川柳句会ビー面 2023年7月

匿名互評の川柳句会の選評と投句一覧。目次に無記名の句一覧があるため、無記名句一覧の仮想体験も可能。


雨戸をお閉め花の名の魔が

 一見散文っぽくてごてついているのですが、声に出すと音の配置がとても作り込まれているのに気づきます。母音のみならず子音まで。このまま古くから伝わるおまじないになりそうな音。「まつとしきかばいまかえりこむ」みたいな。内容も魔除けっぽいですし。しかし「花の名の魔」は……いいな……これで一篇できそうなくらいいいな……。────────西脇祥貴
七七句のパンチ力を探りたい。────────ササキリ ユウイチ

前髪の終点は鍵 煉獄へ

 これはこの句会のなかでも大変面白いと思った。死は巨大すぎるテーマだし、いつまでも語られるといいと思う。どうやって骨抜きにしてあげるかもよく探求されている。死が扉のイメージに重ねられるところまではよくあるので、その鍵が鍵となる句。「前髪の終点は鍵」が面白すぎる。なんというか、ダサすぎる。「終点」はあまり前髪には使われない言葉なのだが、この句の雰囲気作りにあっている。ギャグ要素の強い冒険譚みたいな印象も受ける。しょぼい(力強い)断定から次のステージへ、が達成されていてよし。────────ササキリ ユウイチ
 終点、先なんでしょうか、根元なんでしょうか? あと長さがそれぞれなのでそれでイメージが大きく変るな、と思ったのと(個人的にはおでこくらいまでの絵が出ました)、前髪に対して煉獄の大きさがどうかな、と思いました。でも鍵があるとしたらそこだとは思う。────────西脇祥貴

とうもろこ死は冷暗所まとめ置き

 とうもろこ!とうもころしのしを死と表記することで五七五で読むことが自然になり、その結果として「とうもろこ」という語が現れてくる。とうもろこって響きが可愛い。とうもろこ!────────南雲ゆゆ
 序詞的な。つぶつぶが暗くて冷たいところに蠢いていると死っぽい。────────雨月茄子春

叱られたみたいに歩く夏は附記

 宿題の日記にはなかなか叱られたことは書かない。「みたいに」なので実際には叱られてはないのかもしれないし、日記じゃないかもしれない。附記=おまけの思い出。────────小野寺里穂
 短歌っぽい。────────雨月茄子春
 歩くで切るか、夏はで切るか。歩くで切るとあまりに離れすぎてもったいないので、夏はで切りたいところ……なんの附記なのかな、というところで、暮田さんの『補遺』を思い出しました。なんの補遺なのかな、って、出た当初の広告みたいのに載ってた気がする。────────西脇祥貴

低すぎてうねうねの四角でしたね

 想像するとなんかかわいい。立体なのか平面なのかで印象がかわりますが、立体の方がよりあぶなげでおもしろいかな。────────佐々木ふく
 枠の話かな? と思ったもののそもそも四角なのか、と。なにかを喩えてうねうねの四角、と言っていたとしたら……なんだろう。野球かと思ったけどそうでもなさそうだしなあ。とりあえずできることは、そうでしたね、と相槌を打つことばかり。────────西脇祥貴

かばん投げオリンピックも修羅の道

  かばん投げは他の投げモノと比べるとマイナスな行為なわけだが、そういった悪事もオリンピック競技として競うとなると厳しい訓練がいるのだろう。ぜんぜんリアルなことではないんだけど「そうだよね」ってなる面白さって川柳なればこそって感じがする。────────スズキ皐月
強風オールバックみたいな。────────雨月茄子春

たっぷりと標準時から/標準時

 歌集由来? 川柳で/を使うパターンとして、昨年の海馬万句合大賞句「真空の完全がある/鶴彬」(川合大祐)がまだまだ強烈なため、/以降の標準時が作者名で、歌集『標準時』が標準時川柳をやってるみたいです。パンダがパンダ川柳やるみたいに。パンダはパンダ川柳やらないけど。標準時読み込みでジュニークやりまくってるんだろうな。でしかもおそらく、その中でもこの句、いい方の句である予感がする。────────西脇祥貴
 最初は「/」がなかった。四句の文字数を揃えるために記号を入れてみた。※も候補だったが標準時線に見えるので/を採用。ここまでが投句時に考えたこと。あとから分数の記号として考えても面白いと思った。標準時から/標準時は標準時で約分できるので「たっぷりとから」にわざわざ標準時をかけているところにたっぷり感が付与される。/の追加によって言葉遊びの幅が広がったね。必然性があとからついてきた。────────南雲ゆゆ

