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川柳句会ビー面 2023年3月

爪の裏ではラムネが売れる

 月でなく爪、しかもラムネが売れるからには夏? 手の爪かな、足の爪かな、などとかんがえを広げるうち、いまセンバツやってるのでああ何回の裏かな、などと球場を思い浮かべてみたり(野球は全く見ません。ま っ た く)。
もう爪回裏か。ここまでこんな動かんゲームじゃいよいよ帰りたい。でも義務だから。いないと。なんか飲むか食べるかして気持ち引き延ばそう。ビールは止められてるし、せめて炭酸入ったものを……すみませーん。「はーいなんにしましょ」泡入っててビールじゃないの、なんかあります?「泡入っててビールじゃないの……チューハイならありますけど」あ、酒じゃないのがよくって。「お酒じゃないのは、コーラか、ラムネか……」ラムネって瓶?「はい瓶です!」ビー玉落とすやつ?「それですそれです」あー、じゃそれにしよっかな。「ありがとうございまーす!」
という、もんやりした空気に包まれた球場内の一コマ。素直じゃない買われ方をするすべてのラムネに、幸せのあらんことを!────────────────────西脇祥貴
「爪の裏」と読んだ時点では、指だか足だか人間だか動物だかのそこまで大きくない爪を想像しているのに、そこで「ラムネが売れる」となったときに、大きさの感覚がブレてしまう。その揺らぎがおもしろいです。
しかも裏やからなぁ…剥がれた爪でも良いですが、痛そうなので、本体にくっついた爪の裏に謎の空間があるのかなと思うことにしました。
あと、売れるものとしてラムネがベストなのか。わかりませんが、私はもともと飲食物としてのラムネが好きなので。お菓子のラムネのチマっとした感じで、爪のチマっとしたサイズ感に戻れるのもおもしろいなと思いました。飲み物のラムネなら、それはそれで。甘ったるい炭酸のシュワシュワもおいしいです。────────────────────佐々木ふく

君たちらしいその他だったよ

「雑草という名前の草は無い」みたいな話とも取れるし、どんなに自分らしくあっても「その他」から抜けられないーー「何者か」にはなれないという現代人の病を皮肉っているようにも取れる。また、性別欄に「その他」が設けられることが徐々に増えているけれど「その他」の持つレンジの広さについてマジョリティはあまりにも無自覚ではないか、という問いにも発展できると思った。シンプルで面白い句。────────────────────二三川練
  誰の視点なんだろう。自分があるから自分以外の意味合いが変化することってある。ここでの「その他」もきっと「君たち」がいるから何か特別な意味を持ってしまったのだろう。でもらしさとかもどうでもいいのかもしれない。多分そこに「君たち」とか「その他」があったことが良かったんだと思う。────────────────────スズキ皐月
  本来規定の外=雑多すぎてまとめられないものをむりくり括っておくための「その他」という枠に、君たちらしい、という修飾が付くとは。見限られているのか褒められているのか……。
でもその他って、当たり前ですけど、先に設定されてるカテゴリよりずっと多様で、そっちの中身をみている方がおもしろいこと多いです。それでいけば、褒められてるんじゃないかな。君たち=ぼくたち性が表われてる、という風に捉えて。ポジティヴすぎるかな。シンプルながら、統計の仕組みに隠れた個性を讃えるこの骨格はつよい。川柳だから切り出せることじゃないかな、と思いました。────────────────────西脇祥貴
  「その他」という言葉選びが効いている。偶然仕事でアンケート集計をやっているところだが、「その他」という項目はやっかいだ。あえて選択肢の中からその他を選ぶ、主張がある。「君たちらし」さがにじみ出るのも納得する。「君たち」という呼び方、「〜だったよ」という語り口が句の親密な雰囲気をつくっているが、発話の場面が謎だ。そこがまた面白い。────────────────────小野寺里穂
「らしさ」と「その他」のズレの皮肉。「らしさ」には一見個性的な印象がありますが、それも「その他」に分類されてしまう。そのことがとても「君たちらしい」。
「君」ではなく「君たち」の時点ですでに、十把一絡げなのですが。
「だったよ」と「君たち」に呼びかけている形式も、無責任に個性を讃えている感じがして良いです。
そう讃える主体の本音はわかりませんが、私は「君たちらしいその他」って、案外悪くないんじゃないかとも思います。これもまた、無責任かな。────────────────────佐々木ふく

