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メタバースと自動運転は「移動」の価値を根底から変えてしまう 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.701

特集 メタバースと自動運転は「移動」の価値を根底から変えてしまう〜〜メタバースは人間社会の何を変えるのか(2)


どんなテクノロジーでも、登場して先端的な人に使われているときの様相と、それが社会に広く普及してきたときの様相はまったく異なります。インターネットで言えばSNSがまさにそうでしたし、メタバースやウェブ3もそうなることは間違いないでしょう。

知ってる人は知っている「キャズム」という「流行と普及」についての有名な理論があります。

これは新しい技術屋商品が社会に広まっていく時に、「イノベーター」「アーリーアダプター」「アーリーマジョリティ」「レイトマジョリティ」「ラガード」という五つのタイプの人たちに順に広がっていくのだ、と説明したものです。上記のリンク先のビジュアルを見ていただければわかりやすいでしょう。

キャズム理論で言えば、日本ですでに4500万人ぐらいが利用しているとみられるツイッターは、アーリーマジョリティにまで広まり、そろそろレイトマジョリティにも使われる段階。アーリーアダプターとアーリーマジョリティの間を、普及の突破口になるキャズム(溝)と呼びますが、ツイッターは完全にキャズムを超えています。

同じSNSでもTikTokは1700万人ぐらいなので、まだアーリーアダプターに届いている程度です。キャズムはまだ越えられていません。

いっぽうでメタバースやウェブ3は実数はわかりませんが、まだイノベーターの段階にとどまっているのは間違いありません。そもそもウェブ3にいたっては現実のサービスがまだほとんど登場していないのですから当然です。

イノベーター段階と言いながら、メタバースとウェブ3ではユーザー層にかなり違いがあるように感じます。後者のウェブ3がビットコインに端を発する仮想通貨ブームから流れ込んでいる人が多く、デジタル作品に価値を与えるNFTもかなり投機的に利用されるなど、「カネ儲け」が主体になってる雰囲気はありますね。

それに対してメタバースは、現状ではカネ儲けの要素はほとんどなく(いずれはメタバース空間のコンテンツがNFT化されるということを言っている人は多いようですが)、くわえて高性能なハードウェアやITの高いスキルが求められることなどもあり、インターネット黎明期と同じような技術系のヘビーな人たちが参加している印象があります。

しかし今後、メタバースの市場は非常に大きくなる可能性があります。ヘッドマウントディスプレイのリーディングメーカーだったオキュラスをフェイスブック(現メタ・プラットフォームズ)が買収し、同社は今後10年間にわたって毎年1兆円規模の開発投資をおこなっていくと表明していますし、アップルやマイクロソフトもメタバース系の製品を投入してくるでしょう。おそらく来年から再来年にかけては一般ユーザーにも手の届くスタンドアローンのヘッドマウントディスプレイがいくつも発売され、そうなるとキャズムを越えて普及局面に入ってくる可能性があります。

そのように社会の大多数の人がメタバースを使うようになったとき、メタバースはわれわれ社会にとってどのような意味を持つようになっているのでしょうか。繰り返しますが、イノベーター段階とアーリーマジョリティ段階では、テクノロジーの持つ意味や社会へのインパクトは必ず大きく変わります。わたしたちは現在のメタバースをウォッチするだけでなく、現在のメタバースのうち何がなくなっていき、何が残っていくのかを区別して考えなければならない。

これについてわたしは先週号で、こう書きました。再掲しましょう。「メタバースが引き起こすのは、『移動』というもののコペルニクス的転回である。メタバースは、ヒトの『居場所』というものの意味を変えてしまう」

ここで大事になってくるテクノロジーは、デジタルツインです。これはリアル空間に実在の都市や建築物、自然などを地形データなどをもとにして仮想間のなかに再現するというものです。

このデジタルツインを架け橋にすれば、実はメタバースとリアル世界はつながることができるのです。

たとえば韓国の自動車メーカー、ヒュンダイが提唱してる「メタモビリティ」は、この「架け橋」を説明するのに非常にわかりやすいでしょう。

メタモビリティは「空間の移動」と「情報の移動」を組み合わせたものです。お父さんが外出先からメタバースの中のデジタルツインのメタ自宅にアクセスすると、自宅にいるメタ愛犬に餌をやることができる。実はリアル自宅にはお父さんを模したリアルロボットがいて、そのリアルロボットがリアル愛犬に実際に餌をやっているのです。

リアル外出先=リアルお父さん

メタ自宅  =メタお父さんとメタ愛犬

リアル自宅 =リアル愛犬

この三つが入れ子のように重なり合った関係になっているのが、メタモビリティなのです。この中で「物理的な移動」をしているのはリアルお父さんだけで、メタお父さん、メタ愛犬、リアル愛犬はどれも移動していません。「情報が移動」しているだけです。デジタルツインによってリアル世界とメタバースがつながり、「情報の移動」と「空間の移動」が相互におこなわれるようになるのです。

「空間の移動」は高コストで、ヒトの時間や金銭のリソースをたくさん必要とします。しかし「情報の移動」は低コスト。デジタルツインを使えば瞬時に別の場所へと移動できるので、ヒトの時間のリソースも金銭のリソースも食いません。

さらにここに、自動運転のテクノロジーを加えるとどうなるでしょうか。すると「空間の移動」は二つに分離されるようになります。自動運転による移動と、歩いたり自転車に乗ったりする移動に分かれるのです。

この二つの移動は、何が違うのでしょうか?

ここでひとつ、補助線を引きます。イギリスのジョン・アーリという社会学者が書いた『モビリティーズ 移動の社会学』(吉原直樹・伊藤嘉高訳、作品社、2015年)という本です。この中でアーリは、空間の移動を「シリーズ」と「ネクサス」という用語で二分類しています。

シリーズというのはドラマの「シリーズ」でも使われているように、連続という意味です。だからシリーズ移動は、連続的に移動するということ。

ネクサス(nexus)は、連鎖とか結節を意味する単語です。つまり二点のあいだをただ結ぶだけの移動という意味です。シリーズのように連続しているのではなく、「瞬間移動」的なイメージ。

「シリーズ移動」と「ネクサス移動」。まだちょっとわかりにくいですよね。具体例で説明した方がいいでしょう。

家から近所のカフェまで、ぶらぶら散歩するという移動を考えます。目的地はカフェなのですが、カフェに行くことだけが散歩の目的ではない。散歩の途中で新しいお店を見つけたり、変わった造形の建築物を見つけて感心したり、道沿いの花壇の花を見たりと、途中のプロセスも目的です。これが途中のプロセスも大事にする移動ということで、「シリーズ移動」です。

それにくらべると地下鉄は、車窓から何も見えないし移動そのものはたいして楽しくありません。スマホでも見るしかない。ただゴール地点の駅へと向かうことだけが目的なので、プロセスが存在しない。これが「ネクサス移動」です。

クルマでの移動も、マイカーでの休日の楽しいドライブはプロセスを楽しんでいるので「シリーズ移動」です。しかしバスやタクシーでの移動は、車窓を楽しむこともできますが基本的には眠っていたりスマホを見ていたりする人が多く、プロセスよりもゴール地点に行くことそのものが目的になっているので「ネクサス移動」です。

ここまで説明すればおわかりでしょう。完全自動運転になれば、運転するという楽しみは消滅し、バスやタクシーと同じようにゴール地点に向かうことだけが目的になる。クルマの車内では眠ったりネットフリックスで映画を観たりするようになり、「ネクサス移動」になるのです。

整理しましょう。メタバースと自動運転によって「移動」は三つに分かれるのです。

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