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1995年に書かれた「アトムからビットへ」はまさに今実現している 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.779


特集 1995年に書かれた「アトムからビットへ」はまさに今実現している〜〜〜「テクノオプティミスト宣言」を読み解く(3)


シリコンバレーの最も著名なベンチャーキャピタル「アンドリーセン・ホロウィッツ(a16z)」の共同創業者であるマーク・アンドリーセンがこのほど発表した「テクノオプティミスト宣言」。これを前号に引き続いて紹介しながら分析していきます。


アンドリーセンはとにかく全開でテクノロジーを賛美し、テクノロジーこそが社会を前進させ、人々を幸せにするのだとこの文書で力説しています。しかし日本では特にそうですが、「テクノロジーは人々を幸せにしない」「テクノロジーは人を孤独にし、ダメにする」といった言説がまかり通っています。そうした言説の大半はあまり根拠のない生理的嫌悪ですが、中には傾聴すべきテクノロジー批判もあります。


そのひとつが「情報通信テクノロジーは雇用やGDPに寄与しない」という批判。これは確かにその通りで、たくさんの工場労働者を使い雇用を生み出す製造業などと異なり、情報通信のテック企業は少数精鋭なので多くの労働者を必要としません。またフェイスブックやグーグルマップ、ユーチューブなど多くのウェブのサービスは無料で、GDPには直接寄与しません。


これに対してアンドリーセンはわかりやすく反論しています。引用しましょう。


「私たちは、豊かさの尺度は価格の下落であると考えている。価格が下落するたびに、それを購入する人々の購買力は上昇し、それは所得の上昇と同じである。多くの商品やサービスが値下がりすれば、その結果、購買力、実質所得、生活の質が爆発的に上昇するのだ」


これはわたしの昨年の著書「メタバースとウェブ3は人間を自由にするか」(KADOKAWA)にも書いたのですが、無料のサービスがふんだんに存在する現代社会はわたしたちの生活を明らかに安楽にしており、これを一概に否定するのは良くないと考えています。


しばらく前にベストセラーになった「監視資本主義」という書籍は、グーグルやアマゾンのようなビッグテックは人々の行動を監視し、データ化することでビジネスが成り立っていると批判しました。人びとのプライバシーのデータを利用し、売買することによって大儲けしていることから、いまや資本主義の基盤は「監視」になってしまっているという内容です。


とはいえ、このような監視資本主義は、人々に「安楽な暮らし」を提供しているという視点も忘れてはなりません。個人がビッグテックに情報を提供するかわりに、無料や安価でサービスを受けられるという実利を受けているのです。


お金に余裕のない人から見れば、余計な広告がついてこようが、データを収集されていようが、無料で見られるほうがいいに決まっています。ネットフリックスに月額料金を支払うよりも、ユーチューブやティクトクで無料で動画を見られるほうがいいと考える人はたくさんいるでしょう。


監視資本主義批判は、「プライバシーを集めて利用するとは許せない」「人間をテック企業が支配している」と怒ります。しかし明日の食事にも困っているシングルマザーが、せめてもの楽しみにと子どもにユーチューブの動画を見せるようなことまで否定されていいのでしょうか。彼女の個人データはユーチューブを運営しているグーグルに吸い取られていますが、彼女はそれを否定してまでも子どもに動画を見せるのをやめようと考えるでしょうか。


個人のプライバシーの権利を守ろうという「監視資本主義」批判には、貧困層へのまなざしが足りていないのだと思います。「自由はないけれど、安楽な暮らしができている」を選んだ人たちに、「それをやめろ。貧しさは我慢しろ」と否定することはできないでしょう。だから監視と支配からの脱却を求めるという監視資本主義批判は、とてもエリート主義なのです。


MITメディアラボの創設者であるニコラス・ネグロポンテが1995年に書いた「ビーイング・デジタル ビットの時代」という伝説的な名著があります。この中で語られた「アトムからビットへ」と言葉は、当時のテック業界を席巻しました。アトムというのは物質のことであり、ビットは情報。つまりインターネットによって物質中心の世界から、情報中心の世界へと移行するとネグロポンテは説いたのです。


あれから30年近くが経って、メタバースが都市を情報化し、自動運転車がデータによって走っているのを見ればわかるように、まさに世界はビット化しており、ネグロポンテの予想は見事に的中しました。そしてこの「アトムからビットへ」というのは、消費にかかわるコストも大きく低減したことになります。物質から情報に変わることで、流通コストはほとんどゼロに近くなったからです。


アンドリーセンはこう書いています。


「私たちは、知性とエネルギーの両方を測定不能なほど安価にすれば、究極の結果として、すべての商品が鉛筆のように安くなると信じている。鉛筆は実際には技術的に非常に複雑で製造が難しいが、それでも鉛筆を借りて返さなくても誰も怒らない。私たちは、すべての商品について同じことが言えるようにすべきだ」


「私たちは、可能な限り多くの物価を実質的にゼロにし、所得水準と生活の質を成層圏に押し上げるまで、テクノロジーの応用を通じて経済全体の物価を引き下げるべきだと考えている」

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