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クソリプの存在を無視せず、かといって言いなりにもならない良き議論とは 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.813


特集 クソリプの存在を無視せず、かといって言いなりにもならない良き議論とは〜〜〜マスコミとネットと政治の関係の未来を考える(5)



クソリプの構造を解析していくという壮大な目標の本シリーズ。いよいよ最終回です。これまで以下のマトリクスでクソリプの構造を見てきました。クソリプを送る人は以下のDに当てはまっている人たちです。


A)マクロの視点/解像度が高い

B)ミクロの視点/解像度が高い

C)マクロの視点/解像度が低い

D)ミクロの視点/解像度が低い


一般社会の人々の視点は、たいていミクロです。俯瞰的に歴史的にものごとを見るのではなく、自分の経験や持っているスキルをもとに語る。これは前回解説したように、決して悪いことではありません。自分の得意な専門分野においては解像度が高い(B)からです。


しかし自分の知らない分野に言及するととたんに的外れになってしまう危険性があります。たとえば教育やその関連産業にまったく携わっていない50歳ぐらいの人が、大昔の自分の思春期のころの学校体験をもとに「教育とは」を語り出す、というような図を想像してください。だいたいは的外れになっていそうでしょう? これがDです。


これは一般社会の普通の会社員とかだけでなく、「権威がある」と思われている大学の先生や弁護士、有名ジャーナリストなどでも同じです。実際、Twitter(X)が普及した2010年代以降のこの10数年で、偉い大学教授が専門外のことに口を出して恐ろしく的外れなことをコメントしてしまう、という光景をわたしたちは無数に見てきたではありませんか。どんなに偉い先生であっても、専門外であればやはりミクロの視点しか持てず知識もなく愚かなのです。


これは21世紀に入って社会が複雑になったということと無縁ではないでしょう。振り返れば20世紀の終わりごろ、ぎりぎり1980年代ぐらいまでは「論壇」の権威のようなものが生き長らえてました。政治学者であれ経済学者であれ社会学者であれ、一流の著名な研究者であれば、「偉い評論家が社会のことを大上段でズバズバと斬ることができる」と思われていて、実際そういう期待をもとに偉い先生たちは各方面にコメントしていたのです。それらのコメントに人々は反論するでもなく、「そうなのですねえ!」と感嘆したりしていたのです。


当時はSNSがなかったから、一般人からの反論の場がなかったからということもありますが、それと同じぐらいに当時の社会は割りにシンプルな原理で駆動していて、全体像を理解しやすかったという背景もありました。国際社会は冷戦構造で、米国vsソ連という二つの大きな対立。その他の小さな紛争はたいてい米ソの代理戦争の様相で、右派は「共産主義を阻止せよ」と訴え、左派は「米国の帝国主義支配を許すな」と叫んでおれば、真っ当なことを言ってる感がありました。


しかし冷戦が1990年ごろに終わり、パックス・アメリカーナ(唯一の超大国アメリカによる平和)の時代があっという間に過ぎ去ると、2000年代にはアルカイーダやイスラム国のようなテロ組織が台頭して「非対称戦争」が言われるようになり、2020年代には今度はロシアがウクライナを侵攻するという非対称ではない全面戦争を引き起こします。ここから欧米日の西側諸国と、中国・ロシア・北朝鮮・イランの新枢軸国という対立軸になり、これは一見すると枢軸国が悪の連合というイメージですが、イスラエルのガザ侵攻によってグローバルサウスと呼ばれるアジア中東アフリカの途上国新興国が西側から離反して中立の立場に拠るようになり……とたいへん複雑怪奇な様相に変わってきています。いったい何が善で何が悪なのか、外交の専門家ではないわれわれにはよくわからないのです。


こういう国際社会の状況に対し、偉い文学者とかが「ウクライナは戦争をやめよ」などと発言し、SNSで「いったい何を言っているのか」と一斉に反論されるというのが毎日のように見かける光景です。複雑な国際社会に古い価値観だともはや対応できないのです。そしてこれは国際社会のニュースに限らず、政治社会経済のあらゆる局面に当てはまり、いたるところでトンチンカンな見解を発表する偉い先生や一般社会の名も無いアカウントが出現してきています。


もはや、社会のすべてを俯瞰していて、あらゆる分野で解像度の高い発言をできる「教養のある人」など存在しないのです。つまり上記のマトリクスで言えば、Aを期待するのは幻想でしかない。となると、政治の政策決定や企業の経営判断などでは、専門性のある人に頼らざるを得ません。政治家や経営者に求められているのは、俯瞰的なものの見方です。つまりマクロの視点が求められている。上記のマトリクスで言えば、Cに当たります。しかし政治家は経営者はマクロの視点を持つけれども、それぞれの細かい分野において解像度の高い専門性を持つのは難しい。先ほども書いたように、いまの社会はあまりにも複雑で分野が多岐にわたっているからです。


となると、各分野で専門的な知見を持っている人の助けが必要になる。つまりBの人たちです。このBの人たちとCの人たちの「連携」が、現代の複雑な社会の連携には必要になってきているのです。


さまざまな分野の専門知を持つ人たち=(B)ミクロの視点/解像度が高い

政治家、経営者=(C)マクロの視点/解像度が低い


そしてこのBとCを結びつける媒介をすることこそが、未来のマスコミに求められる役割なのだとわたしは断言できます。いまのマスコミは、ただクソリプ=Dの代弁をしているだけで、そんなものはマスコミの役割ではありません。

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