見出し画像

人生を生きるために考える

私のしたい事って一体何なんだろうか。

30半ば、仕事は中堅、夫と二人暮らし

夫の前では妻としての自分
仕事では少しでも周りに迷惑をかけないように自分を抑える気弱な会社員
実家に顔を出せば無難な長女
友達の前では…と例えられないくらいに友達とは疎遠


これといった趣味はない
何にも熱しやすく冷めやすい
子どももいない
ペットもいない
最近はお酒を飲みながらちょっとした配信をして小銭を稼ぐのが楽しみになっていたりする


本を読みたい、洒落た液に漬け込むなどする時間のかかる料理を作ってみたい、発酵食を作りたい、ハーブを育てたい、経済の勉強をしたい、一人キャンプしたい、ワンピースを全巻読みたい…色々な思惑はあるのに集中力と体力のなさで続かない。

これでも初めて会う人にはギア全開で関わるので、面白みのない地味なヤツだと言っても信じてもらえない事も偶にある。
時事、ゴシップ、スポーツ、話題になっているサブスクの映画や音楽、流行りのお店やカルチャー…
ここら辺のどこかを軽妙に打ち返しておけば会話なんて弾むものだ。
そこから相手の人となりを知る糸口を見つけて深めの話をしていけば話題に困る事なんてない。
だが。話が弾んで、お酒の席だったならばお酒もすすんで、いい時間だったとする。褒められるなどして、調子に乗っていることもある。
ただ、ふと我に返ると、虚しさだけが残っている。
何故だろうと考える。私のしたい事は、楽しく人と関わる事?褒められる事?

相手に好かれるための振る舞いは分かる。
初対面で人から好かれる方法、懐への入り方、場の盛り上げ方、配信での稼ぎ方。
相手がどうしたら自分に好感を持つのか、その軸だけしかない人生だった事にここで漸く気付く。

これまではそんな生き方でも虚しさに気付かずにやってこれた。それは若かったから。
もう30半ば。結婚もして、異性から軽率な言葉で甘やかされる事も少なくなる。同性と密に連絡をとって励まし合ったりもそんなにない。

同じような事で悩んだりぶち上がったりして生きてきた友達は、いまや仕事や子育て、趣味に没頭して他人軸からかけ離れた世界にいる。
私はまだこっちの世界に取り残されて、誰かからの言葉で一喜一憂しているというのに。

いつまでこっちの世界で不貞腐れて、私に降りかかる全ての災いは他人の所為みたいな顔をして生きているのだろうか。

いつか誰かが救ってくれると思っていた。
誰かの言葉ひとつで舞い上がったり、暗い海の底まで沈んだりする私を。

いつか救われると思っていた。
インドに行ったら、とか。バンジージャンプをしたら、とか。結婚、出産をしたら、とか。

誰も救ってくれなかったし、何かを経験して救われる事はなかった。
結婚したって海外に行ったって変わらなかった。
それをきっかけに自分で考えなければ変わらないという事を知った。


私が最近抱えている慢性的な心の奥の鉛のような虚しさはそれだ。
私のしたい事。それは私の人生を生きる事だ。

こうして文章にすることで、客観的に自分をみたいと思った。ただ日々に流されて、人に流されて、このまま終えたくないと思った。
自分の人生を生きる、最初の一歩。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?