産毛ごとからまっているぐりとぐら

 性愛句だ。しかも双子による相互への愛。産毛ごとからまるという表現の生々しさは対象が人間でもおそらく通用する。これだけでレベルの高い表現なのだが、ぐりとぐらという逸らし方をする。その創作の手つきにも色気を感じる。────────スズキ皐月
 すごく嫌です。ほかの生き物の産毛か、ぐり&ぐら自身の産毛なのか、どちらにしても滑稽味でとらせていただきました。なにか悪さをしようとしたのでしょうね。そうに違いありません。────────太代祐一
 ぐり ぐら ぐり ぐら っつってからまっちゃった。ありそう。本家ぐりぐらはさらにぶっ飛んでいる場合がありますが、劣ってないんじゃないかな、と思いました。そしてそれって相当すごいこと。産毛なところで川柳になってます。産毛ごとからまる、ってよく考えたらかなりありえないし。しかしぐりぐら毛並は揃っているので、産毛、と示すことで産まれたばかりのようにも見え、だとしたらたいへんうつくしいです。────────西脇祥貴
 SM用語の「ぐりぐら」を作った人とお喋りして楽しかったです。────────二三川練

ケ。長杉ワロタ。五分刈り超えて塚。

 石田柊馬さんのことを考えていたらできてしまった句。真っ黒なため息みたい。────────西脇祥貴

おじさんのムーブは鮒になりました

 おじさんそのものではなくおじさんの「ムーブ」が鮒になったところがミソなのかと。おじさんの周囲へのふるまいが鮒のようになってしまった、ここまで書いてきて具体が全然思い浮かばないですけど、物語調もしくは報告調の丁寧語でさいごまで読ませる力があると思います。────────太代祐一
 おじさんはひょっとしたら川柳によくいるかも知れないけど、おじさんのムーブに至って未知のものに辿り着いている感じがあります。わざわざおじさんのムーブを書き出す文芸、というのもいかにもで。そういう文芸がなきゃ世界を書くなんてできっこないですもん。そして落としどころ〇。魚固有名詞を使おうとすると、思ったより各魚名にすでについている色(きれい、くさい、おいしい……)が強いのに難儀します。ここでの鮒は最良ではないかもしれないけど(他の魚と比べると、おじさんに近い?)、可能性をがっと開く「おじさんのムーブ」から収斂するにはいい手触りだな、と思いました。なにより今後鮒をみるたびに「おじさんのムーブだ……」と思えるだろうことが、いまからたのしみ。────────西脇祥貴

あなたはとても上手い弱冷車

 あなたへの比喩に弱冷(房)車を持ってきたところに手柄があります。韻律はがたがたしているけど喩にインパクトありすぎてあんまり気になりませんでした。「とても上手い」と来ているところから「弱冷車」は動詞的に使われているところもポイントです。────────太代祐一
 弱冷車。初めて見た時、そういう気遣いが世の中に存在すること、そういうことでつらい思いをしている人がいることに気づけなかったことに、はっとした覚えがあります。暑いからといって冷やす技術を進めたら、冷え過ぎてゆるめなきゃいけなくなった。なんか人間味をやたら感じちゃいます、弱冷車。それを句に使ったことも驚きなら、それに上手いのどうのという概念がくっついたことも驚きでした。人間味どころか、やや性愛さえ見え隠れする距離まで接近。なのにへんなべとつきを感じないのは、7+8の音律かつ固有名詞終わりですっと読み抜けるつくりのおかげ、かつ、弱冷車の無機物感のおかげ。上手いことがどういうことなのかはいっさいわからないのに、そうたとえられる「あなた」にとても惹かれてしまう。弱冷車なら、と身を委ねてさえしまいそうになる。弱冷車で今後これ以上の句が出ないんじゃないかと思わせるくらい激しいひねりが、その一点だけで勝負していることがどこまでも強みです。吉松澄子さんのような品のある、らんまんな狂気を思い出しました。けど吉松さんとはちゃんと違ういまがある。まだ奥は深いはず。特選です。────────西脇祥貴
 「上手い」を持ってこれるのすごい。────────雨月茄子春

