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文章が読めない人たちにも読んでもらえる文章力が求められている 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.767

特集 文章が読めない人たちにも読んでもらえる文章力が求められている〜〜〜SNS時代の「日本語の作文技術」について考える(第1回)


SNSが普及して、短い文章を的確に書くという能力は社会全体で飛躍的に高まりました。ふと昔を振り返ってみると、1980年代から90年代に新聞記者をしていたころ、ごくたまに上司から「読者から来たハガキの整理をしてくれ」と雑用を指示されることがありました。まだパソコンさえ満足に普及していない時代で、ハガキの多くは手書きです。


たくさん溜まっているハガキを読んでみると、どれも「てにをは」はメチャメチャ、誤字脱字だらけ、句読点がまったく打ってなかったり、逆に「今日は、私の、考えている、ことを、お手紙に、したためました」みたいに読点だらけだったり。何を伝えようとしているのか判然としてないものも多く、一般の人はほんとうに文章が下手だったのです。


SNSがなかった時代です。学校を卒業してしまうと、一部の仕事を除けば文章を書く機会などほとんどなかったのですから、筆力がまったく磨かれないのは当然でした。


それにくらべれば2020年代の今は、皆さんほんとうに文章が巧みです。もはやプロの筆力を凌駕しているのは間違いありません。わたしは長くメディアの仕事をしていてもう35年ぐらいプロとして文章を書き続けていますが、最初に「もう素人さんの文章には勝てないかも」と思ったのは、2000年代なかば。ちょうどブログが普及して、多くの人がブログを書くようになった時期でした。巧みな文章で人の心をくすぐり、躍らせる書き手がブログ界からたくさん現れてきたのです。


彼らブロガーたちは作家や記者、ライターなどの本職ではなく、みんな普通の人たちでした(もはや「普通の人」という定義そのものが現在は意味をなくしていますが)。その人たちが、飛びきり素晴らしい文章を書く。そういう「テキスト文化」が2000年代半ばに花開いたのです。


それまでのインターネットにももちろん文章を書く人たちはいましたが、自分でホームページを作っている人や2ちゃんねるにはまっている人たちなど、まだ少数派でした。しかし2000年代なかばにだれもがブログを書けるサービスをヤフーや当時のライブドア、ニフティなど国内ウェブ各社がいっせいにスタートしたことで、文化の土台が構築されたのです。


さらに2007年ごろには国産SNSのミクシィが流行り、2010年代になると海外勢のフェイスブックやツイッターが広まります。このブログから海外SNSへの流れで起きたのは、「投稿の民主化」が加速度的に進んだということです。


ブログは以前ほどのサービスが各社に分散しているので全容を測るのは難しいのですが、一説によると、全盛期にはおおむね500万〜1000万ぐらいのブログが存在していたとされています。いまでもブログはたくさんありますが、人々の「書きたい欲求」はその後はSNSに回収されていってしまったことで、全体としては数はかなり減ってしまっています。


ミクシィは最盛期で加入者数が、おおむね2000万人。この2000万人というのは、日本のインターネットで長く「普及の壁」とされてきた数字です。1990年代後半から、SNSだけでなくさまざまなウェブのサービスが国内でスタートしました。しかし2000年代までは、どんなサービスを投入しても2000万人を超えるのは難しいと言われていたのです。この数字の意味は明確に分析されているわけではありませんが、おそらくこういうことだったのではないかとわたしは推測しています。「パソコンで個人的にインターネットを積極的に使いこなしている人たちの数」


この2000万人を最初に超えることができたのが、ガラケー時代のゲームのプラットフォームだったグリーだったと言われています。スマホが普及する直前にはで、3000万人ぐらいのユーザー数に達していたようです。とはいえグリーの場合は、SNSと名乗ってはいたもののあくまでもゲーム利用が主体でした。


しかし2010年代になると、この2000万人の壁が突破されるようになります。その原動力になったのは、言うまでもなくスマートフォンの普及。スマホがインターネットを民主化し、SNSも民主化し、だれもがネットに接続し、SNSを読んだり書いたりするようになったのです。ツイッターの日本での利用者数は、現在6000万人。イーロン・マスクによる買収と「X」への名称変更などで混乱しており数字は変化している可能性もありますが、いずれにしても日本人の実にふたりにひとりが利用しているという驚くべき普及率です。