西松屋出て遺骨(M)咥えてる

  何があったんだろう……嫌なイメージしか浮かばないけど。ただ遺骨を咥えているだけの描写じゃなくて、ここに「M」という謎の指定が入ってるのが嫌だ。避けようがなく、「S」や「L」の存在を考えてしまう。それは赤ちゃんのサイズ。食べちゃった。ギャグアニメのタッチで描かれてると思いたいが、なーんか生々しい感触があるんだよなあ。ううーん、猟奇的な句だなあ。────────────────────雨月茄子春
  子供服の西松屋から出て遺骨とは穏やかならないですが、それよりも(M)が気になります。(M)って何だろう。子供のイニシャル……?────────────────────南雲ゆゆ

つつがなくつつの涙っぽいかたち

  つつがなく、に続く文章がキャンセルされて、「つつがなく」という言葉にカメラの向きが戻る。体操選手が跳び箱を跳ぶシーンがあったとして、駆けていくところはカメラで追ってるんだけど、スプリングボードになった瞬間になぜかスプリングボードにズームが行くみたいな。「って映すところちゃうちゃう!」とリアクションを求められる。リアクションを。「つつがなくのつつの〜」と初句六音にしないところも説明的になりすぎなくていい。「涙」だけが漢字表記で印象的。感情、情感の意味が削ぎ落とされていて、どこにでも持っていけそう。好きな句。────────────────────雨月茄子春
  なんのつつ? つつがなくのつつ、ではなさそうなのは、つつがなく、のあとに助詞「の」がないから。これはいいと思う。その後の「つつ」=おそらく筒というざっくりしたかたちを、ざっくりしたもののまま置いておけるから。ことばから入って形にねじれていく快感みたいなことが、ひらがなに開いたことで生まれています。
でしかもそのつつ涙型、いや涙「っぽい」かたち。決して涙型とイコールではあるまい……。なんのつつなのかも考えつつ(駄洒落ではない)、そこに水彩でうすく色づけするように、感情をまとわせてくれる「涙」。これだけ漢字。このバランスはすごいです。なにかはまったく具体化できないのに、さみしさがじわじわ伝わってくる、コミュニケーションが成り立つ。ミニマルなコミュニケーションの最先端みたいな句、とも言えるかも知れません。がーっと具体的に力強い句が続く連作中にこの句がぽっ、とあったら、がっつり捕まると思う。────────────────────西脇祥貴

運動をそう呼ばないでおく の 映え

  ここまでの五句、だいたい一字ずつ増えてて並びがうつくしくないですか。────────────────────西脇祥貴

太陽が屁を放くまるで(傍点筆者)

  傍点ないのに傍点筆者! 夏雲は傍点ふれるので、これはあえてやってるな……字数の都合上省略されてますが、句の前に傍点箇所があるんですよ、との誘導とも見えます。そこに思いを寄せさせつつ、傍点のない引用の一部をヒントのように置いてある。太陽と屁で太陽肛門、なんて頭に浮かんだりもしますが、だとちょっとそのまま過ぎるかな。むずかしいのはこの句よりも、この句を含んでいるであろう元の文の方がおもしろそうだな、と思えてくるところです。────────────────────西脇祥貴

電線と電線の影とあやとり

 とても美しい句ですね。
電線と電線の影とあやとりの紐。3種類の線が幾重にも重なりあっていて、単純に線を引くだけではない奥行きが生まれています。────────────────────南雲ゆゆ
 電、影、あやとり。まず厨二心をくすぐられた。白黒、なんだか水墨画みたいなタッチの景。「とあやとり」の絶妙な気持ち悪さがなんともホラーな読み味を醸し出してる。────────────────────雨月茄子春
  叙景だけれど一筋縄でいかない感じが、ビー面だからこその句だと思わせてくれます。しずかにきれいです。
月明りかな、と想像しました。電線と電線の影が平行して伸びていて、そこへ指を挿し入れるあやとり。大小のサイズ感がまったく合っていないのに、言い切られることで成立してしまうあたり川柳だと感じました。電線見るたび思い出しそうです。線を取ったのか、影を取ったのかわからなくなって、すぐこんがらがりそうですけど!────────────────────西脇祥貴

