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川柳句会ビー面 2023年5月



手をあげてこの痛みですと教える

小学校低学年の頃、朝礼で一人ずつ健康状態を申告する時間がありました。先生が出席番号順に「○○さん」と呼んだら生徒が挙手して「はい、元気です」とか「少しお腹が痛いです」とか言ってたんですが、そのことを思い出しました。今考えればシュールな空間だなあと思います。自分の体調を管理しきれない子供だから痛みを大人に教えるシステムにしているですが、この句では教える主体が痛みを客観視しているところがあって、そのズレが面白いです。────────────────────────南雲ゆゆ
ていねいな、いや馬鹿丁寧な加害者へのレクチャー。あえて学習させてやろうというその状況・行程がグロテスクで、それもこの口調の冷静さでいや増しにされます。医師との面談かな、とも思ったけどそれだけでは放してくれないなにかがあってこの読みに。伝わる・伝わらないの試行錯誤はとうに投げ出した。おまえは知る必要がある、伝わらないと言う余地はない、という無言の圧力がみなぎっています。フィットする状況が悲しいことに多いのでちょっとぼやけますが、それは普遍にもなり得るということ。標語のような導入もうがちの強度を上げてます。うん、ちゃんと怖いです。────────────────────────西脇祥貴
歯医者とかでよくある「痛いところあれば~」のやつですよね。でもこれを言う人はたくさん痛みを抱えている。その中でひとつ選んで手を挙げる。悲しさの中のユーモアでした。────────────────────────スズキ皐月
演劇っぽさがあって好きでした。システムの話をしてる。痛みを教えるためのシステム。それは手をあげること。歯医者っぽいけど、なんかそれを描写したかったわけじゃなくて、この句の持つ緊張感、を伝えたいんだと思った。どきどきする。────────────────────────雨月茄子春
尋問官がお前らのことを愛してるから殴るんだっていいながら拷問する感じだけど、わりとありそうな状況に思えた────────────────────────公共プール

ひざ小僧とひじ乙女、ぴざ法王ピ

ひざ小僧→ひじ乙女までは相当の確率であるので、やはりポイントはぴざ法王かと。その前の読点が気になりますが、抜いてみるとある意味は分かる気がしました。階級差というのか、なにか高低をつけたかったのかな。それで立ってくるぴざ法王なんですけど、そもそもそれまでのルールを大きく外れてます。ぴざは体の部分じゃないし、法王はもう特権階級だし。飛躍を茶化してると言えなくもないですが、字面と含意で笑わせてくれます。法王のおなか、ぴざで出来てそうですもんね。で最後のピ。これふつうにpi音の表音文字として読んでたんですが、いま書いてる間眺めてたら、「足を投げ出して座った首のない人が、自分の首を両手で前に捧げ持ってるかたち」に見えてきました。半濁点が首、上の横棒が手、舌の横棒が投げ出した足。読み過ぎかなとも思うけど、川柳に読み過ぎはないからこれもあるはず。法王から斬首はじゅうぶん呼べますし。でもなんか、残酷さはないんですよね……。むしろポップ。首取れてるのに。血も肉も見えないからそうなるのかもですけど、ここまでポップに示されると、なんか首切られても切れてなくてもそう変んないよ? Life goes on! ってぴざ法王に言われてるみたいで、なんだか元気が湧いちゃいました。首切られてるし、ろくなことしてないはずなのに。縦書きだとなお効きそう。────────────────────────西脇祥貴
「ぴざ法王ピ」がわからな過ぎて面白い。ピザの法王なのかな。小僧と乙女のリズムがあるから気持ちよくわからないができる。────────────────────────スズキ皐月

アジサイやアフロ(取り返しつかない)

アジサイとアフロが並列されている文章を見たことがなく、しかしこれって近い気のする言葉だよなとも思うので、どこかで生まれているかもしれなかった取り合わせなのでしょう。その「どこか」がビー面だったことを嬉しく思います。────────────────────────雨月茄子春
七七句で読んじゃいますよね。七七句だとして(五七五だとリズムががたがたすぎる)、こういうリズムの詩がすっと入ってくる。朗読したくなる。諳んじるだろうな。────────────────────────ササキリ ユウイチ
アフロはともかく、アジサイも、なのか……? 片手落ちのなぞかけと見ると、アジサイが取り返し付かない理屈にえんえん取りつかれてしまいそう。シンプルなのに迷宮の入り口。────────────────────────西脇祥貴
頭韻と、形状の類似がおもしろい。もう17音にこだわらなくともいいのではとも思う。────────────────────────公共プール

