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思考には、集約的思考と拡散的思考の二つがあると認識しよう 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.795


特集 思考には、集約的思考と拡散的思考の二つがあると認識しよう〜〜〜アイデアや思いつきは、書き留めるだけでは先に進まない


読者のかたから質問をいただきました。


この記事で、地方には「男性の仕事のバリエーションに比べると、はるかに女性のバリエーションが地方にはない」という理由が語られているけれども、本当にそうなのだろうかという質問です。そうではなく「男尊女卑的な固定化されたジェンダー観」「給与水準が低い労働集約的産業」「食つなぐには良いが、長く続けるには展望を描けない仕事」などが本当の理由ではないか、というご指摘でした。


上記の記事はテレビ局「テレビ新広島」のニュースで、地元の大学の公共経営学部の女子学生たちに主にインタビューしていることがわかります。彼女たちはあくまでも「これから就職し、社会に出て行く人たち」としての目線で、だから「地方は就職の選択肢が都会に比べると少ない」という返答が多くなっているのでしょう。


実際に若い女性が地方社会に出てみれば、選択肢の少なさだけでなく「男尊女卑」「給料が安い」「展望が拓けない」という現実に直面することも容易に想像がつきます。実際、わたしが地方で知り合っている若い人たちも、女性に限らずおおむねこのような感想を持っているという印象があります。


地方の仕事の選択肢の少なさで言えば、実際のところ女性だけでなく男性もかなり少ないというのが現実でしょうね。


さて、メルマガ本日の本題に移ります。今回のお題は、「アイデアをどう成果物に結びつけるのか」。


あるアイデアや思いつきなど発想の糸口があったとしても、ふくらませなければ大きなビジネスや成果物にはつながりません。アイデアを書きためたメモをたくさん作っている人もいますが、大量のメモを集めたとしても、それがただのメモで終わっているうちは、単なる「メモ魔」でしかないのです。


中学や高校のときの試験前の勉強で、教科書や参考書の重要そうなところにひたすら赤や蛍光のペンを引いて、それで満足してしまう生徒と同じです。赤ペンを引いたところをきちんと暗記したり、自分の脳に刻みつけなければ、それは「自分のものになった」とは言えないのです。


アイデアも同じ。それをただ集めているだけでは、赤ペンを引いているのとかわりません。赤ペンを引くだけでなく、アイデアや思いつきを成果物へと膨らませていくというプロセスを忘れてはならないのです。


メイソン・カリーという編集者が書いた「天才たちの日課」(邦訳はフィルムアート社、2014年)という書籍があります。古今東西のさまざまな文学者、アーティスト、思想家、音楽家といった人たちが、クリエイティブな活動をするために毎日の時間をどのように使ってきたのかを調べたものです。破天荒に荒ぶる生活を送っていた人もいますが、けっこう多くの著名人が実に規則正しい生活を送っていることに驚かされます。


この本を読んでいるとわかるのは、過去の文豪たちは自分の生活の時間すべてを生産に捧げているのではなかったということ。それどころか生産する時間をかなり限定し、生産に充てない時間を大事にしているように見えます。


つまり生産ではない「空白の時間」が大事なのです。


書いたり話したりという知的な生産には、自分自身のリソース(資源)が必要です。わたしはこのリソースを、コップの水になぞらえて認識しています。目の前にあるコップが、自分自身の頭の中。コップになみなみと水が満たされています。ほんの少し揺すったり、傾けたりしただけで、水はあふれ出てこぼれ落ちる。このこぼれ落ちる水が「生産」です。


原稿を書いたり企画書をつくったり人に話したりすることは、水を飲んでいくイメージです。コップにはたっぷり水が溜まっているから、いくらでも生産は続けられます。


しかし「まだまだ水はたくさんある」と慢心して、水を飲み続けていると、やがてコップの水は減ってきます。そのままだと注ぐ水はなくなってしまうので、ますますコップを強く傾けないといけない。無理して水を口に注ぎこんでいる、つまり無理して生産しているのです。それでも無理して強く傾けていくと、やがてコップの水はなくなり、最後の一滴が口中に落ちたところで終わってしまいます。