2000年代ごろまでのインターネットは、2ちゃんねるのような野放図で無秩序な場も含め、古いオタク系の人たちの巣窟でした。彼らは口は悪いくけっこう面倒な人たちではあったのですが、しかし層としては理系で技術にも明るいテック系の人たちが主流を占めていたとされています。2ちゃんねるなどで高度な自虐系のネタなどを交換していたのを見ると、かなりリテラシーの高い人たちが多かったという印象があります。


しかし2020年代のインターネットには、テック系ではない一般社会の人たちが数多く流れ込んできています。近年になってリーディングスキル(文章読解力)の問題が指摘され、「文字は読めるが、文章の意味を理解していない人がたくさんいる」ということが問題視されるようになっています。この背景には、そういう「読解できない人」の存在がSNSで可視化されてしまったこともあるのかもしれません。


わたしはしばらく前に、エアコンの修理について以下のような投稿をしたことあります。大型家電も長年使っていると壊れてくるので、戸建てを購入する人はそれに備えて積み立てをしておいた方がいい、という記事への紹介コメントでした。


「わが家は築20年の賃貸に7年住んでるけど、この3年でエアコン4台壊れ給湯器も壊れキッチン雨漏りした。全部修理交換してくれたけど大家さんたいへんだなあと思いましたよ」


この投稿に対して、「3年でエアコン4台も壊れるなんて!使いかたが悪すぎ!」「新品のエアコンが3年で4台壊れるなんてありえないでしょ」などというリプライが幾つも返ってきて、たいへん驚かされました。「新品のエアコンが3年で4台壊れた」とはどこにも書いていません。わたしが入居したのが7年前で、そそれ以前から(ひょっとしたら新築のときから)設置されていたエアコンが、ここに来て急にバタバタと壊れたという話を書いているだけです。文章からこのぐらいの推論は当たり前にできると思っていたら、こういう推論ができない人が意外にもいるのだと気づかされました。


リーディングスキルテストには、この「推論」の設問があります。たとえば次のような設問。


”以下の文を読みなさい。


「エベレストは世界で最も高い山である」


上記の文に書かれたことが正しいとき、以下の文に書かれたことは正しいか。「正しい」「間違っている」「これだけからは判断できない」のうちから答えなさい。


「アコンカグア山はエベレストより低い」”


正解は「正しい」です。エベレストは世界で一番高い山なので、それ以外の山はすべてエベレストより低い。したがって、アコンカグアという山の名前を仮に知らなくても(アコンカグアは、南米のアンデス山脈にある標高6960mの南半球最高峰です)、エベレストよりも低いという推論が導き出されます。


しかしこの推論のリーディングスキルは多くの中高生で非常に低く、中高生の半数以上が答えられないという調査結果も出ています。


リーディングスキルには「係り受け」という設問もあります。


”仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アメリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。


以下のカッコに入るものを選びなさい。


「オセアニアに広がっているのは(   )である」


①ヒンドゥー教

②キリスト教

③イスラム教

④仏教”


正解は、キリスト教です。「キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに」と書かれている文章から、キリスト教がオセアニアに係っているかどうかを読み取れるかどうかを問うています。この設問でも、中高生の3割ぐらいは正答できないと言われています。



中高生のときに読解できなかったのが、大人になってから急に読解できるようになれるとは思えません。とくだんの国語のトレーニングを積む機会がないのであれば、大人になっても読解力のない人は3〜5割ぐらいの一定数がいると考えたほうが良さそうです。そして、そういう読解力を持てない人たちが現在はたくさんツイッターなどのSNSに流れ込んできているのです。


さて、ここでわたしが言いたいのは読解力のない人を嘲笑しようとか、そういうことではありません。むしろその逆です。現代はリーディングスキルが欠如した人たちが可視化され、しかもそういう人たちとSNSで向き合わなければならなくなった時代です。だったらそれに合わせて、リーディングスキルの乏しい人にも理解できるような文章を書いていきましょう、ということです。


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