メガネのカーブの方向に唸る

飛び降り自  あ、いま婚期逃したな  殺

 「自殺」と「婚期を逃す」のバランスとか距離感が絶妙…実際に目撃していた方が闇が深いですが、ニュースか何かで流れてきたのかも。それをちらっと見つつ、いま自分は目の前の人とお別れをして、婚期を逃しちゃったな、みたいな…自殺と婚期の重きの置き方は読み手次第かもしれませんが、なんていうかつらい。────────佐々木ふく
 へんな冷静さ。察せられないはずのものを察する異常。それは18音(たった1音オーバー)とは思えないほど長い字面からもにじんできます。主体が飛び降りているのか、飛び降りを見ているのか。見ているように感じましたがどうでしょう。とにかくこの凄み。生の深みと死の深みを混ぜてしまったものがここにある怖さ。殺、のあとにも生活が続く怖さ。────────西脇祥貴
 挟む、にはまだ次があるはず……!!と思ってます。────────雨月茄子春
 もっと他のものを逃しているんだよな、のツッコミが90%の回答になるようにつくられた設問のよう。────────ササキリ ユウイチ
 語り手と主体、読み手(目撃者)の視点の入れ替えの遊び心と思った。たぶん、この句を輝かせるのは、自殺を目撃した人の脳裏によぎった「婚期を逃した」と思わせる呪いだと思うけれど、どうだろう。ただ、婚期を逃す程度の呪いは微妙で弱いのでは。もっと焼尽するようなものください。それに主体を意図させるなら、これは趣味の違いだけなのですが、あの世に逃がしてあげるのは現世の私だろうし、婚期やにんげんよりも美しいものを道連れにして欲しかったです。たぶん、私もこういう句を作りたかったから過剰に反応しちゃうのだと思うのだけど、それ故もの足りなさにばかり目が行ってしまいすみません。────────公共プール

雲の底伸ばすバターナイフ旨い

 トーストする前の食パンにバターを塗ってみると分かるんですけど、やわらかいパンの表面にバターナイフをすべらせることって難しいんですよね。ところで、雲の底でバターを伸ばすことはできるのだろうか。そもそも雲に底はあるのか。雲の底とバターナイフ(あるいはバター)という、質感と質感とが衝突してケミストリーが発生しているところに詩性を感じます。────────南雲ゆゆ
 詩的なフレーズから俗なところへ落とすギャップが良い。ケーキに巻かれた透明テープのクリームをフォークで削いで舐めるように、「ここが一番美味しいんだよね」とか言いながらバターナイフを舐めるのだろう。「雲の底伸ばす」ということは、雲に何かを塗るのではなく雲を地球に塗っているのだろう。このスケール感も良い。地球いただきます。Yummy────────二三川練
 雲の底をバターナイフで伸ばす、という発想がすてきです。いま夏なのもあって、入道雲の底を地面に薄く伸ばしていく様を想像しました。でも地面に伸ばしてしまうとあんまり旨そう(おいしそう?)じゃないかな。雲だけを取って伸ばす方が良いかな。違う季節に読んだら、違う雲を想像できて楽しいかもしれません。────────佐々木ふく

「乙の寂寞を引き延ば」すとあるが?

 とあるが?ではないよと思う。引用の形を見ると、実は「さない」とつながる文を引いているようである。この句のパラレル的な広がりがなんだか僕にはいいものに思えた。────────雨月茄子春
 「乙の寂寞を引き延ば」すという表現がすてきです。契約書のようなものを想像しました。その内容を確認中…? 案外ピリピリした場面なのかもしれません。────────佐々木ふく
 引用(引用元が創作であっても)を折り込む句は以前もビー面にあった気がするがどうだったか。この句は大正の小説から言葉を引いてきたような、内省的な静かさを感じる。読み手にも「?」が伝染する。────────小野寺里穂
 17音。契約書または法律文書をもとに、中身の記述について問いただす句……と言いたいところへ「寂寞」。契約内容すら想像がつかなくなります。そして終わりかぎ括弧(」)の位置。この通りなら原文では引き延ば「す」以外(さ、し、せ……)が来ているはずで、こういうディテールが句の背骨を強化しています。────────西脇祥貴
 引用括弧による外感、無責任感。────────ササキリ ユウイチ

