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【Kuubo.Magazineβ】選べなかった人生~第1回 亜鶴~

選ばなかった、あるいは選ぶことができなかった生き方に触れると、いつでも身体が火を噴いて我が身を焼く。自分で選んだ、あるいは当時はそうするしかできなかったと納得していても、もう一方の道を歩んでいる人を見ると、うら暗い気持ちになる。そうした気持ちとの折り合いを未だつけられず、身から出た糸にこけつまろびつしながら、解決の糸口を探しているのがこの私だ。しかし、そうした葛藤を抱えているのは、きっと私だけではないだろう。あの人はどのような生き方を選ばなかったのか。そして、選ばなかったほうの生き方と、どのように折り合いをつけているのか。話して、聞いて、考える。

第1回の対談相手は、亜鶴。彼自身は肩書を掲げていないが、油絵を描くアーティストにして、タトゥーアーティスト。そして、自らもタトゥーを施されるモデルでもある。見た目のインパクトと与えられた環境をそのまま受け入れていく胆力、そしてそれらと共存する、人あたりの柔らかさ。そのほか多様な”顔”を持つ彼を、一言で言い表すことは到底できない。

その移ろう輪郭に興味を惹かれ、お話してみたい気持ちがありつつも、今回のテーマである「選べなかった人生」の対極にある人なのではないかと想像していた。実際に彼は、過去に長く居留まってしまう私とは真逆の星の住人ではあったが、対岸にいる人だからこそ、閉塞した己の身体に穴が開き、風が通り抜けていくような解放感があった。

今回は「選べなかった人生」をテーマにした、亜鶴氏との対談をお送りする。

亜鶴(あず)
1991年6月13日生まれ 
DOZiNEにて『SUICIDE COMPLEX』を連載中
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コンプレックスがないことがコンプレックス

佐々木 この企画は2週間ほど前に、私がTwitter(現 X)に投稿した内容に、亜鶴さんがリアクションしてくれたことがきっかけで始まりました。個人的には「選べなかった人生」について書いた投稿に、亜鶴さんが反応してくれたのが意外で、うれしかったんですよね。

亜鶴 もともと佐々木ののかさんのテキストをちょこちょこ読んでいて、興味があったというか。これは僕の勝手な印象ですけど、すごくゆるふわな雰囲気を出しているのにかなり武闘派やなと。しかも、そこにフィーチャーされている感じもあまりなくて、おもろい人やなと思っていたという感じですね。

佐々木 ありがとうございます。武闘派を全面に出すと、とっつきにくい印象を与えてしまうので、自分なりに意識して猫を被っているところもあります(笑)。でも、その部分を面白がってもらえると、すごくうれしいですね。

亜鶴 僕としては羨ましいなと思うことも多々あって。僕がこれまで書いてきたテキストの中でも「コンプレックスがないことがコンプレックス」ということを繰り返し書いているんです。

DOZiNEでの連載『SUICIDE COMPLEX


たとえば、中高一貫で、京大や東大に行くのが当たり前みたいないいところの学校に行ってたり、柔道ではオリンピック強化指定選手になったり。柔道は結局、足を壊して辞めることになったんですけど、全部ぼちぼちいいところまではいくんですよ。

佐々木 すごい!

亜鶴 でも、上には上がいるのはわかっているし、何かのジャンルで一番になれたわけでもないのに、僕はそれらしい理由をつけて喋れたり、周りを変に説得できちゃったりとパフォーマンスで何とかしちゃうところがあって。それに対して、ののかさんはむしろ、そういう「できない」に向かって文章を書いてる人やなということを感じて、僕とは真逆のところにいる人なんかなという印象を抱いていました。

10年付き合ったパートナーと家を分けたこと

佐々木 今回の企画はまさに、「できない」とか「コンプレックス」に真っ向から向かっていくような内容ですね。亜鶴さんは「選べなかった人生」について思い返して考えることってありますか? 何となく、なさそうだなとは思っているんですけど……。

亜鶴 ないかなぁ。まぁ恋愛みたいな話で、人生で一番大きなキーになっているのは、10年くらい付き合って同棲していたパートナーと別れたことかな。とは言え、今でも仲が良くて、超近所に住んでいるので、後悔とかそういったことではないんですけどね。

佐々木 どういった経緯で、家を分けることになったんですか?

