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音楽と家庭料理の変遷から、時代の空気の変化を学ぶ 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.814




特集 音楽と家庭料理の変遷から、時代の空気の変化を学ぶ 〜〜〜令和時代は「時短料理」から「気持ちいい料理」へ(1)


甲南大教授で社会学者の阿部真大さんに『地方にこもる若者たち 都会と田舎の間に出現した新しい社会』(朝日新書、2013年)という著書があります。



中央メディアではあまり取りあげられない地方の若者の実態や価値観を描きだした好著なのですが、特に面白いのが1980年代から2010年代にかけて、音楽を題材として若者たちがどう変容したかを解き明かした章。「Jポップを通して見る若者の変容」と題されています。


たとえば1980年代は、BOOWYに見られるように「大人社会への反発」という基調だったと説明されます。社会や退屈な日常に反発することが自分らしさであり、その自分らしさは「愛する女性からの承認=母性による承認によって安定的」になるものだったといいます。これは1960〜70年代の「反権力」の流れが、80年代にはまだ有効だったということなのでしょう。


1990年代に入ると、こうした「反権力」の残滓は消えて行きます。その背景には、さまざまな規制緩和が進んで「地方のボス」などの権力が相対的に衰え、そもそも反抗する相手の「おとなの社会」がなくなってきたということがありました。大規模小売店舗法(大店法)が改正され、大型スーパーやショッピングモールの出店が可能になり、駅前商店街が衰退して、商店街振興組合などの「地方の小ボス」の権力も衰えました。農村からの人口流出も加速し、農協の力も同じように衰えました。もう少し後になりますが、2001年の小泉純一郎首相による郵政改革は、地方権力の最後のひとつだった特定郵便局長会の力も終わらせます。


同書では90年代の代表的なアーティストとしてB'zをとりあげ、B'zが追求したテーマは「社会に反発することによる自分らしさの獲得が困難になった世界で、いかに生き抜くか」ということだったと指摘しています。そして生き抜くために必要なのは反権力や反発ではなく、「努力」であるという姿勢。


さらに1990年代の「生き抜く」時代には、80年代のような「女性=母性による承認」も乏しくなります。1986年に男女雇用機会均等法が施行され、90年代には女性が社会進出するようになったからです。愛もなく、仲間もおらず、将来の見通しもない。それが90年代の地方の若者の空気でした。


そのときに現れて人気となったのが、Mr.Childrenだと同書はいいます。ミスチルは「自分らしくいただければ、自分の身のまわりに感謝することからはじめよ」というメッセージがあり、「このメッセージは、ほぼすべての若者をもれなく救済するという意味で、極めて強力であった」(同書)。B'zの「努力せよ」が競争意識に容易に結びついてしまう危険があったのに対し、ミスチルは競争ではなく、人との関係性によって自分らしさを獲得せよと宣言したのです。


とはいえミスチルのこの「関係」はあくまでも男女間に限られていたのに対し、2000年代になると今度は「地元」という関係性が歌に持ち込まれるようになってきます。これは三浦展さんがベストセラーとなった2005年の著書「下流社会」で、ジモティー的な価値観を解説した時期と呼応しています。そしてこのジモティ的な仲間感覚が訴えられるようになったのが、20000年代に人気となったKICK THE CAN CREWのようなヒップホップ。それまでのヒップホップが都会を舞台にしていたの対し、これ以降は地域や地元をテーマとした楽曲が増えていくのです。


「夢は地元を出てひとりで叶えるものから、地元に残り続けて仲間たちと叶えるものへと変化した。それがB'zとKICK THE CAN CREWの世界観の決定的な違いである」(同書)


「地元」はかつては地方の小ボスたちが支配する大人の世界だったのが、地方権力の消滅によって、若者たちのものになったということが背景にあったのでしょう。その若者たちが、共同体が喪われた時代に「新たな共同体」として仲間や地元に新しい価値を見いだし始める。これは2010根年代に都会でシェアハウスが広がり、友人たちと「ともに暮らす」ことを求めはじめたことと呼応していると言えそうです。


ここまで書籍「地方にこもる若者たち」を紹介してきました。ざっくりとまとめると、1980年代までは反権力と女性=母性からの承認というのが基本的なトーン。これが90年代に入ると、女性の社会進出で女性からの承認が得られなくなる。そこで「自分ひとりで生きて行くしかない」という背水の陣を敷くのか、それともミスチル的に「女性に感謝するところからはじめよ」とフラットな男女関係を構築しようとしていくのか。そして2000年代に入ると、男女関係だけでなく、性を問わずに「仲間とともに生きていこう」というヒップホップ的な価値観へと移行していく。


さて、本稿の目的は単なる書籍の紹介ではありません。ここまで長々と同書の内容を紹介してきたのは、このような価値観の変化が生活文化にも大きな影響を与えているということを示したかったからです。具体的には、家庭料理という生活文化への影響です。


家庭料理を題材にしたレシピ本の変遷を見ると、1980年代までは「おふくろの味の継承」が大きなメインテーマとしてありました。「『おふくろの味』幻想~誰が郷愁の味をつくったのか」(湯澤規子著、光文社、2023年)という書籍には、80年代ごろはまだ男女の役割が固定化されていて、女性には「おふくろの味を作ってほしい」という抑圧があったことが解説されています。


この本の中で紹介されているのが、1980年代を象徴する料理漫画「美味しんぼ」。第26話の「新妻の手料理」はこんな話です。「『おふくろの味』幻想」から引用します。

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