僕たちを友達たらしめている縄

たら「しめている」と締めているの掛詞が面白いですね。────────────────────────南雲ゆゆ
SMまで読み込んでもいい気はしつつ、口調がカタいので電車ごっこかな? と思いました。SMなのに友達、という深みを掘り下げてもよさそう、ですが……。あの自由で不自由な囲い。したことないけど。ただ一本の縄がいかようにも使われる、と思い始めると、工藤吹さんの「何通りもある遊具は棒なのに」の句も浮かんだり。でも長さも太さも想像自由なので、こういう縄は案外何本も自分から出てるのかも。赤い糸の比喩と並べると、またいろんな意味合いが表れそうな。つながりとその比喩のウェイトが逆転しているようでもあり。────────────────────────西脇祥貴

連勤はラ行のミスをループする

れらるる、ですね。ラ行の文字だけ取り出すと。ループするのはラ行でしょう。るがあるし。正解!と膝を叩けたのでこの川柳の勝ちです!────────────────────────雨月茄子春
なんだろうラ行のミス。連絡不足? 漏電? 落涙? と考えだすとちょっと幅が広すぎて、それらみんながループするのだと、効くべきポイントのはずの「ラ行」がうすくなってくるように思いました。────────────────────────西脇祥貴

お気持ちにアルミホイルとエゴサーチ

宮家のよく使う方の「お気持ち」? アルミホイルは一本なりなのかそれで包まれるのか、そしてエゴサーチはそこにどう絡むのか……。ほどよく全部が乖離してんなあ、とほのぼの読めちゃいました。ばらばらやん! と手も付けられない句もあるっていうのに。これちゃんとばらばらなんだろうな。去年のM-1のキュウさんのネタみたいに、ちゃんと違うものであるってたぶん大事で、そこに作意を読み取らせないように離すための作意、というものも川柳には要るのか……とあらためて思わされました。いや、作者さんからしたらリンクあるのかもしれませんけど。読み手それぞれの各語との距離感によっても受けとめは変わりそうですが、西脇は並選入れるくらいには惹かれました。────────────────────────西脇祥貴

仕方ない駅は烏賊墨色なんだ

仕方ない○○なんだと諭されたところで、現状は良くも悪くもならないし、烏賊墨色の駅にいたっては良いのか悪いのかわからない。でも仕方ないって言っているからアンハッピーなのかな。それでも利用するしかない。────────────────────────太代祐一
仕方ない、の唐突な諦めと甘受は、駅が烏賊の墨の色だと自分に言い聞かせるように言い切る。反論や疑いを押しきったのは、駅が烏賊墨色という、事実というか自身の目に写る現実というか。いつぞや、ツイッターで流れてきた画像には、烏賊の墨を蓄えている内臓が青紫色で、単なる黒色ではない豊かな色彩がきれいだったこともあり、その色の駅という人々が行き交う場所というのもぐっとくる。以前、駅に青葱を活けるという句にも心を動かされたが、私は駅というかどこかに出掛けたがっているのかもしれない。その駅が、艶かしい烏賊の墨色という、行き先も怪しげな魅力で蠱惑的。────────────────────────公共プール
仕方ないはじまりのクリシェ感。これはどうしようもないので、どうにか「仕方ない駅」(北海道にありそうですね)とまとめて読むことで、烏賊墨色が生きてきました。ただの黒とか墨色でなく、烏賊墨色。違いはもちろん香りと旨味。撮り鉄どものメッカでしょう。あと野良猫どもの。みんな駅中舐めちゃうから、駅員さんが頻繁に烏賊墨塗りなおすんでしょうね。「仕方ない駅」という概念も好みです。ひとはどういうときに、どういう乗り継ぎを経て、仕方ない駅に下りるのでしょう。そこをあえて掘り下げず、色だけを言った判断が良いです!────────────────────────西脇祥貴
駅は電車に乗る場所なので、そこに対しての仕方ないは目的地への移動を諦めることかなと思います。誰かに言い聞かせているよりは自分自身に理由をつけて諦めている感じ。駅が烏賊墨色なんだって。なんだか不甲斐ない雰囲気ですが、その不甲斐なさが烏賊墨色に集約している気もします。────────────────────────城崎ララ
たしかに!ってなる。本当はぜんぜん烏賊墨色のみではないけどそうだと思わされる。仕方ないという諦めムードが誘う納得なんだと思う。────────────────────────スズキ皐月

