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有料化で成功するための「記事の品質」を新聞が保つのは難しい 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.733

特集 有料化で成功するための「記事の品質」を新聞が保つのは難しい

〜〜〜これからのマスメディアに求められているのはSNSとの連携だ


先週号の特集「新聞の影響力は団塊の世代の退場とともに終わるだろう」は大きな反響をいただきました。ありがとうございます。


この特集の補足として、「新聞が有料のウェブメディアとしては生き残れるか?」というポイントがあります。この有料ビジネスの可能性については、ノンフィクション作家の下山進さんが経済系メディア「アクシオン」に答えたインタビューが非常にわかりやすく勉強になります。


この中で下山さんは、日経新聞の成功事例に言及しています。


「日経電子版は明快な成功例だ。紙(4900円)と電子版(1000円)のパッケージで5900円。日経電子版の契約者数は83万201人。紙で失われた売上をおおむねカバーしている、と言えるようだ」


いっぽうで朝日新聞について。


「ところが、朝日の場合は、紙がどんどん下がってる中、電子有料版は2016年ぐらいからほとんど契約者数は変わってないとみられています。そうすると、希望退職を募らないと会社は回っていかないっていうことになる」


ウェブに移行するのは歴史的必然だと考えられますが、無料のメディアを広告だけで維持するのは非常にむずかしい。有料化こそが黒字化の道であるというのは、純粋に経営的な視点で考えれば、その通りだと思います。ただこれを軌道に乗せるためには、二つの条件があるとわたしは考えています。


第1に、そのメディアに「ここでなければ読めない」という専門性があるかどうか。

第2に、記事の品質の高さや良いユーザー体験が担保されているかどうか。


下山さんのインタビューでは成功した事例として日経新聞と英エコノミストが挙げられています。どちらも経済紙という高い専門性を持っています。ここは重要なポイントです。とはいえ専門紙しか有料化は成功できないというわけではありません。一般紙の成功事例としては、米ニューヨークタイムズが有名でしょう。ニューヨークタイムズが有料のウェブメディアとして成功したのは、記事の品質の高さに加えて、ウェブの見やすさ使いやすさも非常に大きく貢献しています。ウェブ版にしかできないような動的な見せ方の記事も多い。


これらの視点から日本の一般紙をふりかえると、専門性でも品質の高さでもウェブのユーザー体験の打ち出しにしても、いずれも「決定的に弱い」と言わざるを得ません。


朝日新聞はかつては日本のクォリティペーパーと呼ばれ、記事の品質の高さで勝負していました。現在でも、ウクライナ侵攻に見るような国際報道では非常に質の高い記事が多いのですが、国内の報道では残念ながら左派イデオロギーに傾斜してしまい、ファクトをないがしろにしてしまっている記事が多数を占めるようになってしまいました。その一例が、福島原発事故の後に連載されたシリーズ「プロメテウスの罠」でしょう。このような風評被害をうみだす記事がそのまま掲載されてしまったことに、同紙の凋落が象徴されているとわたしは受け止めています。


このイデオロギー傾斜も、先週の特集でお伝えしたように、読者が「団塊の世代」を中心とした高齢者に移り縮小局面に入ってしまったことで、減りゆく読者に迎合した結果なのではないでしょうか。かつて日本の一般紙が打ち出していた「中立的客観報道」と呼ばれる中立性を手放した時点で、すでに「全国紙」としての終焉は宿命づけられていたのだと思います。


そういえば以前、私が「なぜ新聞は中立的客観報道をやめたのか」とツイッターに書いたところ、「朝日は昔から中立なんか目指していない」と反論のメールを送ってきた旧知の朝日新聞記者がいました。「中立ではない」と宣言するのはかまいませんが、「昔から中立ではなかった」はあまりに歴史修正すぎます。それとも頭の中で勝手にそう思い込むようになってしまったのでしょうか。知らんけど。


話を戻すと、記事の品質の高さももはや維持できなくなりつつあるのが、日本の新聞業界の現状です。たとえばわたしの古巣の毎日新聞では、都市部での取材での移動にタクシーは使えなくなり、もっぱら電車などの公共交通機関が中心だと聞きます。「そんなの当たり前じゃないか」という人も出てきそうですが、大規模な事故や災害、大量殺人などの現場では取材の機動力が欠かせません。電車やバスで移動していては、取材の生産性は著しく下がってしまいます。


また夜回り取材にも、タクシーは必須です。政治家のように議員宿舎が都心にあり帰宅もさほど遅くなければ電車での取材も可能ですが、警察幹部や検察幹部は自宅を埼玉や千葉などの遠隔の住宅地にかまえている人が少なくありません。しかも帰宅は深夜です。電車では事件の夜回り取材はほとんど不可能で、旧知の幹部にLINEなどのメッセンジャーや電話で取材するしかなくなります。しかしこれは取材のハードルが高く、また取材先の新規開拓がむずかしいという問題も生じます。


取材予算が減らされれば、遠隔地への出張も難しくなります。取材では場合によっては取材先との飲食も欠かせませんが、この費用も出なくなります。あらゆる点で、密度の濃い取材は難しくなっていくのは当然です。しかし毎日新聞に限らず、全国紙はどこも厳しいコストカットが強いられており、取材費は年々減らされていっています。記者ひとりひとりの士気にも大きな影響が出ているようです。


このような状況で、質の高い記事が量産できるわけがありません。有料化を推し進めればある程度の収益は確保できるでしょうが、それで既存の売上げをカバーするところまで持ち上げるのはきわめて難しいのではないでしょうか。前回解説した堅調な不動産ビジネスからの収益と合わせ、損益分岐点をかなり低いところに設定するしかないでしょう。破たんは避けられるけれども記者数などは限界にまで減らされ、記事の質はさらに低下し、それでも何とか「全国紙でござい」という外見だけは維持されている……という細々とした状況が延々と続く。そういう近未来のイメージです。


新聞は消滅しないにしろ、品質やそれに伴う影響力は今後かなり低下していくでしょう。ではその先に、わたしたち日本社会のメディアはどうなるのでしょうか。前回の後半では「テレビの報道番組とSNSとの相互作用によって公共圏は維持されていくだろう」と予測しました。ここをもう少し深掘りしてみたいと思います。


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