亜鶴 話すと少し長くなるんですけど。彼女と付き合っている間に、とある女性と再会したんです。その人とは、モバゲーとか前略プロフの時代からネット上での付き合いが長くて、僕がサブカルコミュニティに接し始めた頃にリアルで初めて会うことになって。そこからなんだかんだと仲良くなって、そういう関係になっていったんですね。

で、その頃ってちょうど、僕がポリアモリーを知って興味を持ち始めた時期で。僕にはインストール癖みたいなものがあって、「これだ」って思ったものがあったらのめりこんじゃうし、面白いことを言っている人だなと思うと、文体から喋り口に至るまで、ぜんぶ自分の中に入れちゃうんですよ。

当時のパートナーも僕の性質を知っていたから、僕が「ポリアモリーが~~」と言い始めた時点で「あ、ヤバい」とは思っていたらしくて。で、最終的に別の女性との関係を彼女が知ることになり、2人で話し合いを持つことになったんです。

佐々木 ドキドキする……。

亜鶴 結局、彼女は「言っていることはわかった」と言ってくれて。「ただ、現実的な話として、お相手の方は滋賀に住んでいて、自分たちは大阪に住んでいる。もしもあなたが京都にいるときに地震が起きたとするやん。どっちに行く?」って訊かれたんです。

佐々木 めちゃくちゃリアルで、クリティカルですね。


▲亜鶴氏と同じ群れに暮らして9年のイチ

亜鶴 一瞬言い淀んで、苦し紛れに「なんとかするしかない」と言ったら、「それは考えが甘い」と。即答で「滋賀やで」「犬がいるから一旦大阪でしょ」とならないなら、それはどこかで破綻すると思うよと。それで、この先のどこかでそうした選択をせずに済むためにも、家は一旦離れたほうがいいかもね、ということになって、離れるに至った感じでした。

僕としては「USBのコンセントの口が2つになっても、3つになってもボルト数って変わらないじゃん?」というようなことを言っていたんですけど、「言葉としてはわかるけど、身体が2つはない事実とか、どうしようもない精神面の話をないがしろにする癖があるから気を付けてね」と言われて「確かに、ごめんね」と(笑)。

佐々木 本当にいいライフパートナーですね。

亜鶴 やっぱり”人”にしてもらったなとは思いますね。もともとめっちゃドライだと思い込んでいる節があったし、「なんでもできて当たり前」みたいな考えがベースにあったので。

佐々木 これは完全に個人的な相談の意味合いとしてお聞きするんですけど、亜鶴さんをそれだけ理解してくれるパートナーと、不仲ではないにしても家に分けることになったわけじゃないですか。そのことに折り合いがつくまで、どれくらいの期間がかかりましたか?

亜鶴 1年くらいかな。やっぱり家を分けた直後は離れたなりの生活をしなくちゃいけないと思っていたので、彼女が出入りするコミュニティに顔を出さないようにしていたんです。

ただ、これも大阪という街の特性やと思うんですけど、コミュニティが重なったり隣接したりしているので、彼女が関わっているコミュニティにしばらく接しないようにしようとすると、街ごと離れなくちゃいけなくなるというか。それがちょっと面倒くさかったかな。でも、精神的に折り合いをつけるのが大変だった、ということはないですね。

メタ視点がインストールされているから、”主人公”になりきれない

佐々木 過去に執着せずにいられるのは、昔からですか。

亜鶴 もともとの性格もあるだろうし、幼少期から「今できることを一生懸命やりなさい」と教えられてきたこともあるのかな。あと、物心ついたときから、おかんに「寝る前にお祈りをしなさい」ともよく言われてましたね。

別に宗教的なことではなくて、「寝る前に、今日の自分が恥ずかしくなかったか、自分をもって考えなさい」みたいな意味合いだったと思うんですけど。

佐々木 1日の終わりにその日を振り返る習慣があったからこそ、過去を遡って考えることをしなくて済むのかな。そういえば、私も日記を毎日書けている間は、心がヘルシーな感じがします。

亜鶴 なのかもしれないですね。僕の中に、物事を俯瞰して見るメタ視点がインストールされたのも、この習慣があったからな気がしますし。

佐々木 そういう、ある種の”信仰”によって培われたメタ視点が、亜鶴さんのスタンスを貫いている気がします。タトゥーのモデルになったからにはアーティストによるタトゥーをより美しく魅せられるよう、タトゥーアーティストの施すデザインすべてを受け入れようするところとか、与えられた経験を「テーゼ」として敬虔にとらえるところとか。

https://fashiontechnews.zozo.com/series/series_fashion_technology/azu

▲FASHIONASHION TECH NEWS「リレーコラム」

亜鶴 だから、羨ましいなと思います。自分が”主人公”になれる人たちが。コンビニの前で「うわー!」と大きい声で騒いでいる兄ちゃんとか、「私が選んだあなたを抱きに行く」という主体的なビッチとか。僕からすると、ののかさんもわりと”主人公”タイプなのかなという印象なんですが……。

