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水道の給水停止という公務員のお仕事から、現代社会の貧困を学ぼう 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.802


特集 水道の給水停止という公務員のお仕事から、現代社会の貧困を学ぼう〜〜〜生田斗真主演の傑作「渇水」をAmazonPrimeVideoで観る



今回は「水道の停止執行」をテーマに、貧困について考えてみましょう。昨年劇場公開された「渇水」という日本映画があります。アマゾンプライム会員ならプライムビデオで追加料金なしで配信を観ることができます。


生田斗真が主人公の市役所水道局員、同僚に磯村勇斗、水道を止められてしまう貧しいシングル世帯のお母さんに門脇麦という、なんとも安心して観られる配役。白石和彌が初プロデューサーを務めています。


どういう物語なのかというと、生田斗真が演じる岩切俊作は、水道料金を滞納している家庭やお店を回って、料金徴収し、できなければ水道を停止するというきつい業務に就いている公務員です。おまけに物語の舞台となっているのは、日照りが続いている成果。給水制限も出ていて、貧しい家庭にとっては水道が最後のセーフティネット。当然、貧しい家庭を訪問して「料金を払わなければ水道を止めますよ」と伝える主人公は、どこに行っても忌み嫌われます。


さらに背景事情として、主人公が妻と子と別居し、寂しいひとり暮らしをしていることも描かれます。そういう中で、、育児放棄されている幼い姉妹と出会って……という展開が物語の主軸になっています。


さて、飲み水というものは、人の命にとっての最後の頼みの綱です。食事がいっさい食べられなくなっても、水さえあれば人は1か月以上は生きられると言います。しかし飲み水がなければ、人間の身体は1週間も持ちません。


だから水道事業は公益性が高く、自治体によって運営されてきました。2018年には民営化できるよう法律が改正されましたが、いまも反対が多く民営化の是非についての議論は続いているところです。また滞納から給水停止にいたるまでの期間も、長めにとられています。料金を滞納すると、電気やガスはわずか2か月で停止されてしまうのに対して、水道は最長で3〜4か月ぐらいも待ってくれるようです。水が飲めなくなったら、人はかんたんに死んでしまうからです。


水道料金の滞納への対応も、いきなり給水停止するのではなく段階を踏むよう定められています。最初は「料金未納のため速やかに支払いをお願いします」と書かれた払込用紙付きのハガキが毎月届く。それでも支払いがないと、2〜3か月して「給水停止予告書」という封書が届く。「このまま料金未納が続くと給水を止めざるを得ません」という警告と、いつまでに入金しなければ給水停止になるのかという支払期日、入金がなかった場合にはいつ給水を停止するのかという予告日などが記載されています。


そして支払期日が過ぎても入金がなかったら、予定日に水道局の職員がやってきて閉栓作業をおこなうのです。本人不在でも実施されるので、逃げ道はありません。


水道の給水停止はこのように厳密に段階を踏んで行われるのですが、それでも払わない、払えない世帯は当然あります。たとえば世帯数が700万余ある東京都では、2021年に給水停止が10万5千件もありました。単純計算なら、全世帯の1.5パーセント。決して少ない数ではないでしょう。


この1.5パーセントには、困窮している家庭がかなりの割合を占めているだろうことは容易に想像できます(単にだらしないので払い忘れてる人もいそうですが)。実際、そういう事件も数多く起きています。


2020年暮れに大阪市のマンションの一室で、68歳の母親と長女42歳が餓死しているのが見つかりました。母親は体重が30キロに満たないまでに痩せ細り、冷蔵庫は空っぽだったようです。所持金数十円。長女は会社勤めでしたが、職場でトラブルを起こして退職し収入が途絶え、夏から水道料金を滞納。11月には給水停止になっていました。


2012年2月にはさいたま市で、60代の夫婦と30代の息子の3人がアパートの一室で死亡した事件がありました。3人は痩せ細り、遺体はミイラ化していました。預金通帳の残高は数十円。前の年の9月から水道料金を滞納し、市から委託された業者が7回にわたってアパートを訪問し料金支払いを督促していました。しかし妻は「夫が入院していて払えない」と料金の支払いを断っていたそうです。


このケースでは、給水停止にまでは至っていませんでした。しかし明らかに困窮している一家の状況が把握できていたのに、なぜ福祉行政が手を差し伸べられなかったのでしょうか。


ここには、行政の縦割りの問題もあります。水道局の職員や委託業者が督促や給水停止のために困窮家庭を訪れても、彼らが生活保護などの対応をできるわけではありません。部署が違うからです。


水道料金の督促状には、「生活に困った場合には、市の福祉窓口に相談しましょう」と呼びかける文面も記載されていますが、これを読んで福祉窓口に向かう人は、非常に少ないとされます。日本社会には、困窮していることを恥と思う人が多いからです。大阪の母娘も、さいたま市の一家三人も、福祉行政には相談していませんでした。福祉行政が積極的に介入しないと、多くの困窮家庭は救えません。しかし行政は縦割りを乗り越えてそこまでカバーできるまでに至っていないのが現状です。


たとえば大阪市では、餓死事件が起きる6年前の2014年、料金滞納など異変があれば市に通報するよう電気・ガス会社や水道局と協定を締結しています。しかし年間に市内の給水停止が1万6000世帯もあるのにかかわらず、協定に基づいた通報は年に数件しかないと報道されています。


先ほどの映画「渇水」の主人公が困窮家庭を前にして途方に暮れてしまうのは、このような壁があるからです。水道局職員である彼にできるのは、料金の督促と給水停止の手続だけ。それ以外には何もできないのです。この絶望が、作品の底流を静かに流れており、この作品を傑作にしています。


ちなみに物語の舞台になっているのは、群馬県の県庁所在地である前橋市。この街の夏は、猛烈に暑いことで有名です。関東地方の北端のどん詰まりにあって、南にひらけたお椀のような地形をしています。南からは熱い風が吹き寄せ、北からは日本海で水分を落としてきた強く熱い風がやはり吹き降りてくる。双方からの熱い風がたまり、猛烈に暑く乾燥するのです。本作で描かれている夏の前橋も、なにもかもが干からびていて、観ているだけで喉を潤したくなる欲望にそそられます。

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