この星のバグだったのかな、巻き戻し

  バグがあったら巻き戻しできる世界の話。その星特有のバグとは何かを想像しつつ、巻き戻しができるということの意味を考えた。軽い口調で、重大なことをさらっと言ってのける感じが心地よい。────────────────────小野寺里穂
  なにに遭遇したのかな? そして時間をさらっと巻き戻せている大いなる力のはたらき。みゆきさんでさえ最新作で、「時は戻らない」って歌ってたのに("夢の都")。。。
しかしなによりすてきなのは、なにに遭遇したにせよ、それを「この星のバグだったのかな」と受けとめられる主体の心根です。────────────────────西脇祥貴
  そしてビッグバン。────────────────────南雲ゆゆ

ふざけるのも大河にしてよ(魚もいる)

  「(魚もいる)」でやられてしまった笑
オチのささやかさの割にベースとなるふざけは大河なので壮大さと盛者必衰感もあってもの悲しさと歴史の雄大さがある。────────────────────スズキ皐月
  っていいながら自分だって二回もふざけてんじゃないスかー。あー、時にはこういう句に並選を入れたいなと思うんですけど、って、いいか。たまには。入れちゃえ。えーい。
川を見てすぐ「さかないる!」っていう人、おやつおごるからいっしょにさんぽしましょう。────────────────────西脇祥貴
  (魚もいる)までくっついているからもう。本当にふざけるのも、と言いかけて笑ってしまうような句ですね……魚もいるんだ……大河にしなくちゃ。────────────────────城崎ララ
  めっちゃ笑いました!(魚もいる)の補足がじわじわくる……────────────────────南雲ゆゆ

三月の寝息は切れ切れに泳ぐ

  他人の寝息が途切れる瞬間のこわさを思い出しながら読んだ。あのこわさを詩的に言うとこうなるのかと(作者の意図は分からない)。────────────────────小野寺里穂
  無呼吸? だと思うとそれが「三月の」であることは本来とても大きくて、いろいろなことを思い巡らせます。年度末、やって来る春、卒業、霞……。それが泳ぐ、の結びで遠く――切れ切れに――潮騒が聞こえてくると、想像の方角がゆうるりと定まってきます。三月。海。切れ切れ。これ以上のことは言いません。また三月は来て、もう三月は行くんだな、とつぶやくしかできない。"風はどっちふく、しまはあっ、ちたぶんね"(小野寺さん)から、もう一年経つんですね。また一年、か。
まだ泳ぐことを止めさせてもらえない、忘れられないでいる不安ととらえるか、でも前に向いて泳いでいるんだととらえるかによって句のムードは大きく変わりますが、この句はどっちとも付かない間に、まっすぐすっと収まっているようです。ふたつの解釈の皮膜のところにある、というのか。選んだことばにも、句全体のことばの展開にも無理がないのがいいんでしょう。
十七音ですが、ぎゅっと詰め込んだ七七に読みたい(三月の寝息は/切れ切れに泳ぐ)。あるいは五七五としても、その切れどころのまさに切れ切れ具合が呼び起こすものはあると言えます(三月の/寝息は切れ切/れに泳ぐ)。いっそ、~切れ切れに/泳ぐ、でばつんと切ってみたいとも思います。そうすると、前半で不安さが十分煮詰められるから、泳ぐ、でばきっと前方の視界を開け放すことができそう。一字空けしないことで、これだけの可能性を載せておけるんだというのは発見でした。あああ、この文量だとほんとは特選なんですけど、すみません、僅差!────────────────────西脇祥貴
  最近花粉症なもので、鼻が詰まって寝息が切れ切れになる夜もありました。「泳ぐ」がちょっと詩的すぎるのですが、寝苦しい夜と息苦しい昼を過ごした身としては票を入れざるを得ませんでした。────────────────────二三川練