佐々木 そうそう、私は自分のことしか書けないんですよ。過ぎたことについて延々と考えてしまうところも、亜鶴さんとは真逆かな。そのときどきで常に納得がいくことだけをやってきたので、「後悔」とか「くよくよ」とはちょっと違うんですけど、自分にとって大きな出来事や傷のようなものが何年にもわたって、体感として残ってしまうことが多いんです。

亜鶴 その考えるターンってどこで終わるんですか?

佐々木 考えるターンは終わらないです。たとえば、仕事に追われるというイベントが起きたら一瞬は忘れられるんですけど、似たような出来事に遭遇したときとか、ふとしたときにまた現れる。

亜鶴 一つの「コア」なんでしょうね。カウンセリングとかでもよくあるじゃないですか。自分のコアになったものを自分でもう1回見直して、全部を取り除く方向に向かう人もいれば、それをポジティブな方向に使っていく人もいる。いずれにしても、経験があって今があるわけですから。

佐々木 なるほど。コアと表現すると、だいぶフラットに捉えやすくなりますね。誰しもコアがある中で、その運用の仕方に体臭のような個性がある……と考えると、愛おしくさえ思える気がしてきます。

自分がタフだからこそ、他人に作用しすぎないようにしている

佐々木 ところで、その亜鶴さんの力の源って何なんですか? 与えられた経験をすべて受け入れようとしても、体力や精神力がないと持たないと思うんです。

亜鶴 何なんでしょうね。ただ、自分のことをどこかでタフだと思っているからこそ、他人に干渉しすぎないようにはしてるかな。自分では意図していないにもかかわらず、相手が壊れちゃうので。

佐々木 「お前はもっとできるはずだ!」と期待をかけすぎて部下を病ませちゃう、仕事がデキる上司みたいな感じですか?

亜鶴 いや、どちらかというと逆ですね。嫌なことを極力言わないようにするし、相手の言っていることも「そうだね」と飲むから、手応えがなさ過ぎてどうしようもなくなってくるんだと思うんですよ。

海辺で「わー!」って叫んでも、海水をバシャッとかけても、海はただただ波を寄せて引いていくだけじゃないですか。あの感じに似ているんじゃないかと。

佐々木 亜鶴さんは海だったのか……。

亜鶴 本音を言うのであれば、”壊れないおもちゃ”があったらいいなって思いますよ。ただ、どうもそれがないっぽいから自分で作るしかない。もしくは自分の身体でやっていくしかない……と考えていたら、気づけばこうなっちゃってたっていう感じですね。

頭や首や顔にタトゥーを入れるとなると、大変やろなとは思うんですよ。けどね、それで「詰んだ」と言うわけにもいかんから、何とか拡張するためにやっていったら何とかなるし、結局乗り越えちゃってるし。

それを自罰的だと言う人もたまにいるし、こういう身なりになることに関して不安はないのかといった不可逆性に関する質問をされることも多いんですけど、僕にしてみたら昨日食べたカレーがオムライスにならないのと同じですよ。すべては流れだと思いますし、そういう感覚でやってる。

佐々木 自分の身体という器に対して、魂が収まりきっていないような印象を受けます。だからこそ、何が何でも拡張していかなければいけないんでしょうけど。でも、相手に対して全力を出し切れないのってさみしくないですか? 

佐々木の伴侶のひとり、馬のペリート。好物は青草。

私は自分なりの愛情を全力で注ぎたいと思っているんですけど、亜鶴さんとは多分違う意味で、相手がダメになっちゃうんです。だから全力で愛しても壊れない馬や猫の世話をしたり、鹿を追いかけたりしているわけなんですが。

亜鶴 相手に対して全力を出し切れないことに関しては、さみしいという感覚はないかな。基本的に感情の起伏もなくて。あ、でも、実はこれまでにびっくりしたこともあるんです。

佐々木 おぉ、聞きたいです!

