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川柳句会ビー面 2023年4月


四分の一だけめくれている夕べ

空とか街を見ているとその完璧さが不思議になってきて、どこかに少しだけでもバグってたりしないかなって思います。夕べくらいになれば少しだけ異常が起きるのも当然のような気もします。────────スズキ皐月
わりとめくれてる! だけって言うから一瞬ごまかされそうだったけど、四分の一は大きいです。なにが、がちょっとぼやけますが(主語なしか、夕べか)、これは変数だととらえられそう。そういう意味ではいい具合の脱力感があらゆるシチュエーションにマッチです。かぎりなく並選にちかいです。────────西脇祥貴

ちいかわ(日曜・祝日を除く)

日祝はちいかわじゃない……日祝はちいかわじゃない……ずっとちいかわではいられない、寂しい。でもほんとは全然ちいかわじゃない誰かがちいかわやってくれてる、なんて思ったらちいかわにも日祝ぐらいの自由はあってほしい。────────城崎ララ
休みの日は気分が大きくなる、無敵な気になるアレですね。月曜から土曜日まではちいかわのあの弱弱しい感じで生きている。────────スズキ皐月
ウィークデイはちいかわで日・祝はそうじゃないらしい。逆では? と思うものの主体がそういうんだからしかたない。ちいかわ読んでいると、あの世界がいいなー、とは決して思えないので、ウィークデイ側をちいかわに充てる心情に共感はできないのですが、あるいはそれも覚悟のひとつなのかも。それか突き詰めた社会詠。じゃあちいかわそのものでいいじゃんかよ、といいたくなるものの、日・祝をそこから逃がした快挙には拍手しておかないといけませんね。────────西脇祥貴

トレンドに乗り遅れてる異種和姦

異種和姦の異種、をどこまで広げられるか……。ていうか同種強姦はトレンドだったんですか?────────西脇祥貴

フランス版ゴジラが洒落た寄席をする

内容は面白いです、見たいってなりました。フランス版だとぬるっとしてそうなのもふくめて。音数もほぼ17に収めてますけど、だいぶ散文っぽいのだけが気になっちゃいました。。。────────西脇祥貴

踊り字でからだをあらってもいいよ

踊り字をあつめてどれが一番洗いごこちがいいか比べてみたい────────城崎ララ
シャワーからジャーッと出てくる、々。────────西脇祥貴

つま先は正直になりたがってる

つま先、つまり進路ですよね。進路。あらゆるところで進む道って問われて、でもなんていうか、親が喜びそうな道とか、一般に安定していると言われるような道とか、昔なりたいってぽろっと言ったものにとらわれちゃってとか、そういう自分じゃない何かが影響して、本心じゃない進路選択をしちゃったりする。つま先。自分のつま先。自分の選ぶ道。正直になりたがってる。クリシェかなーとは思うけれど。心が叫びたがってるんだ的な言い回しだし。でも真っすぐでいいんじゃないかなと思う。つま先、俯いて見る体の場所で、この言葉を使うと集中している感じが出る。────────雨月茄子春
身体の一番はじっこの部分は、うまく嘘を付けない。理屈っぽいかもしれないけど、素直な感覚だなと思いました。────────佐々木ふく
これは気づき句の一つかと思う。つま先に気持ちがでる。だが最近は新調したローファーがきつくて、つま先が正直になりたがっている気がする。不愉快さについて嘘はつかない。つま先はこんなに正直なんだ。────────ササキリ ユウイチ
なにに対して? 何からの要求で?? きっかけが気になります。────────西脇祥貴

かんぱーいにんげんなめ子かんぱーい

素直になめた雰囲気ですきです。────────佐々木ふく
なんちゅう名前。ろくでなし子さんとかぱいぱいでか美さんの系譜ですね。歌手だったら聞きそうだし、詩人だったら一篇は読みそうだし、お隣さんだったら余ったおみかん差し入れそうな、ぎりぎりのライン上にいます。でもちょっと意図が明らかすぎる、ような。────────西脇祥貴

ため息がバルタン星人のハサミから

出そうな形状。パンドンの口に近いですよね。ただ、いわゆるため息なのかは疑わしいです。どんな情から出た、どんな気体なのか……?────────西脇祥貴

性愛とムツゴロウ!夢の共演!