机にもあらたなCが溶けている

  「机」に「溶け」るだけでも、非常にいい線の句だと思いました。縦書きで紙に印字されている様を想像したとき、ちゃんと立っている句だと思います。────────────────────ササキリ ユウイチ
  どのC!!? というぼやけ具合があまりに広大でしぼりこめなかったので予選ですが、状況やらなんやらから一個でも読み筋が見つかると強そう。ほんまになんやろ、炭素? ビタミン? プログラミング言語? 中央大学? カープ? カブス……? それとももっと具体的ななにかの頭文字なのか……。────────────────────西脇祥貴

無花果のπ取り分けても無花果のπ

  やりたいことはなんとなく分かる気がしつつ、だとして無花果がほんとにここでの正解だったのかを決め込む決め手が心許ないような。ところでπって、リツイート(RT)を一文字にちぢめたものとして使うこともあるんですね(おそらくRT→小文字でrt→くっつけてπ)。そう取ると意味が出て来そうですが、この意味は書き手の意図より意味が付きすぎているようにも思えます。
それか単にパイ、なのかな。いちじくパイ。それをホールから取り分けたところでエネルギー保存の法則があるので変わらない、という意味……ではなさそう。ごめんなさい、ちょっと読み切れなかったです。────────────────────西脇祥貴
  うまいと思った。永遠にみんなとパイ食べられそうだし、抜け出せないのがこわい。無花果の聖書とかのエピソードも豊富だし気になりました────────────────────公共プール

レターパックで空國おくれ

  すごい、造語じゃなかった。むなくに。ほんとみなさんどこでことばを仕入れてくるの……? でも意味は分からなくても字面が良すぎて、レターパックとのミスマッチは、字面の時点でだいたい成立してます。伝統の流れの中に置いても良さそうな一句です。
たまたま今日の昼、「七七のわるい例:レターパックで現金送れ」というようなことを考えていて、こうなるとたしかに語呂が甘すぎるから、四・三で分けるのが嫌われるのもわかる……と思っていたところへこちら。でもこちらになると、わるくないよな、って思えるんです……。四音ですけど、漢字二字に圧縮しているからいいのかな? 四・三でもいけるような例、もっと見てみたい。────────────────────西脇祥貴

だってあの坂は静かに裂けていた

  静かにと裂けるは私のなかでは両立さえなくて、その取り合わせが驚きだった。おまけに「だって」から始まる口語調で、話し手の口調まで伝わりそうな雰囲気だけど、回想か何かのような静かさがあります。────────────────────城崎ララ
  坂が裂ける瞬間に立ち会える人間はどれだけいるのだろうか。坂が裂けるような天変地異が起こって、逃げて、戻ってきたら坂が裂けていた。自分の生存に必死だった段階を乗り越えると、次は破壊された日常の象徴として坂が裂けているのを発見する。だから坂は静かに裂ける。日常の破壊は既に起きたこととして私たちの前に現れてくる。────────────────────南雲ゆゆ
  不穏さを予感させる言葉遣いに弱い。しかもそれが古典でも怪談でもおなじみの坂なのだから、ちゃんとわかっていて痒いところに手が届くという感じがする。「だって」という言い訳でよく使われる言葉が、もう手が付けられずに危険が忍び寄ってくることを確信させる。裂け目に落ちてしまったり、引きずり込まれたりするかもしれないし、この世の者ではない何かがその裂け目から現れたり、漏れ出てくる。────────────────────公共プール
  なにの情景なのかな、と想像しはじめるとちょっと残酷な気もしてきます。地割れなのか、それとも観察者の心情をまっすぐ投影して裂けてしまったのか。いずれにせよ不穏、それをさらにだって、と報告することで拡散してしまう、無邪気な怖さ。
しかし報告する側から見ればかなり切実なのでは。だって、の食い下がる語調が流させてくれません。伝えようとする勇気を無視できず(たぶん、すでにたくさんの人にこの報告は聞き流されている)、裂けていた坂に向き合いながら、だって、で始まるこの報告に続くはずの悲劇におびえるしかない。静けさや裂け、といったことばから、幸福ななにかが待っているとは到底思えません。一度聞いたが最後、だからどうなったのか、なにをいまも聞き流しているのか、裂けた坂の前でひたすら考えさせられる羽目になります。
細かいことを言うと、「静かに」の表記はこれが最良かどうか気になりますが、坂(saka)→静か(shizuka)→裂けて(sakete)の音といい、坂という大きなものを持ってきたところといい、いろいろないい効果が重ねてある句だと思いました。────────────────────西脇祥貴
「だって」が好きです。この一言があるのとないのとでは、印象が違うなと思いました。
「あの坂は静かに裂けていた」も、とてもパワーのある描写で、坂が裂けるということは余程の力が働いているのだと思いますが(地震のような物理的なものかもしれないし、時空の切れ目のようなものかもしれない)そのパワーに相反して「静か」であることに、底知れぬ迫力を感じます。
そこに「だって」と理由を述べる言葉、子どもじみた言い訳にも聞こえる言葉を付けたことで、「あの坂は静かに裂けていた」の印象がまたひとつ捻れたように感じました。「だって」と言われるような静かな坂の裂け方とはどんな状況なのか…その先に話者はなにを続けたかったのか…
色々と想像が膨らんでおもしろかったです。────────────────────佐々木ふく
  川柳だと思いました。「静かに」裂けていたら句としてよくなりそうだな、という微妙な感覚に拍手したいです。────────────────────ササキリ ユウイチ