契約が取れずジュラ紀に手をあげる

ジュラ紀、持ってきたくなる気持ちがわかる。何に手をあげようか悩んでこの単語を見つけたのかなと想像して、そうなったときに意外性のジュラ紀って多分そこそこ選ばれる。けど、契約が取れなくて手をあげる、ということの面白さでどうにか並選、という感じです。ちょっと辛いかもとは思います。────────────────────────雨月茄子春
契約が取れないからって手をあげるだなんて......。しかもジュラ紀に......。返り討ちに合いそうだけど大丈夫?────────────────────────太代祐一

うでがいっぱい さわれるプール

今回の投句された中で一番不気味で良かった。腕がいっぱいあるという状況は普通触られることに重点が行きそうだけど、この句はさわることができるというところに着目している。少し逆転的で良い。────────────────────────スズキ皐月
こわいこわいこわい! まずそんなプールを思いつくこともこわければ、どんな立場のなにが、なにをさわりにくるプールなのかがここからはいっさい読み取れない。なのに句にされた以上、そんなプールがあってしまうということがこわいです。映画『パフューム』のこわさ。たとえうでだけでも、いっぱいあるとおのずと生じてしまう動き、意志。それも意図なき意志。本能、と言えればまだしも、うでだけで表されるうごき、うごめきに、どんな意志が読み取れるというのか。読み取れないというこわさを、うで、という選択でもって各自の頭の中で増幅させる、そんな邪悪な意志を持った句にさえ思えてきます。しかも邪悪、って思ってるのはこちらだけで、句にそんな意志はやはりない。いやあるのか、書き手まで戻ればある? でもかなカナのみでできた字面といい口調の幼さといい、もう書き手を離れて勝手にうごめいていそう。迫力の句。承認欲求のカオス。さわりたいのか、さわられたいのか。あー、でもここまで来ると、とても根源的な欲求のすがたにも見えてきました。そういううつくしさがこわさの裏にあるのかも。────────────────────────西脇祥貴
人々で混雑するプールをあえて腕だけ描写したことで、後半にさわることができる/さわられる、というようにその意識の境を曖昧にしているのがうまいし、省略と写生の効能でグロテスクさを引き出している。そうすると、水泳をするプールではなくなって、文字通り腕を浮かべた様子、薬品漬けするための水槽のようなイメージもちらつく。私は公共プールなんて雅号にしたことで、プールという名詞を句作で迂闊に選べなくなったので、そういう羨望もこの句には抱いた。────────────────────────公共プール
気になる句です。プールって……まぁそうなんですよね、うでがいっぱいあって、さわれる(さわる機会・能力)を付与されてしまう。うん……やだね……────────────────────────雨月茄子春

磨硝子(検索窓は割るために)

(検索窓は割るために)が強く、良くできすぎていて「磨硝子」にどうしても納得できなかった。くやしい────────────────────────ササキリ ユウイチ

持ち運ばれる漣 滝沢歌舞伎

滝沢歌舞伎の使いみちって……。────────────────────────西脇祥貴

忙の日々さよならドミノさようなら

ドミノ倒しと忙が近いかんじはしますが、これも中七を「さよならドミノ」とまとめて読むことでおもしろがれそう。さよならするときするドミノ。それすらも並べたり、倒したりできないほどの、忙。ゆえのさようなら。さよならドミノが生活の潤いの謂いだとしたらせつないですが、さよならのリフレインといい、ちょっとセンチ過ぎるかも。────────────────────────西脇祥貴

偏西風で染めた朝礼

全部がこわれていて面白いと思った。秩序と規範が破壊されているたいへんいい川柳です。風で染めるのも面白いのと、偏西風がはるか上空で一切朝礼とも関係がないのが面白い。朝礼のときに、空をながめて偏西風(たとえ偏西風ではなかったとしても)を眺めてこんなことを考えてくすくすしていたら面白かったかもしれなかった。まあそんなのどうでもいいくらい、よい七七句だ。────────────────────────ササキリ ユウイチ
偏西風は何色。吹く風の方がむしろ朝の色に染まって、はためく掲揚台まで幻視できる爽やかさのある句。朝礼は気怠く、気の乗らないものだったりしますが、風の吹くおおきな景色を感じる。────────────────────────城崎ララ