真反対に見えるものがじつは近いものどうし、というやつにはまってそうな気がするものの、勢いだけは買わせてください。そうだよな、ムツさんって動物に近く、動物って行動原理にしめる性愛の割合、たぶん人間より高いもんな。高いというのか、濃いというのか。だから夢の共演! まで言われると、そこまでではないかも……と思ってしまいました。────────西脇祥貴

父親が精子をそそぐグラノーラ

体言止めでグラノーラ。牛乳と精子との対比がわかるんだが、その一歩先に「父」と何かとの対比がある。牛乳を注いでいたのは誰か?────────ササキリ ユウイチ
うえ、最悪。と思ったけど、最悪なことと良い悪いは同じことじゃない。汚くて良いものもあるし、きれいだけどつまらないものもある。当たり前ですが。なんかオイルタンクからドクドク注いでる感じがあって、工場的な感じ?グラノーラの、無機質な食事感がそういうのを呼んでるのかな。父親もなんか無表情そう。石田徹也の絵画みたい。────────雨月茄子春
たんじゅんにきたない……おいしくないし。色味だけは牛乳と近いけど、どのような形態で入れるかによって量が絶対に足りないし。あ、牛乳は注いだうえで追い精子なのかな。じゃあ足りるか……おいしくないけど……そもそもグラノーラ、そんなおいしー、ってものじゃないけど……。AV業界の横町をのぞけば、あるいはサイケなPVならありそうな映像ですが、そうやって映像化できてしまうのが、かえってこの句の伸びきってないとこかな、と思いました。露悪上等。ただしやるならもっと、もっときたなさをえぐってほしいです。それもこっちの想像できないくらいに。見ただけで呪われる、って思うくらいのきたなさをください。そしてそれはたぶん、川柳にしかできないタイプの呪いだと思う。その扉を開いた句だから並選。────────西脇祥貴

平熱をバターロールに叱られる

バターロールを消費する側の者として句をみたとき、できたてほくほくふわふわのバターロールは僕を叱るのだろうか。そんな平熱では来るべき試練を乗り越えられないぞ、と。朝の一コマ。バターロールがバターロールを叱っている読み(読者が強制的にバターロールに成ること)もできる?────────太代祐一
本来叱られるべきでもない平熱という状況を叱られるとして、バターロールから、と提案されたとたん、それ以外考えられなくなった。ということはここにはなにかあると思いました。バターロールのフォルム、あっさり味、その割もっちりした(これは店や企業によるか……)内実、この世に大量に存在する事実。つまり平熱をバターロールに叱られている人は、けっこうたくさんいるんじゃないか。そしてけっこう、頻繁に叱られているんじゃないか? とするとこのお説教は説法にもねじれ、祈りにもねじれる。叱られておくことで、その日の後の不穏を払う儀式のような。とたん立ち上がる、バターロールの聖性。ちょっと「はじめにピザのサイズがあった/小池正博さん」っぽいな、と思ったのは、説教×パンの組み合わせだけからかな。でも魅力のたとえとしてはあながち外れてないんじゃないでしょうか。今後バターロールを見る目は、まちがいなく変わりそうです。────────西脇祥貴
平熱とバターロールの取り合わせが絶妙だと思いました。────────佐々木ふく

投票は妻に任せていますので

新聞柳壇とかに紛れこますとよさそう! こういうのこそがいわゆる日常句、直線のうがち、ですよね。うんうん。現状からするとこっちがフェイク日常句扱いになっちゃうんでしょうけど、ならそれを逆手に取る道は、ある。この系統の句がどっさり入った地獄絵図みたいな連作が見たい、という希望を込めて、並選にします。もういっそこういう句しか入ってない句集があってもいい。フェイク属性川柳。それってほんとうの意味での川柳への恩返しになるんじゃないでしょうか。────────西脇祥貴

市役所で「いいえ」に○をつけて寝る

「いいえ」に小さな抵抗を感じました。────────佐々木ふく

焦げを削ぐ仕草がさみしいに似ている

無心でする行為は孤独に近い感覚がある。焦げを削ぐのもふたり以上ではやらない行為だしさみしいに似ているのも納得する。情景の描写が良いです。────────スズキ皐月

奥の目で見てきたふわふわだったのに

奥の目。眼球よりも奥の視神経を指しているのでしょうか、もっと本質的な「見る」を感じます。脳梁とかそこらへんに居つかせていた、ふわふわ。たぶん目を閉じて見るタイプ。ずっと、ながいこと一緒にいたはずです。それなのに、「だったのに」とは穏やかでない。引っ張り出されたのか?抹消されてしまったのか?なにか外側からの介入を感じます。あるいは自分の誤り。いずれにせよ、感じるニュアンスはふわふわの消失。「奥の目」であることでよりかけがえのなさを感じます。もう見れなくなった/見えるようになってしまったふわふわ。作中主体のまなざしが失望であるか、寂寥であるのかが気になる句です。────────城崎ララ
のに、が期待や予想を裏切ったことを教えてくれて、ふわふわが消失してしまった。奥の目という見慣れない表現は、奥の手を連想させて、すごい見識とか幻視とかを見ることのできる視覚で、その事は自分だけの秘密のようでもあります。そんな自信のあったまなざしでもとらえられないふわふわの掴み所のなさを、奥の目とのにで演出してみせたのがうまい。────────公共プール
奥の目、がなにげに難しい、目の奥、でなく……。ただ、そのあとをふわふわで一気に抜くことで、みょーにバランスが取れています。細部は説明がないのでなにがなんやら、のはずなのですが、奥の目の謎と「のに」がどうにも通り過ぎさせてくれない。。。────────西脇祥貴