アキレス腱で蛇が歩いた

 蛇の冷ややかさが足首を登ってくる感じもしたけれど、たぶんその感じかたは間違いで、読み手の身体とか主体を軽くいなそうとしているところが好き。アキレス腱、歩いた、という言葉の選択に他人事感があって、さっぱりとした爽やかさな風が通る感じがします。アキレスと亀の例が脳裏をかすめますが、たどり着けないアキレスの足首に蛇もいたのかもしれないと思いたくなります。傍観してるだけで、たまたま巻き込まれただけのような蛇のそっけなさが新しい蛇のイメージも作り出したように思えます。────────公共プール
 読むのにちょっと時間がかかった。道具として読んでたけど、蛇がアキレスを得たということか。架空のパラドックスだ。アキレスだけで歩行は成り立たぬ。────────ササキリ ユウイチ
 蛇があるく感覚を思い出そう、思い出そうとすることで、アキレス腱の存在を刻み込むための句。這う、でなく、歩く。あとアキレス腱つけたら蛇歩いた! みたいなややバカ実験っぽさもあります。────────西脇祥貴

吝嗇の精度の振り切れて耳鼻科

 いい気がする。けちんぼが損得の秤にかけるんだけどそんなのどうでもいいからとにかく耳鼻科なんだと。スピード感、圧力、が気持ちいい。────────雨月茄子春

全自動ハンモック式ハエ取り器

 川柳には何も思い出さない句もあるという美点もあると思っていてこれはその類かなと思った。この句には季節も時代も国もヒトも、すべての匂いがない。ユーモアでありながらさみしさでもある。強いて言うならハエを駆除するという用途だけがある。それは残酷さの最小単位での表し方でもある。────────スズキ皐月

パノプティコンの喉がかわいい

 鳥みたいだよね、と思って、(パロット?)、極彩色のインコが出てきた。「喉がかわいい」にも鳥のむき出しの首が見え隠れしていて、かつ「喉」を凝視する(パノプティコン的に、全方位から)ことの緊張感が実はある。それを「かわいい」と無化しているのだけど、この緊張感と「かわいい」のぶつかりが高いエネルギーを生じさせている気がする。────────雨月茄子春
 監視システムであるパノプティコン。人の息を詰まらせるパノプティコンの「喉がかわいい」ときた。この皮肉が面白い。たくさんの人を飲みこんでパノプティコンはさそ美味そうに喉を鳴らすことだろう。Yummy────────二三川練
 パノプティコンを擬人化する発想、かわいいと言い切ってしまうところが川柳らしい。川柳はときにギャル。────────小野寺里穂
 そこ捉える!? の衝撃度が限りなくマックスに近い句です。どこを喉とするか……塔の下らへんかな。────────西脇祥貴
 言葉を採取しているとどうしてもマンネリ化していくけど、パノプティコンは自分の外部にあった言葉だったので、パノプティコンを捕獲できてうれしい。パ喉。────────南雲ゆゆ

時たまは覇権を握る烏骨鶏

パジャマの赤っ恥たあおれのことday

 江戸っ子言葉の「でい」を「day」と表記している。この句では口調そのものが主題となっている。口調は装飾ではなく機軸であることを表記法の工夫によって明示している。あからさまなほどにあからさまなほどに、本気の誇張。私も承知の上で句にたぶらかされる。────────南雲ゆゆ
 某ゲームの「三国無双たあおれのことでい!!」って叫んでいる張飛が思い浮かぶ。「たぶん寝る前の張飛だ」って勝手に合点して楽しんでいたけど、冷静になると意味はよくわからない。それでもこの勢いは点を入れたくなる。────────スズキ皐月
 きらいになれない。そういうdayはあるだろう。あとは各自「パジャマの赤っ恥」について、思いを巡らせること。────────西脇祥貴

