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昭和の貧しい人を救ったのは、太平洋戦争だったという驚くべき現実  佐々木俊尚の未来地図レポート vol.669

特集  昭和の貧しい人を救ったのは、太平洋戦争だったという驚くべき現実
〜〜これから日本の格差・貧困を救うのはいったい誰になるのか

 
 太平洋戦争のころの日本で、貧しい農家さんたちの生活を救ったのは実は戦争でした。戦争で食糧危機におちいるのを恐れ、政府は徹底的にコメ農家を支えたからです。コメの買い取り値段を引き上げ、コメ生産をさらに増やすために「自作農創設運動」を推進しました。それまで地主から田んぼを借りてコメを生産し、ひどく苦しい生活を強いられていた小作農の人たちの生活を安定させることこそが、食料の安定につながると考えたからです。

 これによって多くの小作農が独立して自作農になり、収入も増えて生活も安定していったのです。

 なぜ、「貧しい人々を救ったのが戦争である」という逆説的なことになってしまったのか。それまで政治はいったい何をしていたのか。

 これについては、昨年亡くなられた歴史学者の坂野潤治さんの 『〈階級〉の日本近代史 政治的平等と社会的不平等』(2014年)という本にくわしく書かれています。

★『〈階級〉の日本近代史 政治的平等と社会的不平等』
http://goo.gl/iUYRjD

 この本に沿って、ざっと説明してみましょう。選挙制度ができた明治時代は、わずか50万人ぐらいの金持ちの地主階級だけが選挙権を持っていました。彼らは自分の土地にかけられる税金の負担がイヤでたまらないので、「税金を下げろ!」と政府に強烈な圧力をかけてくる。いっぽうで欧州列強のはざまで日本の生存に必死になっていた陸海軍は「軍備増強が必要だ!」と要求してくる。

 当時はまだ産業がそれほど興っていないので、法人税の収入はあまり期待できません。そこで政府がどうしたかというと、酒やタバコ、砂糖への課税。つまり金持ちからカネをとるのではなく、大衆からしぼり取るのを選んだのです。

 これでは一般の人たちたまったものではありません。社会には鬱屈が溜まっていきます。

 そういうなかで、昭和の初期には「二大政党制」がやってきます。日本でもちょっと前に自民党と民主党という二大政党制が実現していた時期がありましたが、昭和初期がこれが政友会(だいたい保守)と民政党(だいたいリベラル)。

 この時期には男子普通選挙法ができました(女性が選挙に行けるようになったのは戦後です)。有権者はだいたい1200万人で、農家さんが550万人、都市の豊かな中間層340万人、貧しい労働者310万人。それまでは金持ちだけの選挙だったのが、普通の人も貧しい人も投票できるようになったということです。

 ここで注目したいのは、保守の政友会が「積極財政」をかかげて大きな政府を目指したのに対し、リベラルの民政党は「平和と自由」という格差と関係のないスローガンをかかげたということです。

 しかしリベラルな民政党は「平和と自由」だけを大きく言って、貧しい人々の生活を是正するということは前面にうちだしませんでした。それどころか「小さな政府」派だった。この結果、国民からの大きな支持を得ることができませんでした。これが軍部のパワーの増大を招き、戦時体制へと移行する引き金になったというのが、板野先生の説明です。

 たとえば有名な話として、2.26事件の直後に民政党の斎藤隆夫議員が国会で反戦の演説を行います。彼はこの演説で「平和と自由」を真っ正面から擁護します。

「近ごろの世相を見まするというと、なんとなくある威力に頼って国民の自由が弾圧されるがごとき傾向を見るのは、国家の将来にとってまことに憂うべきことであります」「われわれの望むものは世界の平和ではなく、その一部であるこの東アジアの平和です。向こうが軍備を拡張すればこっちもまた拡張する、というような勢いで進んでいってしまうと、末はどうなると思いますか。結果は推して知るべしです」

 これはたいへん感動的な演説で、だからこそ歴史に残っている。でも板野先生はこう指摘しているのですよ。

 「21世紀初頭の今日の日本国民のなかにも、この二つの引用文に『拍手』を贈るものは決して少なくはないであろう。しかし、反ファッショ、自由、平和はあっても、民政党の斎藤隆夫の演説には『平等』ということばは出てこない」

 斎藤隆夫はすばらしい反ファッショの人ではありましたが、格差や平等にはあまり言及しない。それどころか、市場原理主義的な強者の論理を振りかざすことさえ合ったようです。1936年の演説では、格差是正のための制度改革を否定して「生存競争の落伍者、政界の失意者、一知半解の学者などがとなえる改造論に耳を傾ける何者もない」とまで言っている。

 これはなんといえばいいのか……現代日本にもこういう人はけっこうな数がいます。とくに成功した起業家などに多いのですが、「人権や環境、平和の問題には関心が強いが、格差の問題は『自己責任』と内心思ってる」というような人たちです。まあいわゆるリバタリアンですね。皆さんのまわりにもいませんか?