頼もしさのたのたのしさともしもしさ

  音の楽しさはもう言うまでもなく、説明できないけどちゃんと何らかの意味が通っていそうな雰囲気が良い。無駄がない。────────────────────スズキ皐月
  好きです率直に。ないものふたつも生み出しちゃって。そのポップなラディカルさと語感の良さだけである程度まで乗せられます。
たのたのしさまではたのしさ、と響き合うのでほがらかな雰囲気でいられますが、もしもしさ、からはちょっと不穏なようすも匂います。ifのもしや、だれだかわからないだれかからかけられるもしもし、どちらもはっきりしないからでしょうね。でもたぶん、五分五分で新しい世界が待ってる。頼もしさということばは、たのしさと可能性のハイブリッドだったんだ、という気づき。ほかの並選取った句とくらべてしまって、いつもこういう句を取れずにいたんですけど、今回から取るようにしようと思いました。上限ないもんね。────────────────────西脇祥貴

ファスナーを笑い声みたいに閉める

  の、表情は真顔だな、と思った。ファスナーの歯を出して笑ってる感じに気づいたのがすごい。し、ファスナーが閉まる動作から笑う口を閉じる→真顔を提示してるのもすごい。寒くなるまで遊んで、あるいは外で立ち話なんかしてて、日も暮れて「さて……」って解散するときにファスナーを閉める。それまでの楽しかった時間、つまり笑い声を閉じ込めるみたいに。ファスナーを閉めるとき、俯く瞬間が生まれる。その俯きと、この光景から導かれる寂寥感。「にんげんのうた」だなと思う。特選に迷いはなかった。────────────────────雨月茄子春
  猫が夜中に「さーんまちゃーん!」って鳴いたというあのさんまさんの鉄板話は、何度聞いたって絶対ホントの話だって分かります。だからこの句も真実だとわかる。ファスナーが笑うわけじゃない。ファスナーと共謀して、笑い声を聞く。聞きたいものがあるから、そう聞きたいから、そのように周りの音を聞く。でも音が無ければ聞けないから、ファスナーに力を貸してもらう。日常の中の小さなやり取り。ここを切り抜いてくるって、まさに川柳のしごとじゃないですか。
そして笑うからには、そのうらにぴったりくっついているものも見えてくる。「笑っているけど/みんな本当に幸せで/笑いながら/町の中歩いてゆくんだろうかね」とみゆきさんは歌いました("タクシードライバー")。それは誰しもにくっついている。それを押し込めるように笑って、閉じ込めるようにファスナーを閉める。きっと聞いたことのない笑い方なんだろうな、ファスナー。あざけるでも茶化すでもない、でもその底深いやさしさは、きっとじょうずに表に出さない。笑い声みたいに、は本当なら何にでも付くはずだけれど、ファスナーを閉める動作を選んだのがよかったと思います。今からでもみんな使える。ライフハック句、ともいえるのでしょうが、ここに効率の入る余地はありません。そも効率化でどうにもならないことをどうにかするのが文芸じゃなかったっけ、という考えも笑い飛ばしつつ特選です。ありがとうございます。────────────────────西脇祥貴
  ビー面の選句が始まった深夜、この句を見てパジャマの上にジャケットを羽織りファスナーの音を何度も確かめた人は手を挙げて下さい。はい✋。寝る準備万端だったはずなのに、ファスナーの音に耳を澄ませ、閉める速度に緩急をつけながら「これは……笑い声っぽい……か?」と眉間に皺を寄せる時間……何なんだ!?────────────────────南雲ゆゆ

