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レモン市場そして「マグレブ商人とジェノヴァ商人」で考えるメディアの問題  佐々木俊尚の未来地図レポート vol.710

特集 レモン市場そして「マグレブ商人とジェノヴァ商人」で考えるメディアの問題
〜〜なぜフェイクニュースがあふれてしまうのかを考える

「レモン市場」という経済用語をご存じでしょうか。このレモンとは果物のことではなく、質の悪い中古車をさすアメリカのスラング。中古車はボディやエンジンルームを磨き上げておけば品質がよく見えてしまうので、過去に事故を起こしたクルマをだまされて売りつけられても、お客さんは気づきにくい。こういう質の悪い中古車を売りつける業者が横行すると、中古車市場が全体に質が落ちてしまうことになります。これが『レモン市場」です。

レモン市場になってしまうのは、売る側の中古車ディーラーと、買う側の一般のお客さんとで「情報の非対称」があるからです。中古車ディーラーはどのクルマの質が悪いのかということをあらかじめ知っていますが、お客さんは実際に購入するまでそのクルマの品質を知ることができないということです。

レモン市場になってしまうと、中古車市場に出まわるクルマが質の悪いモノばかりということになり、お客さんは中古車を買いたがらなくなってしまう。すると中古車市場そのものが衰退することになり、結局はディーラーの側も損することになってしまいます。だから中古車ディーラーは品質の良いクルマを販売してレモン市場にならないように努力した方がいい。

とはいえ、質の良いクルマをきちんと適正な価格で提供しているディーラーがたくさんいるなかで、「自分だけは得をしよう」と質の悪いクルマを売る悪徳ディーラーがいると、そのクルマは情報を知らないお客さんに高い値段で売れてしまうので、他のきちんとしたディーラーは損をしてしまうことになる。だから悪徳ディーラーをどうやって儲けさせないようにするのかが、大事なテーマになってくるわけです。

レモン市場問題は中古車市場だけでなくさまざまなジャンルに当てはまります。わたしはこのレモン市場は、いまのメディアにおけるフェイクニュースの問題にもまさに当てはまると感じています。

まだインターネットのなかった1990年代までのマスメディア時代には、新聞やテレビの発信するニュースを多くの人が「たいていは信用できる」と考えていました。問題は本当に信用できるファクトだったかどうかではありません。みんなが信用していたということが大事なのです。新聞テレビをみんながある程度は信用していたから、「メディアを流れてきた情報は信用できる」という共通認識があったのです。つまりメディア空間はレモン市場にならずにすんでいました。

2000年代にインターネットが普及し、怪しげな陰謀論やフェイクニュースがあふれかえるようになります。そのいっぽうでネットにおける専門家の発信は、それまで「たいてい信用できる」と思われていた新聞やテレビのニュースにもかなり怪しく信用できないものがたくさん存在するのだ、ということを社会に知らしめました。

この結果、ネットの情報のみならず新聞テレビにもたくさん怪しい情報があふれているという実情が、社会全体に共有されてしまいました。これはもちろん良い方向なのですが、いっぽうでわたしたちの住むこのメディア空間が、実はレモン市場だったことが暴かれてしまったということでもあるのです。

中古車市場がレモン市場になってしまうと、最終的には中古車市場そのものが衰退してしまうことになるというのは先ほど書きました。それと同じようにメディア市場もレモン市場であることが明らかになってしまうと、最終的にはだれもメディアのことを信じられなくなってしまうという問題が起きてくるということです。

フェイクニュースのあふれかえることの問題点として、「フェイクニュースに騙される人が増える」というだけでなく「ニュースそのものを皆が信じなくなってしまう」ということが以前から言われています。何がファクトで何がフェイクなのかが判断できないから、そもそもニュース全体を信じないようにしようというマインドに進んでしまうということですね。これはまさにニュースがレモン市場化しているということではないでしょうか。

メディア空間には、さらに大きな問題があります。

中古車の場合、ディーラーとお客さんのあいだに「このクルマは事故車かどうか」という情報についての非対称性があるというのは先ほど書きました。ディーラーはあらかじめ事故車かどうかを知っているけれど、お客さんは購入してからでないと事故車かどうかがわからない。

ところがメディア空間では、「そのニュースがフェイクかどうか」ということについてのファクトチェックが非常に難しい。そのニュースを受けとる段階でも判断できないし、受けとった後でも判断できない。かなり時間が経ってから、検証がきちんと行われてようやく真偽が明らかになるのです。時間が経っても真偽が明らかになっていかないニュースでさえもたくさんあります。

この「ファクトチェックができない」「ニュースを評価できない」問題が起きてしまうのは、いくつかの理由があります。

第一には、評価基準がずれてしまう場合があるということ。ものすごくわかりやすい例で考えてみましょう。食べログのようなクチコミ評価サイトで、「点数が高い店は美味しい」と常識的には思われています。しかし同じ点数であっても、比較的富裕な大人がたくさん集まる街Aのお店と、お金がないけど体力は持て余している学生が多い街Bのお店では、評価基準がまったく違います。Aでは値段は高いけれど質の高い凝った料理がランキング上位になるのに対し、Bでは量が多くて安い店がランキング上位を占めるのではないでしょうか。