吉凶をあちこちなでて暮らします

吉兆ではなく、吉凶。よいことも、悪いことも手元でなでて、ともに暮らしますという宣言。穏やかで、すこやかです。面白いのは、あちこち。あちこちなんて言うと、まるで吉凶が多角形かなにかみたい。でっぱった角を撫でたりしながら、良いことも悪いことも同じようにそばにある。「あちこちなでて」はあるいは必死に機嫌をとって穏やかにさせようとしているかのようにも取れますが、「暮らします」という作中主体の主体性がそうはさせない。良い句だと思います。────────城崎ララ
生活ってそうですよね。良いことと悪いことをなでながら暮らすもので、そういう大きな視点が良いのではないでしょうか。────────雨月茄子春

ノーパンでジーンズ 街が新しい

何らかの事情で「ノーパンでジーンズ」。すぅすぅとした感覚が股に新鮮で、目に映る街だって何だか刷新されたみたい。しょうもない変化なのにこれくらいオーバーなのが器を際立たせている。気がする。────────太代祐一
こういう空白のある9音8音や8音9音の2ブロックの句って珍しさから同様の先行してる句、「印鑑の自壊 眠れば十二月」とかを思いださせるのがおもしろい。川柳は自由という魅力に加えて、自由さに寄る辺ないものの、新たな独自ルールを作ってしまうのもまた楽しい。句の意もデリケートゾーンの皮膚感覚を街にまで引き伸ばしておるのが、勝手すぎておもしろい。────────公共プール
うんうんこれも日常句。……ちがうのかな。剣道やってたからノーパンってさほど抵抗ないんですが、一般的にはどうなんでしょう。ジーンズ履いてるし、見えない部分は自由なのだから、わりとすがすがしい日常の句だと思ったけど……。うーん、しかしだとしたら、わりに普通の感想。せっかくのノーパン、もっと感覚の研ぎ澄まされることがあったろうに、街が新しい、ではまだちょっと入り口すぎます。それでなにがどう見えたか、なにがどう聞こえたか、なにがどう香ったかまで突き詰められそう。ここからここから!────────西脇祥貴

系図でのダイブは真顔ですること

ダイブは上手にやれとか言うけど、ダイブに上手もクソもないでしょ。しかも上手がいたとして、下で支えてる人でしょ。だからメロコアきらいなんよ。社会構造の悪いとこ丸出しの現場で、愛とか絆早口で歌って金取ってる場合じゃないよ。────────西脇祥貴

ボサノヴァの軌道で君は嘘をつく

ボサノヴァの軌道……。こういうことばに轢かれたさで川柳やってるなあ、と改めて気づくくらいの、キラーフレーズです……! 遭遇したとたん、あらゆる感覚からこのことばのつながりを探りたくなります。視覚から入ったボサノヴァは聴覚・触覚・嗅覚を刺激、音楽ってつよいですねえ……。そしてその描く軌道、という絶妙な飛躍。ボッサのリズムをプロットして描かれるのは、どんな軌道? ひたすら脳味噌フル回転。その間もずっとボッサが流れるわけ=踊ってるわけ。この時点でもうごきげん。これだけで数日ごきげんでした。だからこそ、その後がむずかしくなるはず、なのですが、それにつくことばとしてだとこんなにかがやく、「君は嘘をつく」!! ここだけ抜いたらど陳腐街道まっしぐらなのに、こうやって生かすことができるとは……。ボサノヴァの軌道のイメージが添うことで、ありふれたフレーズに未知の角度が提供される。そういう潤色というのか回復というのか、なにかそういう熱い運動が、一句のうちで巻き起こっている。ちょっと泣いちゃいそうなくらいぐっと来ました。句意を思えばせつないものも感じられますが、なにせボサノヴァ。そんな嘘なら吐かれてみたいとさえ思うし、そんな嘘だと指摘できる目の持ち主はかっこよすぎます。用字もびたっとはまって言うことなし。特選です。────────西脇祥貴
すごく心地よさそうな嘘です。嘘だと分かっていて、その嘘にのる。そんな関係を思いました。────────佐々木ふく

木漏れ日のれの気分だねZ世代

Z世代がちょっと便利すぎるなと思った、ということはまだきっとナマなことばなんでしょうね、Z世代。もう少し枯れてから、いろいろ美味しい使い方が見いだされそう。その前の部分はすきです。────────西脇祥貴
「木漏れ日のれの気分」がおもしろいです。Z世代で締めることで、急に現実的な理屈に集約されてしまう印象になって、取りきれませんでしたが、気になる句でした。────────佐々木ふく