家系のポトフは売れる 絶対に売れる

  家系ラーメンって家で作ろうと思うとなかなか大変ですよね。なんで家なんだろう。となると家系ポトフも結構ボリューム感あるのかも。売れるかわからないけど発話の仕方で売れて欲しいなって思ってしまう。────────────────────スズキ皐月
  家系図のポトフがあったら食べたい────────────────────公共プール
  窮地に立たされたラーメン店主の辞世のメモのよう。俗っぽいバイオハザードみたい。このメモ読んだら後ろからゾンビ店主に襲われるんだ。ゾンビになってもハチマキ締めて、エプロン巻いた店主に。働くってなに、生きるってなに……。。。
ポトフ、都会では売れるかもね(田舎は年寄りが多いので)。あと石田柊馬さんの妖精句が背骨にあるとは思うんですけど、あえて突っ込んであげません。利用のしかたとしてはきらいじゃないけど!────────────────────西脇祥貴

海と屋根同一平面上の春

 横書き表記で読めてよかった句だと思う。電車の車窓から海岸線を眺めるようで、平易な漢字が連続する表記は海辺の町並みを連想させます。それに春という漢字には夏秋冬にはない日部が部首として成り立っていることもポイントが高い。春は海からやってくる季節です。冷たい海水でも若芽が海底でゆらゆらしていることや、旅行で初めて訪れて目にする町の家々にはにんげんが暮らしていたり、もしくは出ていって空き家だったり、生命感の蠢きも感じられて気持ち悪くてとても良いと思います。────────────────────公共プール

怠惰より滲む鏡を吸う一羽

 吸う一羽=ハチドリみたいな鳥かな? あるいはうさぎ? とかんがえてちょっと揺れましたが、複数出たところでこれは羽、または羽様のなにかがあるものでいいんじゃないか、と落ち着きました。落ち着けられるくらいしっかり情報のついた句です。そう思ったのは、あほっぽいですが漢字が多かったから。「怠惰」の、いかにも怠惰な文字面のすきまに、ぎっしり詰まった怠惰なきもち。それが滲み出てくるとき(=液体)、表面になにかを映してしまう。そのことを鏡と言って、さらに吸うものを想像/創造したという、ハードな建設現場みたいな句。よくアンビルトになりませんでしたね……。
よく読むと、どこで切れるかで読みのパターンは分かれそうです。
①滲む、で切れる→「鏡を吸う一羽」が滲んでくる
②吸う、で切れる→「怠惰より滲む鏡を吸う」までが「一羽」の説明
の2パターン。ただ①だと滲むのが固形物(なにとはわからなくても)、②だと液体の反射による鏡だと思えば①よりは無理なく滲みそうなので、②の読みへ落ち着くことができそうです。わりあい親切設計。こういう心配りが、一読こちらをつかむ根拠になっているんだな、と勉強になりました。
やはり滲んだものを鏡と記したことと、それを吸う生き物をさらに置いたことがキラー。マックス・エルンスト御大のコラージュに出てくるへんな生き物を思い合せました。そう、その一羽が実際に生きていそうなのがミソ。こういう博物誌ならずっと繰ってられそうです。という先の見通しもばっちりなので、別枠で特選にしたいくらい。。。────────────────────西脇祥貴

A(T+K+R)≒O(K+D+M+G+K+R)

