになった。
 (田中智志『教育思想のフーコー』あとがき 2009)

 「人の自己言及は、他者言及にささえられている」(ルーマン/田中)。マルクスの言う「社会的諸関係の総体」としての自己。メルロ=ポンティは『知覚の現象学』の最後に、サン・テグジュペリの「人間は関係の結び目に他ならない」(『戦う操縦士』)との言葉を置いた。あらゆるものを関係性の相の下に捉え直すこと。廣松渉氏の概念を借りれば「コト的世界観」をもって世界を認識すること。それが価値相対主義の袋小路に陥るのだとしても、そこにこそ独我論の牢獄から「私」を救い出す道がある。様々な引用を通して、私は「私」をその都度再構成する。それが「外の思考」であり、「語ること(narrative)」の本義でもある。私にとっては「自己の物語を語り直すこと」こそ、病からの回復そのものであり、自分の書いたものを読み返し、書き換えることは、その都度自分を生き直すことなのだ。

 マッシュライン/田中曰く「私たちの主体性が他者への言及によってのみ成り立っている」「私たちの主体性がつねに自己からの離脱、差異性、依存と責務の関係への包摂を含んでいること」を再確認・承認することが、現代教育学の課題であるという。即ち「社会性の永続的な再構築」こそ、今日の教育が目指すべき課題なのだ。  
 education/educare(教育/教え込み)から、eduction/educere(外への喚起/導き)への移行。「有用な知識技能を伝授し、人を外から操作的に変える営み」ではなく「既存の言説を脱構築し、人の自己変容をうながす営み」へと、思考を転換しなければならないと田中は言う。それが「自己創出支援の教育実践」への道であると。
(引用以上)

 この文章をフィールドテキストとして、引用された文献を参照・検討しつつ、改めて再叙述restoryingし新たなリサーチテキストを綴ることが、「自己物語探究」と名づけた自身の研究につながるのでしょう(しかしその作業はここではなく、臨床教育学会において深めたいと思います)。今回はもう一つ、私のアイデンティティを「現場研究者field researcher」たらしめている、親友のことを書かせてください。彼の名は三和史朗さん。高校時代の同級生で大学は1年後輩、今は札幌近郊の小学校で教頭を勤めています。彼のお父さんは著名なアルピニスト(三和裕佶氏:1946-1999)で、今日はご尊父が亡くなって20回目の命日にあたります。昨年亡くなった中村雄二郎氏や過日事故に散った西原博史氏への追悼の想いも重ねつつ、三和くんとのエピソードを紹介します。三和くんは自ら編んだご尊父の追悼集において、私との縁をこんな風に書いてくれています。

(以下引用)
(前略)学生のころ。高校時代の友達から電話がかかってきて「飲みに来い」とのこと。父はその時ちょうど山に出かける予定があったので、友達の家の近くまで乗せていってくれた。途中のコンビニで「差し入れだ!誘われたら手みやげの一つも持っていくもんだ。」と角瓶とつまみの入った袋を渡す。その晩、日差しがカーテン越しに見えるまで飲み、人生の目的について語った友達。今思えば、人と人との関わりにはさりげなく投資してくれた父。(中略)僕の増えた一つの目標。それは。父より良い父になり、父より長く生きる。
(引用以上:三和史朗『消えゆく月に:三和裕佶追悼集』pp.44-45)

 ご尊父が亡くなったことも知らずに過ごした十年後、縁あって再会した三和くんから、上掲書を含む資料が郵送されてきました。以下は私が綴った返礼のメールです。

(以下引用)
2009.4.28(火)
(前略)あなたが「連帯の証に」と贈ってくれた資料を読ませていただいた時、実は涙が止まらなかったのを覚えています。三和はこんなにも立派に、まっすぐに教育に向き合い実践を積み上げている。それに比べて自分は何をやっているのか。初任早々子どもと格闘して肋骨を骨折し、その後もひたすら理不尽な子ども達との格闘の日々。本を読むことさえ叶わず心も体も衰弱していく中で、何とか日々をやり過ごしているといった感じで、正面から「教育」に向き合うことを避けていた自分がいました。

 あなたが高校時代に私に言った言葉。「陽一はそのうち北海道の音楽を背負うような男になる」。三和くんは覚えてないかもしれないけれど、徹夜で語り合った修学旅行の帰りの夜行列車で、確かにあなたは私にそういったのでした。その言葉を真に受けて奮起した若き日々。教職に就いてからも現実逃避のように「音楽家」としてのアイデンティティに拘り、札響や北海道二期会の副指揮者、アマチュアオーケストラの客演などで指揮者としてのキャリアをそれなりに積み重ねた20代。その中で「これでいいのだろうか」と自問自答し続けました。30歳で結婚し家を建て転勤も経験してから、徐々にではありますが自分の中の軸が「音楽家としての自己実現」から「教師としてどう生きるか」に移っていきました。きっかけは生きづらさを抱えるたくさんの子ども達との出会い。彼らの生きづらさと私自身の経験が重なり、そこに「教育破壊」と呼ぶほかない教育政策の変化が押し寄せる中、本気で教育に向き合うことでしか子ども達を守れないとの思いが膨らんでいきました。4年前に札幌放送合唱団の指揮を引き受けて以来、一切の校外での演奏依頼を断り、学校の仕事と自らの研鑽に力を注ぐようになりました。ちょうど体調を崩して10日間ほど入院を経験したのも、ライフスタイルを変えるきっかけとなったかと思います。その後酒をやめ、無理しない生き方を心がけている内に、それ以前よりも世界が広がり、文章を書く機会も増え、いくつかの成果(札幌市教委10年経験者研修特定課題研究・札幌市教育課程研究協議会資料提出、教職員組合全道教研参加・全国教研集録「日本の教育」レポート掲載…)を挙げることができたのだと考えています。
(引用以上)