賭場より先に崩れ落ちそう

 スピードの句、らしいんですけど、賭場の速さとは。。。────────西脇祥貴
 膝から崩れ落ちる、をこねました!────────雨月茄子春

後悔が迷子のままでつきまとう

 すなお。後悔ってそんな感じなのかもしれないなと思いました。後悔がぶじ家に帰れたら、後悔も昇華されるのかも。────────佐々木ふく

暴力を見たり聞いたり笑ったり

 「暴力を~たり~たり」という形式に「笑う」を代入しているところが特異点だと思います。この句の主語は誰か一人ではなくて人類全体のことだと捉えました。暴力に直接さらされる人もいれば、暴力のニュースを聞く人、笑う人もいる。ひょっとすると見落としてしまうくらい自然な並列文で書かれているなかで、「笑ったり」という語にハッとさせられました。────────南雲ゆゆ
 50%のところにある気がする。途中の句。極めると何かが拓かれるのだろうか。────────雨月茄子春
 日常句だ! これがするっと抜けるような句会ならおもしろいのに、と思わされました。────────西脇祥貴

姪っ子が華厳の滝をコンパイル

ひとつだけ色褪せている目玉焼き

 感覚ではなく事実として色褪せてる。そもそも目玉焼きは食卓に同時に存在するとしてもそんなに多くはないわけで、この色褪せている目玉焼きを割り当てられた人はそれだけで特別な存在になってしまう。しかし、その人への観察ではなくあくまで主体は目玉焼きへの観察を行っている。そうであるだけで不幸である。コミュニケーションの不在だと思う。その冷たさが悲しくもユーモラス。────────スズキ皐月
 目玉焼きが縁台にずらっと並ぶさまを見たことがあります。いま思えばあれは、クリエイターズマーケットみたいなイベントでした。目玉焼き(もちろん食品サンプル)だけを売ってる人がいたんです。でその並べ方が、長机四本分くらいかな、一直線じゃなくて2個ずつ横並びにしてくっつけたかんじ、その幅の中を埋めつくすように、目玉焼きが並んでました。それぞれ一点ものなので、形も焼け具合もさまざま。なぜか買わなかったんですが、その光景だけは今も脳裏に焼き付いています。むしろそれしか覚えてないくらい。だから一読、地平の果てまで続く無数の目玉焼きが、同一平面に現れました。ひとつだけ、って始まって目玉焼きに収まるのに、広大なスケープ。そしてその異常な眺めの一点へ、カメラが誘導されるつくり。大きくは動かないし速さもないけど、それを収めたいという必然性は感じられる動き方です。色褪せになにを見たのか、そしてその他無数の色褪せていない目玉焼き(!)はいったいなんなのか、そもそも目玉焼きなのか? 目玉、と改めて認識すれば、その視線はどこへ向いているのか――色褪せがわずかにロマンチックすぎるかな、とも思いましたが、こんな映画的な満足感のある句にとってはささいなこと。特選と悩みました。────────西脇祥貴
 なんというか、川柳作るときに序盤に出てくる川柳という感じがしてしまった。なんでだろ。────────雨月茄子春

死後しずかすぎ 角煮に課金してる

 匿名掲示板でスレタイが「死後しずかすぎ」で1の一言が「角煮に課金してる」みたいな感じ。「暇すぎ」じゃなく「しずかすぎ」だからこそ生まれる落差が面白い。「角煮に課金してる」は角煮にお金を使っているだけなのに何故か笑える。現代ミームの使い方が非常に上手いと感じた。角煮は課金すればするほど美味い。Yummy────────二三川練
 過剰な言い回しとリズムがおもしろい。ただ遊んでるだけじゃなくて、どこか高度なことをやっているような。ロジックがありそうで実はセンス、感覚的な作品だと思う。────────雨月茄子春
 角煮……角煮!?「しずかすぎ」から「角煮へ課金」の脈絡のなさで引っかかった句。嗅覚に刺激を入れるってこと……?美味しく食べるってこと……?────────城崎ララ
 最近ふと立ち止まってしまうと、周りのものもひともみんな無くなってしまったあとに、自分だけ立ってる想像をしてしまいます。そこがしずかだったので、なにするだろう、と考えての、この句。────────西脇祥貴