  TAKARA≒KODOMOGOKORO
母音が多いという日本語の特性を数式の形で示す発想が面白いです。国語という自明の存在を、国語の分からない相手にも伝わるように再構成しているのが凄いです。
でもやっぱ字面がめちゃくちゃ良いです。謎解き要素もありO(K+D+M)時代に戻ったように楽しみました。────────────────────南雲ゆゆ
  やりきったことは認めるにしても、クイズじゃないです、と言い切るのは大変そうですね。なんだか一部は分かりそうなので、意味や論理が込められてそうで(K+D+M+G+K+R→こどもごころ?)。でもここまで数式に振った句って、そういえばないかも。数字を思い出すとき、いまだに兵頭全郎さんの数字句くらいしか出て来ないですし。そういう意味では振りきりに拍手します。作者さんが句集を出すときには、これは絶対入れてほしい。
ただもし論理があって、それがわかったところでそういうカタルシス=句の良さにはならない場合があるので、読み取れる/読み取れないの皮膜を攻める姿勢一本でどこまで評価できるか、がミソになりそう。とりあえずクイズとするなら、答えはわかりませんでした。≒でびみょうに言い切ってないあたりとかも気になるんですけど、もうちょっとヒントがあれば。。。────────────────────西脇祥貴

「コインランドリーぴえろ」に本名聞きにいく

 コインランドリーの命名法則を抜きにしても面白いし、ありでも面白い。────────────────────ササキリ ユウイチ
「コインランドリーぴえろ」という命名がまず魅力的だし、ぴえろにぴえろの本名を聞きに行くのか、それともほかの誰かの本名(真名みたいなものかもしれないし、もっとシンプルに本当にただの本名かもしれない)を教えてくれる場所なのか。
個人的には後者の方が好みですが、どちらにしてもおもしろくて、ここから映画とか始まりそうだなと思いました。────────────────────佐々木ふく
  シンプルでいいですね! これが本名とはたしかに思えませんし、実在しそうな名前がなおいいです(近所にコインランドリーしゃぼん、ならあります)。無機物に名を聞きに行くという着想もおもしろければ、無機物が二つ名(源氏名?)を名乗っているという見立てもそうそうできるものじゃないと思いました。よっぽどコインランドリーをよく観察したんじゃないかな。じゃないとこれが本名じゃないなんて見抜けない。
しかしそのうち、何かが引っかかってきて、いいですね! では済まない気がしてくる。なんでかな、と繰り返し読んでいると、「本名」の妙な重みに気づきます。
そもそもコインランドリーぴえろを名乗っていて、しかもそれでその町あたりの日々が静かに過ぎている以上、コインランドリーぴえろは「コインランドリーぴえろ」で良くて、それ以上を明かす必要はないはずです。その後ろに、本名がある、と見抜く/見抜いてしまうこと。あまつさえそれを聞きに行くなんてことは、平穏な日々のバランスを崩す暴力的な越境行為なのではないでしょうか。
本名が分かったとたん、コインランドリーぴえろは少なくとも、コインランドリーではなくなるでしょう。コインランドリーだと思っていたものは実は何だったのか。その背後に、いったいどういう時間の流れがあるのか。知った以上は戻れない世界へ足を踏み入れる、これは聞きに行く主体にとっても危険なことでしょう。だってどうします、コインランドリーぴえろを名乗っていたものに、こちらの本名を聞き返されたら? ひるがえって自分の足元までぐらつかせる怖ろしい一句。本名なんて、めったに聞くもんじゃないのかも。────────────────────西脇祥貴
 たぶん看板にぴえろのイラストがおると思うし真夜中に聞きに行ってほしいしぴえろはなんも答えんでほしい。なんなら一緒に聞きに行きたい。好きな句です。────────────────────城崎ララ
 人間かい!────────────────────南雲ゆゆ