ちなみに「自分が美味しいと思う店や料理」を説明するのに「味が濃くて美味しい」「濃厚で最高」といった表現がありますが、関西出身のわたしからすると「味が濃いのか……ちょっと遠慮したい。こっちは薄甘い味が好きなんだよね」と引いてしまいます。評価基準が違いすぎるのですね。

この「評価基準のズレ」の問題は、311原発事故にも当てはまります。事故のあと、福島の子どもたちに甲状腺がんが多発しているというニュースがありました。これは「たくさん発見している」という意味ではファクトなのですが、「過剰診断である」という見方もあります。

これはチェルノブイリ原発事故で、事故後に子どもの甲状腺がんの発生増加が認められたことから、福島県が県内の子どもたちにも甲状腺がんの検査を実施。この結果、300人近い子どもからがんが見つかったというものです。

しかし実際には、他の地域と比べてもがん発見率が変わらないことから、医学的には誤りであるという指摘も医療クラスターの人たちから何度もおこなわれています。「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」(UNSCEAR)も、「心理的・精神的な影響が最も重要だと考えられる。甲状腺がん、白血病ならびに乳がん発生率が、自然発生率と識別可能なレベルで今後増加することは予想されない」という調査結果を発表しています。

「甲状腺がんが多発している」というのもファクトだし、「多発しているのは過剰検査で発見してしまったからだ」というのもファクト。それぞれのファクトが食い違うのは、評価規準がズレているから。つまり「ニュースのどこを見ているのか」というポイントが異なるからと言えます。

評価規準のズレだけでなく、そもそも評価対象を評価する能力が足りていないというケースもあります。たとえばしばらく前に話題になった日銀黒田東彦総裁の「日本の家計の値上げ許容度も高まってきている」という発言。「物価高を許容なんかしていない!」と怒りの声が上がり炎上気味になりました。

しかし日銀はアベノミクスのころからずっと「異次元の金融緩和」で「2%の物価高」を目指すインフレターゲット政策を続けています。モノの値段が上がらなければ経済は上向きません。ある程度のインフレが起きることで人びとの購買行動が高まり(値段が上がり続ければ、いま手持ちのお金が目減りしていくので、目減りする前に買おうという購買行動につながる)、消費市場が活性化します。これによって賃金が増えていくことも目指そうという政策です(ただ現在の物価高はエネルギー高騰なども影響しているコストプッシュ型インフレなので、このままでは賃金は増えません。念のため)。

だからマクロ経済的には物価高は正しいのですが、ワイドショーなどでは「物価高で庶民の生活を直撃」と大騒ぎしています。ミクロ的にはたしかに物価高は困るのですが、「物価高けしからん」とばかり言っているとまたもデフレ時代にマインドは逆戻りしてしまうでしょう。だからマクロとミクロの両方の視点をもって論じることが求められるのですが、いまのテレビのワイドショーの人たちにはマクロ経済を評価する能力が欠如しているのです。

だから「物価高」のようなニュースを評価する際には、単にワイドショーや著名人の声を聞くだけでなく、それを経済学者などの専門家がどう見ているのかという「メタ評価」も大切になります。

とはいえ、これもそう簡単ではありません。「どの専門家のメタ評価をウォッチするのか」という問題がここで頭をもたげてくるからです。新型コロナ禍などでもよく指摘されましたが、テレビのワイドショーなどでは怪しげな専門家がたくさん出演していました。いちおうは大学教授などの肩書きを持っているので、肩書きだけではその人の発言を信用していいのかどうかはわかりません。

だから他の専門家がその専門家をどう評価しているのかをウォッチするのが大切です。「専門家を群れでウォッチする」というこの手法は、以下の二つの記事でも書きました。



ただ、この手法にもひとつ限界があります。たとえば陰謀論のクラスターには言ってしまっている人、特定のイデオロギーに染まってそのクラスターにはまってしまっている人たちは、その島宇宙的なメディア空間のなかにいる怪しげな「専門家の群れ」をウォッチしてしまうのです。

社会学者の故山岸俊男さんが2009年に刊行した『ネット評判社会』という本があります。10年以上前の古い本ですが、語られている「信用」「信頼」の問題はいま読んでも非常に参考になります。

この本で山岸さんが引き合いに出しているのは、「マグレブ商人とジェノヴァ商人」という有名な話

これはアブナー・グライフというアメリカの経済学者が2006年に書いた「比較歴史制度分析」という著名な研究書で紹介したものです。グライフはエジプト・カイロで発掘された膨大な数のヘブライ語の手紙を分析し、11世紀の地中海の貿易で商人たちがどのようにしてたがいの信頼を形成していたのかを解き明かしました。

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