 政治学者雨宮昭一さんの『戦時戦後体制論』(岩波書店、1997年)には、戦時の国家総動員体制ができたことで、それまでほとんど手をつけられていなかった格差是正などの社会政策が、全面的に展開されたと指摘しています。

「社会における格差の是正ーー平等化と均質化、完全雇用の自明性の規範、企業における経営者と従業員の発言権の増大、その社会と企業を統制する国家の役割、そして戦争被害に対する国民の態度、などのおのおのの領域にほとんど不可逆の質的変化をもたらした」

 また野口悠紀雄さんの名著『1940年体制 さらば戦時経済』(東洋経済新報社、1995年)でも、この総動員体制が従業員中心の日本企業の原型を作ったことが書かれています。

 このようにして総動員体制が格差を解消し、そして戦後の経済のもとになる社会システムをつくった。日本は戦争に負けたけれども、この戦中の政策が戦後の経済成長の隠れた要因になっていたということです。

 とはいえ、この歴史的事実をもってして「軍部は悪くなかった」ということをわたしは言いたいのではありません。むしろその逆です。

 戦前のリベラルな民政党と国民の関係を見ると、いまの日本の政治状況とけっこう似ているように思えます。本来は労働者を保護してくれるはずの左派が、「自由と平和」つまりは反戦やマイノリティ問題に行ってしまっているという点ではまさに戦前の民政党と同じではないでしょうか。

 ただ現在の日本が戦前と異なるのは、格差や貧困の問題にたいしてアベノミクスによる金融緩和がある程度は効を奏したということでしょう。第二次安倍政権によって失業率が下がり、大学生の就職率も向上したのは否定できないと思います。その点において戦前は「軍部以外はだれも貧困を解消しようとしなかった」のとは異なるのです。

 ただこれは、あくまでも現時点での話。いまの永田町を見ると、これ以上の大型の財政出動を嫌い、増税などに踏み出しそうな緊縮系の政治家が与野党かぎらず、たくさんいます。この状況でなぜ反緊縮に踏み出さないのか、不思議なほどです。その意味では自民党総裁選に出ることを表明している高市早苗さんはかなり反緊縮に踏み込んだ発言をしており、それゆえか一般の期待度はかなり高まっているようですね。

 いっぽうで高市さんはかなり右派寄りの政治家だとも見られていて、そこは気になるところです。ただ高市さんの本音についてはわたしはちょっと異なる見方もしていて、前にアベマプライムに出演していただいた時のやりとりからこんな記事も書いています。


 話を戻しましょう。現時点では格差の問題を「自民党政権が対策してくれた」と感じてくれた人がおそらく多く、これが自民党支持率の高さにつながっているのではないかとわたしは考えています。そう認識している人は少なくないでしょう。しかし今後、自民党さえもが緊縮に行ってしまい、格差や貧困の問題に取り組まなくなってしまえば、その先には何が待っているのでしょうか。

 まさか戦前のように「それが自衛隊の出番だ」ということにはならないとは思いますが、そこに欧州のように極右・極左のポピュリズム政党が登場してくる余地は決してないとは言えないでしょう。

 安全保障や外交、憲法改正なども重要なテーマですが、しかし現代社会における政治の一丁目一番地はやはり国民の生活の安定であり、経済の成長です。政治家のかたがたには、それを忘れないようにしていただきたいと思います。最後に、板野先生の指摘をもうひとつ紹介しましょう。

「戦後改革と平和憲法のおかげで、『平和と自由』は守るだけでよかった。しかし、『平等』の方は、攻めが必要であった。戦後改革で貧農と労働者が解放されたとはいえ、それから今日までの約七十年の間に、金持ちと貧乏人のあいだには新たな『格差』が絶えず生まれてきた。新たな『格差』の是正に、『革新』の側は絶えず努める必要があったのである。『平和と自由』という守りの二点セットだけでは不十分で、攻めの部分も含んだ『平和と自由と平等』の三点セットが必要だったのである」

 さて、ここからは「なぜ日本の左派勢力は反緊縮に向かってくれないのか?」という現代政治における最大の謎テーマについて、さらに深掘りしてみたいと思います。

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