蟹歩きしよう終電のあとの街

 終電のあとの街って諦念に裏打ちされた高揚感がありますよね。だから蟹歩きしたくなっちゃう。縦方向ではなく横方向に歩く点では常識から逸脱できているのだけれど、歩くという点では逸脱しきれていないのが「終電のあと」感が出ています。────────────────────南雲ゆゆ
 終電逃した後の街ってちょっと不思議な雰囲気がありますよね。街には楽しそうな人しか残ってない。そこでなら蟹歩きくらい目立たないのかも。楽しい誘いでやはりこちらも楽しくなります。────────────────────スズキ皐月
  はかなくて美しい句だとおもった。多くの人が寝静まった街のどこかで、誰かがピースサインをして、蟹を思いながら歩こうとしている。蟹歩きしよう、という呼びかけは、句のなかの登場人物たちの会話でもいいし、読者に対する語りかける呼びかけでもいい。夜半すぎにも眠れない私たちに与えられた小さなともしびのようです。が、夜中の蟹歩きなんて、おしゃれでポエジー過ぎて、反則というか殿堂入りにしていいレベルだと思う。ちょっと死語になりつつエモい感じと言ったら、もう今となっては悪口だろうか。────────────────────公共プール
  ともすると詩になってしまうところを「蟹歩き」が抑えている。下らなくて好き。────────────────────二三川練
  蟹歩き、がミソなようで、だとするとどことなくすでに使われていそうなにおいがしてしまいました。だから書かれてある行動は普通じゃないんですけど、川柳としてみるなら普通かもな、と。。。そういう句が効くタイミングもあるので、取っておきたいとは思いました。自分でやってみようと思えばできることが書かれた句、大事です。────────────────────西脇祥貴

すすめられ餓鬼のしりえにテントはる

 なぜしりえ。"箱根八里"でしか聞いたことない単語にここで出会うとは。こうなってくると、川柳としてみても普通ではなくなってくるのですが、この差とは……? よくよく見直せば、場所はともかくテントはってるだけの句なのですが、なんでしょう。餓鬼の字面の強さかな。読もうと思えば、資本主義・加速主義から下りたところに根付こう、という意思表明とも読めますが、そこまで読むとまじめすぎる気もして。なんでしょう(二回目)。────────────────────西脇祥貴

冒涜を貸してちょうだい、分からず屋

  声色が砕けててかわいい気がする句。でも読点以前と以後で声調違いますよね。以後はツンデレ感というか、柊かがみの雰囲気があって、いやそれは迎えすぎ・引きつけすぎかなあ。冒涜を冒す(頭痛が痛い的な)から冒涜を貸すという音遊びの要素があんまり気にならなくて、それは口調の作用だと思った。なんとなく平成期の女装するモノマネ芸人的な雰囲気もある。────────────────────雨月茄子春
  分からず屋、って非難しているというより、分からず屋が冒涜を貸し出す専門の業者みたいに見えますね。どうにもならんやつのことを分からず屋って言うんだと思っていたら、実は専門の職分があったと。でも貸すものが冒涜なので、やっぱりろくでもなさそうですね。
あと気になるのは冒涜の、ものとしてのありよう。冒涜、する、をともなう必要はありますが、この二文字のみでも動詞のような意味になりますよね。それを貸すという手触りの未知の感覚もあれば、後ろにする、がついていないので、貸してちょうだい、と言っている主体はこれから冒涜しようとしているのか、冒涜されようとしているのかがはっきりしません。とはいえ冒涜する、の方なら、自分の行動なのだから貸してもらう必要はないのでは? 借りなきゃできないほど育ちがいいのか……。となるとちょっとおもしろくなくなるので、冒涜されようとしているのだと読みたいところ。それを求める気分を探る方がおもしろそうです。────────────────────西脇祥貴

災害がネットミームをまた増やす

 まさかの最後が社会詠! 「ネットミーム」を射抜いた冴えが勝負の句かと。実際に災害がネットミームを増やしたかどうかはわからないけれど、そういうことはありそうだなあ、とおもうと、フェイクニュースのサンプルとしても立っていられそうでおもしろいです。
間に受ければ陰謀論の見出しそのものとも言えそうで、でもそこまで深刻に受けとめずに済むのは「ネットミーム」に収まっているからでしょう。ネットミーム、いまのところは、面白がられて広まる正の性質のものに見受けられますが、この句のしかたで増えるネットミームは、負のネットミームであるかも、という予感がします。────────────────────西脇祥貴

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