いかれ夏いかれ向日葵いかれ咲き

あんまいかれいかれ言わない。────────────────────────西脇祥貴

差し押さえられた目次を伯父にする

5-7-5ではなくて12-5で読んだ。差し押さえという強引で素早そうで抗い難いイメージが12音にはまり、目次と伯父の脚韻というか似た音の調和で気持ちがいい。音数や耳触り、型が先立っていて、意味は後からついてくるようだし、整然としていない強引な意味付けや物語の読み取りは、受け手を読解や考察に誘っていて引き込む力が強いと思う。これをもっと強くしたら、歌詞として駆動させることもできるんじゃないかともおもうけど、どうだろう。意味や物語の読解としても、川柳では家族親族がひどい目に合いがち、という定番の読みもそれはそれとして楽しい。差し押さえは赤い札を家財に張り付けていき接収され、張られないものは無価値なゴミとして残る。本の目次のページで無価値とされて、蛍光ペンでマーキングされないのは何だろうと考えると、雑誌だったら○月△号、単行本だったら✕章といったページ以外の数字だろうか。人生の年齢と本のページ数が客観的相対的なもので、人生や本の節目は主観的絶対的なものと、いえるだろうか。その残ったもの、他者には無価値なものを伯父そのものと見なす宣言は回りくどいさもあって、屈曲した語り手の心境と伯父との関係性も邪推させる。────────────────────────公共プール
三段階の接続のひねり具合がほんとジャストで、しかも伯父に飛ぶに当たってはちゃんと前の部分よりひねってもらってあります。序・破・Q。そしてもちろんズームしていっても面白い。親の兄という、絶妙な位置に据えるものとして、永遠に謎を提起してくれそうな「目次」。差し押さえられた経緯といい(禁書? 借金のカタ?)、その内実といい(何章立てで、一章あたりのタイトルの字数はどんなものでしょう……)、差し押さえられている情景といい、そしてそれを伯父にしようと思った心の動きといい。差し押さえられたものを伯父に出来るという点で、主体の階級の特権性もかいま見えます。差し押えって、できる人限られますもんね。だから目次の方も、強制的に伯父にされちゃうわけか。ドラマが生まれそう……張り裂けそうなドラマが。せめて主体と目次の間に、ひとすくいの平和な時間のあらんことを。差し押さえられた表紙とか本文とか跋とかしおりひもとか花ぎれとかも集めて、差し押さえられた家族になったらいいのに。でもそれが叶わなそうな予感も含めて分厚い句です。────────────────────────西脇祥貴

よみがえるカメラ男子の国の思想

観光地でよく見かける、首から一眼レフをぶらさげていて、写真に真剣に取り組んでいるというよりかは、「一眼レフをもっている自分」が好きな、カメラをファッションとしてしか扱っていない世にも評判の悪いカメラ男子(すべて偏見)だが、そのような国の思想が一度滅び、そしてまた復活するだなんてきっと碌でもないに一票。────────────────────────太代祐一
よみがえる=いちど滅んでおる。であるからよみがえりの際は慎重に見定める必要がある。思想、と大仰に言っているあたり興味をそそりますが、そういう風に大仰に持ち上げるやつほどからっぽなこともまたあるわけで……。よみがえる、もその感じをたすけていますね。────────────────────────西脇祥貴

なにがどうあれお戦地なエジプシャン

猫の両義性。────────────────────────西脇祥貴

つかの間の吐露の向こうへ行ってくれ

思わず出てしまったけど見られたくない感じ、好きです────────────────────────城崎ララ
タクシーかなあ。────────────────────────西脇祥貴

偽りの発光体はずっとともだち

悪くない、わるくないんですけど、「ずっとともだち」の粘り気が思ったより強いですね……。────────────────────────西脇祥貴

夭逝に甚く感謝し合流し

夭折をありがたがるの、どうかなと常々思っているので、そういう態度へのうがちと取りました。────────────────────────西脇祥貴

出会い厨服役中のたからもの

どれだけしんどい服役だったのか……────────────────────────西脇祥貴

こんにちは条理。砂糖は二ヶだよね?

いい!こんにちは句としてすごい痛いところをついている。あイテテテって感じだ。厨二漫画感があっていいぞ。────────────────────────ササキリ ユウイチ
条理に会える作中主体はなんなんだ。砂糖の数まで覚えていて、お茶したことある間柄。なんだか親そう。ぴったり定型なところまで魅力的な句です────────────────────────城崎ララ
いやみじゃなく聞くのってむずかしい、もういっそ聞かない方がいいけど聞いてしまう時間の空きかた。────────────────────────西脇祥貴

過激派じゃないよ いっしょに滅ぼそう

まあ滅ぼすまで行けば過激派ではないわな。────────────────────────西脇祥貴

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