では絶え間なく生産を続けるためには、どうすればいいのでしょうか。簡単です。コップの水が減らないようにすればいいのです。つまり水道の蛇口を開けて、コップに水を注ぎこめばいい。


コップから水を飲むという行為と、水が減っていくコップに水道から水を足す行為。これは「アウトプット」と「インプット」と言い換えられます。


アウトプットは自分の頭の中のリソースを駆使して、書いたり話したりする生産の行為。

インプットは、自分の頭の中にリソースを増やしていく行為。


アウトプットをしなければ、他者から評価されないし、売上や利益も得られません。しかしアウトプットをし続けるだけだと、いずれコップの中の水は涸れてしまいます。だからコップに水道から水を足す、すなわちインプットしてリソースをたっぷりと増やしておかなければならないのです。


目の前の数字や利益に目を奪われて、アウトプットばかりに注力してしまう人は多いでしょう。そういう人は得てしてインプットを忘れがちなのです。では、インプットはどこから得られるのでしょうか。コップの水は水道の蛇口をひねれば満たされますが、わたしたち人間の頭の中のリソースを増やすには、どうすればいいのでしょうか。


そこで大事になるのが、アウトプットに充てない時間、生産に充てない時間です。一見して何も生みだしていないように見えるそういう時間を、大事に扱うことです。


生産をしていなければ、無為に時間を過ごしてしまうように感じるかもしれません。ここを勘違いしている人が、現代の日本社会には非常に多い。「スケジュール帳を埋めると安心してしまう」症候群のようなものが典型です。単純作業や雑務をしていると、自分が仕事をしている気分になってしまうのです。


しかし単純作業や雑務は、実際には生産ですらありません。いくら単純作業や雑務をおこなっても、新しいアイデアなどにはつながりないからです。おまけに単純作業や雑務は、これからはAIが代替してくれるようになるでしょう。


AIはまだ進化の途上ですが、それでも現時点で間違いなく言えるのは、「われわれはあらゆることをAIに訊ね、依頼し、それにAIが応えることによってあらゆる行為がおこなわれるようになる」ということです。


たとえばウェブやグラフィックなどのデザインの仕事では、「手を動かす」という言葉があります。アドビのフォトショップやイラストレーターなどのパソコンのツールを使って、画像を作成したり編集する業務を「手を動かす」と呼びます。


これはもっぱら現場のデザイナーの業務で、これに対してクリエイティブディレクターやアートディレクターなどは「手を動かす」ことはしません。彼らの業務はデザインの方向性やビジョン、イメージなどをまとめることであり、その方向性をもとにデザイナーにていねいに「指示を出す」ことです。


AIがやろうとしているのは、上記のような業務分担において「手を動かす」の部分のすべてを機械が担うようにすることです。つまり人間が「手を動かす」ことはなくなり、「指示を出す」ことだけに専念するようになっていく。「手を動かす」部分はAIが担うようになり、「手を動かす」だけの人の仕事は奪われていくのです。


だからこれからのAI時代に考えなければならないのは、「指示を出す」とはどのような仕事になって行くのかを、人間の側が必死で考えていくことです。


単純作業や雑務をこなすことは、まだAIが普及していない現時点では「しかたなく人間がやること」ですが、それは重要な仕事ではありません。生産というアウトプットに結びつくわけではないし、かといってインプットにもならない。単純作業や雑務に気をとられていると、インプットさえできなくなってしまうのです。


インプットが可能になるのは、アウトプットに充てない「何もしていないように見える時間」です。そういう時間は「無駄」「無為」に見えるかもしれませんが、決してそうではありません。自分の頭の中に、リソースが少しずつ溜め込まれているのだと認識し直すことが大事です。


たとえばわたし個人の事例で語ってみましょう。わたしは学生時代から長く登山をしていて、いまでも月に1〜2度は山に出かけています。

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