絶え間なく大麻が売れる北とぴあ

 音に遊ばれてるかなーと思いつつ、内容がおもしろいので自分的な基準はクリアしたなとなりました。「絶え間なく」スタートだと「注ぐ愛の名」が一瞬チラつくのは世代的なものなんだろうな。────────雨月茄子春
 11月行くんですけど……そういうところなんですか……?? リズムとa音の繰り返しがハッピーなのでよけい大麻臭い。────────西脇祥貴
 盛況とのこと。────────ササキリ ユウイチ
 ご盛会をお祈りいたします!────────二三川練

完訳される奴のパキシル

 漢訳で始まって完訳に。より大事にしてみました。────────西脇祥貴

ずらかるぞホメオスタシスお前もだ

 ホメオスタシス=恒常性、外的要因にかかわらず一定の状況を維持しようとする働き。と改めて整理しておかないと流しちゃいそうなくらい、詩歌まわりではよく見る単語な気がします。生き物に備わってる性質ってことね。で、この句。ずらかるぞ、の言い回しがややダサなのがかわいいですが、なにかずらからねばならないまずいことをして、一味のメンバーにかけたことば、と取ると、①わざわざ元から備わっているホメオスタシスにまで声をかけてやるセンシティヴ気遣いのリーダー、か、②ホメオスタシスを別途メンバーと捉えなくてはならないようなセンシティヴ案件かな、と考えられます。①だと緊張をほぐす狙いもありそうなので一概にセンシティヴ! とも言えませんが、「お前もだ」まで念押ししているあたり相当真剣そう。今この急場をしのぐのにホメオスタシスが不可欠なのって、どんな案件!? というところから想像を広げてくれます。②ならホメオスタシスのキャラ化とも言えますが、何らかの事情でずらかれないものをずらかろうとしている、そういう葛藤で読みにもう一層足せそうです。いずれにせよ、スパイものかなにかの世界に落とし込むことで、ホメオスタシス、ってことばの鼻につく感じを、ほどよく引きずりおろしてくれています。────────西脇祥貴
 定型ゆえにスピードが削がれてしまっていてちょっともったいないと思う。────────雨月茄子春

ちきしょう。駆け込み寺のまぶたか

 駆け込み寺に逃げ込んだ誰かがいて、句の主体はその追手なのだろう。逃げる弱者と追う強者の関係が、「駆け込み寺のまぶた」という怪異の出現により転換している。────────南雲ゆゆ
 駆け込み寺にまで目をつぶられたら、見ないふりをされたら、つらいなぁ…────────佐々木ふく
 点はいれるかどうかは別として、いい句だと思いました。ただし、身体の一部が描写されているとき、慎重になろうと思います。慎重になった結果、いい句だと思いました。思ったけど、駆け込み寺の力に任せてはいまいか、とも。────────ササキリ ユウイチ
 ウィンクし終わったっつーこと────────公共プール

うお座のせいでものものしいな

 星座って本当になんの意味もないと思うけれど、自分に他の動物が備わっているというのはよろこびのひとつとも思う。自分は牡羊座。うお座の隣。人を血液型で見るのはあるけど、なんか意外と星座で「ああ、○○座か。なら仕方ないな」みたいなのはない。アルファベットより星座で決めつけてほしい。ものものしい、は獣っぽくて、それなのに魚なのはずらしのうまさと思う。────────雨月茄子春
 うお座にはそれほどちゃんとした神話が形成された痕跡がなく、物知り顔で、ふむふむ……「うお座なせいでものものしいな」……ふむふむ…………という滑稽な雰囲気が出ていて、シンプルだけどとてもよい。────────ササキリ ユウイチ
 「うお座のせいで」の部分は「かに座のせいで」「うお座にしては」等の候補があったけど、これが一番しっくり来た。────────南雲ゆゆ

じっと見るうちに終わっていく喧嘩

 映画みたいなイメージ。ストーリーがあるかの如く進行していく喧嘩は、それを観ている側を観客にします。とはいえ、見ているとだいたいのものは終わりますね。見ている側がどのくらい見ていられるか、の問題になるのかも。見る側次第で喧嘩の規模を膨らませていけるので、作中主体によってはいくらでも大きな景色の見ることのできる句だと思います。────────城崎ララ
 「じっと見る」が醸す時間幅で何を比較するか。喧嘩中と、喧嘩後と。眼差しで仲裁してるんじゃなくて、ただ見てるという感じが出ていてよい。────────ササキリ ユウイチ