ミシン目に沿って抱擁委員会

ミシン目を、ふたつを分かつ境界線としてしか、普段は捉えていなかったが、そうか、ふたつは抱擁しているのか。ミシン目はあくまで便宜的に第三者がつけた境目に過ぎず、もともとふたつはひとつだったのかもしれない。それとも千切られたのちのなにものかを抱擁しているのかもしれない。どちらにしろもどかしい。────────太代祐一
個人的にいいかな、と思って出してみたら、今回全体に句が軽くって(悪い意味じゃないです)重たっ、、、となりました。今回出す句じゃなかったかも。。。────────西脇祥貴

ちゅ 生まれてきちゃってごめん 生まれてきちゃってごめん

最初の「ちゅ」をどう受け取るのか。全ての愛情がここに込められているのか、ちゃかしなのか、両方か。「生まれてきちゃってごめん」と2回も言っている割に、生まれてこなきゃ良かったとは感じていなさそうなゆるさが素敵だと思いました。────────佐々木ふく
「生まれてきちゃってごめん」は原曲だとポジティブな意味合いだけどここだけ繰り返すとなんだか悲しい。「ちゅ」もひらがなだと弱弱しい。────────スズキ皐月
元の曲は聞いてないし、聞かない方がいいかもと思い聞かずに評を書いています。なぜなら、この句の方がいいだろう、というへんな確信があるから。太宰兄いのことはあまり関連付けずに読むのがよさそうで、というのも「生まれてきちゃってごめん」は今となっては、わりとみんな一度は思うだろう普遍のことだから。いい加減兄いの決め台詞にしておくのやめない? 派からすれば、そのためのチャレンジとしてこの句はうまくいってると思います。ちゅ、とひらがなにして記号もつけず、アピールをちょっと冷ましたのもいい判断なら、生まれてきちゃってごめんを二回繰り返したのもいい。字面は同じでも、頭の中ではちゃんと差がついて聞こえます。自省に聞こえるときもあるでしょうし、覚悟に聞こえるときもあるでしょう。読み手に添って生きてくれます。そしてここにも記号や句読点がついていないので、あくまでフラット=読み手のどの感情にも寄り添えるし、つねに自立してもいられる。パロディ×パロディのやり口でオリジナル神話をゆさぶりつつ(これが主眼じゃないのがポイント!)、字面はわりとまんまながら、その情感への効果の点でこれまでになかったことをやっている句です。まさにいまの川柳、現代川柳。特選あげたいくらいです。────────西脇祥貴
そんなぬるいこと仰らないで。お前を産み落とした世界を今お前が裁くのよ────────公共プール

口腔内に友の会

口腔内って何歳のときから言うようになっただろう、と考えたりした。校友の会なんだよな。同窓ってわけ。同じ釜の飯を食った仲間。同じ窓。同じ口…?────────ササキリ ユウイチ
ジュニークのオリジネーター・西沢葉火さんのジュニークは大まかに、①駄洒落からねじって思いがけないところに着地させるものと、②超がつくほど純粋無垢なロマンティック叙景の二種類に分けられるんじゃないかな、とぼんやり思っているこの頃。わざわざそれを書いたのは、この句がそのどっちでもないことを言いたいがためです。────────西脇祥貴

犀を待つ ハッピーパウダー銀座で

これも犀の字が重たいかも。。。どうでしょう。ハッピーターンはそんなでもないです。味濃いし、粉っぽいし。────────西脇祥貴

蛍光灯ほたるはいなくなったけど

絶滅した生きものや今はない道具とかを表す漢字には不思議な魅力があります。必要から不必要に向かう速度はたぶん昔よりどんどん早くなっていて、死んでいく言葉たちはどんどん増える。そんなことを想起させます。蛍はまだ絶滅してないけど。────────スズキ皐月

林柄犬断面の特集号

いやーな文字列にビビっと来ました。犬断面……嗜虐的な趣味をお持ちで……しかもそれが林柄なのか~。なんかお散歩の記憶がふわっと出てきて、それからその犬が断面になる、つまり……かなりグロテスクなイメージですよね。ほのぼのお散歩森林浴~からの動物虐待、を特集している最悪雑誌がある。世界には。そういうものを好む人がこっそりとそういうものを楽しむ空間が、この世界にはきっとあるんだ。善悪とかではなくて、その先の、あるいはその大元の、人間がいることによってどうしても生まれてしまうものとして。特集号、ちょっと嬉しそうなのなんなんだ。────────雨月茄子春
読みてえ────────西脇祥貴

缶コーヒーの缶錆びるまで首肯けよ

あえて同語反復で言う「缶コーヒーの缶」の、つよさ。────────西脇祥貴

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