 前回の記事で少し触れた「病いの語り Illness Narratives」が、信頼できる友人への私信だからこそ紡がれているようです。さらに三年が経ち、共通の恩人である村山紀昭先生(元北海道教育大学・札幌国際大学学長)主宰の「教育人間塾」にゲストスピーカーとして招かれた三和くんに、私は次のようなメールを送っていました。

(以下引用)
2012.3.28(水)
(前略)結局「足るを知る」ことこそ「静かに人生を思う余裕」を生むのでしょうね。私は相変わらず自宅にネットはなく、地デジ移行を機にテレビは一切見なくなりました。携帯も妻と共用で、メール機能はありません。スマホなどもっての他。車にも乗らず、酒も飲まず、買い物は週に一回まとめ買いです。
 でも、負け惜しみでも何でもなく、若い頃の欲望まみれの生き方に比べて、格段に豊かに幸せに生きているという実感があります。重ねて3・11以降の世相において、私のような「意識的にデジタル・ディバイドを引き受ける生き方」というのも、価値があるのではと思い直しています。生活を何も変えずに欲望資本主義の中で生きることから、意識的に降りること。ブータン国王が言った「竜のメタファー」ではありませんが、自分の中にある大切なものを育てる上で、不必要な外部は極力整理して、身の丈にあった選択の中で緩やかに生きることが必要なのではないでしょうか。
 今回人間塾MLに添付した連載最新稿(「音楽・平和・学び合い」13)で、大田尭氏の『かすかな光へ』に寄せた文章を紹介しました。この映画の中に大田氏が毎週土曜日、新聞に入ってくるチラシの重さを秤で測って記録していくシーンがあります。「モノ・カネの支配」の象徴としての折込チラシ。コンプレックスを刺激し、消費欲望を巧みに操作していく経済優先の世の中で、「かまきりの斧」と知りつつも、その流れに抗って生きる。私は学生時代、三和くんのお宅に伺った時、流し台で食器を洗う際に洗剤を使わないライフスタイルを選んでおられることに感激した記憶があります。山男で自然の営みの深さを知る三和くんには、釈迦に説法かと思いますので、これくらいでやめておきますね。いつか顔を見て、このあたりをゆっくり語り合えればと思っています。我々が志向すべき未来が、そこに横たわっているような気もします。
(引用以上)

 このメールからさらに6年が経過しました。私も父となり、未だ自宅にはネットもメールもテレビも車もありません。「IoT」とか「Social5.0」とか言われる近未来イメージが先行する中で、改めて「我々が志向すべき未来」を、じっくりと三和くんと語り合ってみたい。そこに東氏のいう「郵便的不安」を乗り越える「当事者性Actuality」の所在があるように感じます。三和くんのご子息ももう高校生…。西原博史氏は自書のまとめを「自分で判断できる子どもを育てる」とし、最後に「本当の心の豊かさを求めるならば、大人も子どもも一人ひとりが尊重される社会を作ることこそ肝要である」と書きました。西原氏の遺言とも思えるこの言葉を深く重く胸に刻み、三和くんご尊父の生き様に想いを馳せつつ、又もまとまらなかった記事の筆をおきます。皆様にとって2018年が豊かで実りある年となりますことを、心から願っています。

参考資料:東 浩紀「郵便的不安たち」朝日新聞社(1999)
      〃  「存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて」
                           新潮社(1998)  
      〃  「動物化するポストモダン オタクから見た日本社会」        
                           講談社(2001) 
      〃  「ゲンロン0 観光客の哲学」株式会社ゲンロン(2017)東浩紀・坂上秋成「哲学的態度=観光客の態度
        『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン)刊行を機に」        
   週間読書人ウェブ(2017)http://dokushojin.com/article.html?i=1253東浩紀・宮台真司「父として考える」NHK出版(2010)
佐々木 敦「ニッポンの思想」講談社(2009)
中村雄二郎・山口昌男「知の旅への誘い」岩波書店(1981)
笹木 陽一「音楽的引用・編曲・コラージュの技法
      -ストラヴィンスキーのリコンポジションをめぐって-」
          北海道教育大学大学院教育学研究科修士論文(1995)   
 〃  「臨床教育学における『自己物語』探究の意義-当事者研究としての   
        『セルフ・ナラティヴ・インクワイアリー』の可能性~」  
     北海道臨床教育学会 第7回研究大会 自由研究発表資料(2017)   
 〃  「音楽・平和・学び合い(11)」(2011)   
      http://archive.mag2.com/0000027395/20111230011831000.html   
 〃  「音楽・平和・学び合い(13)」(2012)
      http://archive.mag2.com/0000027395/20120405001849000.html向谷地生良・浦河べてるの家「安心して絶望できる人生」NHK出版(2006)中井 久夫「アリアドネからの糸」みすず書房(1997)
田中 智志「教育思想のフーコー」勁草書房(2009)
三和 史朗「消えゆく月に:三和裕佶追悼集」中西出版(1999)
西原 博史「良心の自由と子どもたち」岩波書店(2006)
A.クラインマン「病いの語り-慢性の病いをめぐる臨床人類学」
                       誠信書房(1988/1996)

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