ヒーローのカサブタだけは守らなきゃ

 あくまで個人的な好みなのですが、カサブタよりサブアカを守りたいと思いました。────────公共プール

きみが想像できるプリーツじゃない

 「君が想像できないプリーツ」ではなくて、いったん「きみ」に「想像できる」ものを幻視させたうえで、「じゃない」と否定するところに、プリーツが広がって元の形に戻るときの高まりを感じた。話者は高まってる。プリーツ。清潔で、凛としたそのシルエットに、折り畳まれたひだに、プラトニックな魅力を思う。想像できるプリーツじゃない。つまり超えている。超えたプリーツ。もしくはプリーツのイデア。「できる」「プリーツ」のゆるいuの踏み方も好み。なんて素敵な響きだろう。────────雨月茄子春
 どんなプリーツなんだろう。プリーツくらい想像できると言い返したいけど、こんなふうに言われると、想像できたはずのプリーツが想像できなくなる。はてプリーツはどんなものだったか。奇怪な説得力に言い負かされる。────────南雲ゆゆ
 トリックをそのままことばにしちゃってる、というもろな感じはありつつも(それがどういうプリーツか、を句にしそう)、言い切りの力でもってその危うさを乗り越えているのがまず頼もしいです。しかしプリーツ……見た目にもやり方にもそう幅の多くなさそうなものを選ぶことで、え、じゃあどんなプリーツ? という悩みの濃度を、格段に濃くしています。それゆえさらに補強される言い切り。くやしいけれど句の言うとおりです。いやしくも現代川柳をやっている身なのでどうにか想像しようとしましたが、想像するはなからすべて打ち消されてゆく……「プリーツ」で、ここまでの消去効果が出るとは。虫食い問題の大正答でしょう。────────西脇祥貴
 プリーツってほんとにプリーツを保つのが面倒で選んでは買わないのですが、そこまで言われると気になる。もう無性に気になる。どんなプリーツ?見せて。の気持ちになる。想像できないほどのプリーツとは。大きくでましたね……見せてもらいましょうか……になる。なりました。────────城崎ララ
 力強い!力強いな!プリーツは!────────ササキリ ユウイチ

早々(誕生した日を参照すること)

 草々、が転じて早々になった、と調べてもなお信じられないロートルです。ほんとにそんな用法あるんですか。。。そんなあるのかないのか、でもありそうではあるというラインのファンタジー(あるんですけども)を解くためのヒントとして、( )内が効いてくるように見えるつくりです。とはいえこの( )内が何の役にも立たない。早々の意味がそのまま「誕生した日を参照すること」なのか? そもそもなぜ誕生日でなく「誕生した日」なのか? そしてなにが「誕生した日」なのか……手紙文をしめくくる修辞であることで前提となる手紙も想起され、より混迷をきわめます。うつろの修辞とうつろのヒントを手に、うつろの手紙文を推測する……地獄だ! にしても地獄にしちゃ、なんてコンパクト。────────西脇祥貴
 何故か、この句ができたときは興奮しました。────────ササキリ ユウイチ

すこしばかり疎い際立ってた秤

 秤一字以外は全部修飾部分というつくりにもかかわらず、疎い→際立ってたの妙な噛み合わなさによって、引っ張られるように読んでしまいます。そして秤。静物画に収まるものの、だとすれば動いていない秤が、なぜ疎く、際立ってたとわかるのか。そう疑問を持った時、この秤を揺らすのが、自分の手であることに気がつきます。触れるか触れないか、動き出すか動き出さないか、の瞬間が、この句には刻まれています。────────西脇祥貴
 パノプティコンと同様、「すこしばかり」も外から捕まえてきた言葉。六文字なのでどうしたものか。破調にして最後に七五調におさめれば「すこしばかり」が生かされるか?「すこしばかり」という六文字が浮かないように韻律にしてみる。ばかり→秤。「すこし」のほうは秤より分かりにくいやつで。iで終わるなら三文字の形容詞。最初に疎いが思い浮かんで、それでハマった。「際立ってた」については、「っ」で一旦拍をとることで「てた秤」という七五調への着地姿勢を整えて見た。あと文法的に正しくない句をやってみたかった。────────南雲ゆゆ

