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ワーク・クッキング・インテグレーションという新たなライフスタイル 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.816


特集 ワーク・クッキング・インテグレーションという新たなライフスタイ〜〜〜令和時代は「時短料理」から「気持ちいい料理」へ(3)



2010年代は、「ていねいな暮らし」という流行語に象徴される新しい生活文化と、平成ブラック時代の末期に男女ともにクタクタになるまで働き家庭料理には「時短」を求めるという、二律背反した方向に引き裂かれていた時代でした。


2000年代が「投資で一発逆転しよう」という楽天的な投機ブームに彩られ、高級な美食や輸入車が持てはやされていたのに対し、2008年のリーマンショックを経た10年代はその反省もあって、「家族や仲間とゆっくり食事を楽しもう」「近所の居心地の良い居酒屋がやっぱりいちばん」という足もとを見つめ直す機運にあふれていたのです。男女ともに料理するのも当たり前になりました。このころ一気に広がったクラフトビールのブームなどは、まさに新しい生活文化の象徴だったと言えるでしょう。


しかし同時に、ブラック労働がいまだ頑強に蔓延したままだったのもこの時代でした。深夜労働が当たり前で、それでも「料理はちゃんとつくらなきゃ」という抑圧のような空気があり、時短料理やミールキットが大流行したのです。食材とレシピをセットにしたミールキットはできあいのお総菜とは違い「手をかけているんだよ」という気分を保てるように「あえてひと手間を残す」というコンセプトで設計されていました。「誇れる時短」なんて言葉もありました。


しかしこういうブラック労働の時代は、ついに終焉を迎えました。長いデフレ時代が終わって、令和に入ってからは日本経済も前向きの兆しが見えてきています。頑としてそれを認めたくない人たちもいますが、経営者層の世代交代によってガバナンスや経営戦略の考えかたが根底から替わってきたこと、それに注目した外国人投資家が日本企業に積極的に投資するようになったことが指摘されています。さらには中国経済の低迷と習近平体制の独裁化で、中国から資本が流出。経済安全保障の観点からそれらの資本が日本に流入してきていることなども日本に追い風となっています。


物価が上がっているのも経済成長の指標と見て良いのですが、賃上げがそれに追いついていないため、実質賃金が2年以上も下がり続けている問題はあります。しかし今年の春闘での賃上げは5.28パーセントに達し、1991年以来33年ぶりに5%を超えるという結果になっています。昨年来、中小企業も含めて給料は上がり続けているのです。物価がもう少し落ち着けば実質賃金がプラスになる期待もできるでしょう。


さらに3年間にわたったパンデミックを奇禍として、リモートワークを採り入れる企業も増えました。出社に戻した会社も少なくないとはいえ、リモートワークを制度化している企業もそこそこあり、自宅で仕事をするスタイルはある程度は定着したと言っていいでしょう。


加えて、働き方改革の成果もあって労働はいまやかなりホワイト化しています。平成のころは早朝出勤で深夜や未明まで働かされるブラック企業が蔓延していましたが、そういう企業も少なくなりました。東京都心で電車に乗ると、帰宅ラッシュの時間帯が明らかに早くなっていることを実感させられます。最近は午後五時ごろから七時ごろに通勤客が集中しているのです。


つまり、社会全体で、以前よりもかなり時間の余裕ができているのではないでしょうか。こういうことを書くとすぐ「私は時間が無い!何を言ってるんだ!」と怒り出す人がいますが、もちろん全員に余裕ができたわけではありません。余裕のある傾向が現れてきているということです。


このホワイト化の流れが、家庭料理などの生活文化にも影響を与えつつあるのではないかというのが、わたしの見立てです。


2010年代から始まった新しい生活文化は、ブラック労働に遮られて真価を発揮できていませんでした。「ていねいな暮らし」などと口走ろうものなら、「余裕のある金持ちはいいねえ」「こっちは毎日深夜までクタクタになって働いているのに、何がていねいな暮らしだ!」と怒りの声がやってきたものですが、今こそ「ていねいな暮らし」をアップデートし、2020年代のホワイト社会に適合した新たな生活文化、新たな家庭料理を考える時期に来ているのではないでしょうか。


わたしは新型コロナ禍で緊急事態宣言が断続的に出されていた時期、打ち合わせや登壇イベントなどが激減して外出する機会が減ったのを活用して、さかんに煮込み料理をつくっていました。


最もよくつくったのは、アイリッシュシチューです。これはとてもシンプルな料理です。必要な食材は、豚(牛でもいい)のブロック肉。バラだとちょっと油濃くなりすぎるので、ロースかモモなどがいいでしょう。ロースは高価なので、硬いモモ肉が安価でお勧めです。わたしはいつも近所のハナマサで巨大なのを買っています。煮込むと縮むので、イメージしているよりも少し大きめのものを買うのがお勧め。


それとタマネギ、ジャガイモ。調味料は塩のみ。タマネギをザクザクとスライスし、ブロック肉も乳児のゲンコツぐらいの大きさにします。タマネギと肉を深鍋に放りこみ、水をたっぷり入れて火にかけます。最初から塩を足しますが、塩辛くなりすぎないように若干薄めにしておくのがコツ。塩味が足りなかったら後で足せますからね。


火にかけて、グツグツと沸騰してきたらアクをとり、アクが出なくなったらトロ火にします。そのまま数時間。タマネギは原形をとどめないぐらいにトロトロになり、肉も箸でほぐれそうなぐらいに柔らかくなったら、ここに皮を剥いたジャガイモを加えて、ジャガイモに竹串を刺してスッと通るぐらいに柔らかくなったら完成。最後に塩味を調整するといいでしょう。

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