思い出のためにトトロと遊ぶなよ

 トトロと遊ぶのは一生ものの思い出になるだろうから許して欲しい。でもたしかに一生ものの思い出というのは、目的として「思い出にしよう!」みたいなのは無い気がしていて、純度の高い楽しさみたいなのが大切な気もする。なんにしても可哀想なのはトトロである。この句が出てくることはトトロにとってはどう転んでも不幸であり、悲しい状況にしかならない。トトロを思うならこれを言ってはいけない。言うから大人の前にトトロは現れない。────────スズキ皐月
 ○○のために××と☆☆するなよ、のスロットでいいやつを出した気がします。────────雨月茄子春

羞じらいは週刊誌色(気持ち良い)

君の家まっくろだった窓までも

鏡よ鏡、これおれ。わすれないで

 はじめに「これ」に着目した句。おれ自身を指差しているのか?それともおばけになったおれが生前の写真なんかを鏡に見せてやっているのか?コミカルにも切実にも読めるし、「これ」としか指示されていないから、動作も見せるに限らない。「これおれ。」で録音を聴かせている可能性もあるし、愛用の何かを提示している可能性だってある。鏡につられて想定する動作は見せる、に行きがちですが、「おれ」を構成するものならなんだってよかったはずですね。訴えている相手が鏡なのもまた印象的で、鏡には映したものだけが映るから、「おれ」が選んだものをそのまま鏡に提示することができる。その嘘偽りのなさに託した心情もあるでしょうか。応えてくれる鏡でしたか?────────城崎ララ
 ナルキッソスは水面に写る自己が美しいから死んだのか? それもあるのだろうけど、忘れることの怖さがそこにあったのではとよく思う。この句の発話も鏡に「わすれないで」というのと同時に自分にもそう言い聞かせているのだろう。確認する術がないときの自己というのはあまりにも不確定でおそろしい。自分の顔も思想も友人も両親も過去も未来も、油断すれば一瞬で忘れてしまうのが人間だから。自己を自己として形作るための儀式は、鏡ではなく他者を使っても可能だが、この句では鏡を使う。それはこの主体が自己を自己で完結させるやさしさを持つからだろう。ぶっきらぼうにも見える語りに人柄も見えてくる。────────スズキ皐月
 「世界で一番うつくしいのは誰?」と聞いた人も、こころの奥底で「わすれないで」みたいなことを思っていたのかもしれないな、と思いました。「これおれ。」と言い聞かせているのは、鏡になのか、自分になのか。ひらがなのつたなさが切ないです。────────佐々木ふく
 エモさの調合にちょっと失敗して博士の髪が爆発してるみたいな句。────────ササキリ ユウイチ

柳人てむかし人間だけだった?

 そんなことなかったよたぶん。────────城崎ララ
 「うち牛乳まだあった?」くらいの軽さで聞かれているよう。この軽さがミソ。しかしじゃあほかになにが柳人だったんでしょう。たしかに川上日車さんとか、人間じゃないような感じするもんな。────────西脇祥貴

々々々々々 だから食うなっつったのに

 見た目が面白い句は警戒してしまうが、この句は突き抜けていると思った。「食うなっつったのに」ということはすでに食ってしまったということであり、繰り返しを示す「々」が重ねられることで、同じ動作や言葉が反復されている様子が想像される。たとえば、熱いものを食べて「あちあちあちあち」と言ったり、毒キノコを食べて痙攣してる様子だったり。新たな情景描写が生まれた気がする。ヤンキー言葉?は促音が多く、「っつっ」も韻踏んじゃっててすごい。────────小野寺里穂
 なにか食べちゃいけないものをたべて〈同じもの〉が増殖しちゃって、自己同一性が破綻しちゃう感じがよい。────────ササキリ ユウイチ
 単体では音を持ちえない々。それが5つもでてきたかと思えば、よくわからない文句を吐き捨てられて終。脈が無すぎて気になってしまう。あるいは々のかたちを見るのか?────────西脇祥貴

空耳して空腹でも空手しよ?

 シンプルな誘いについ乗っちゃいそうになります。でも「空」の字の読みはぜんぶ変えてあるあたり策略も見えたり。────────西脇祥貴

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