亜鶴 知人の女性がパニックになって、部屋の中で叫び出したことがあって。ここまではまだ僕も冷静で、まぁまぁとなだめていたんですけど、部屋の至るところからカミソリが出てきたんです。椅子の背もたれと座布団の裏を開けたらカミソリがあって、危ないからってよけたら、今度はオットマンの下からも出てきて……。

佐々木 忍者屋敷じゃないですか……。

亜鶴 僕も若干おもろなってもうて、これは何を思って仕込んでるのか、いざというときのために準備しておいたのかなとか考えているうちに落ち着いてきたんですけどね。でも、最終的に、その子が玄関とリビングの間にあるガラス戸に頭から突っ込んで、血だらけになってしまって……そのときはちょっとびっくりしましたね。

佐々木 このレベルのエピソードをもってしても「ちょっとびっくりした」程度で済むことにびっくりしました……。

能動/受動の立場を固定させないために

佐々木 いや~、亜鶴さんはやっぱり強いですね。私なんか木っ端みじんだと思いますけど、いつか亜鶴さんと相撲を取りたいです。

亜鶴 相撲?

https://www.akishobo.com/akichi/tameshiyomi/v35

▲相撲については『自分を愛するということ(あるいは幸福について)』(亜紀書房)をご参照ください

佐々木 由緒正しき相撲ではないんですが、私にとっては肉体のぶつかり合いであり、魂のぶつかり合いでもある大切な儀式なんですよね。それこそ、馬や鹿と対峙するのと同じか、それ以上に全力を発揮できるものというか。

亜鶴 お願いします(笑)。

佐々木 普段とる姿勢ではないので、男性でもけっこう苦戦するんですよ。それが面白い。

亜鶴 柔道を長くやっていたので、何となく想像がつく気がしますが、コンタクトスポーツって面白いですよね。

伊藤亜紗さんの『手の倫理』に出てくる、2人のランナーがロープを介してつながって走るエピソードにも近いものがあるかもしれません。手を直接つなぐのではなく、動きに”あそび”を生じさせられるロープだからこそ、どちらが能動的な発信者で、どちらが受動的な受信者か決められない「共鳴」の状態が生まれるという。


▲『手の倫理』(伊藤亜紗/講談社選書メチエ)第5章参照

それで思い出したんですけど、いわゆるベタな性行為って、機能上の問題で男性が挿入”する”側じゃないですか。あれ、僕はすごく嫌なんですよ。

佐々木 どういうことですか?

亜鶴 僕も可能ならば、受け入れる側になりたかったなっていう。たとえば、相手の話を「うん、そうだね」と聞いていたとしても、性行為のときにはどうしても僕のほうが立場が強くなってしまうじゃないですか。スイッチか何かで切り替えられればいいのにって、いつも思います。

佐々木 あー、私も性行為のときに、ペニスがあったらいいのにと思うことはありますね。モノを愛でながら「いいもの持ってるね、これちょうだい」って頼んでみるんですけど、笑ってはぐらかされる。こっちは本気で言ってるのに(笑)。

それはそうと、「挿入する/される」のフレームがあると、行為中の役割みたいなものがそれぞれに課されてしまって”お作法”みたいになってしまうことはやっぱりありますよね。

亜鶴 それを強く思ったのは、性にまつわるトラウマを抱えてはる女性と話したときですね。その女性はこれまでもパートナーがいてて、それなりにそういうことはするけど、どこかお作法的な義務としてやっているようなところはあると。「それはえぐいな」と思いながら話を聞いていたのですが、あるとき、彼女とそういうことになったんですよね。

で、そのときに、僕は「好きにして」と言ったんです。ネックになっている部分が回収されないままだから、”義務感”があるのかもしれない。だから、相手が望んでいるだろうかたちを出力できるように動いてみた。そしたら僕、血まみれになってもうて。

佐々木 え、血まみれ!?

亜鶴 皮膚をぎっちり掴まれるわ、割かれるわ、ケツの穴に指を突っ込まれるわで、完全にモノとして扱われたんですよ。でも、きっとそれは、彼女のトラウマを解消するために必要な自己治癒の一環だったと思うんですよね。

実際に、相手はえらいテンションが上がってて「こういうパターンありやな、次もこれでお願いします」と言い始めて。さすがに毎回はちょっときついから断りましたけど、男は男で、1回ちゃんと抱かれたほうがいいなとは思いました。

佐々木 あー、それは私にも思い当たる節がありますね。私も性被害に遭ってしばらくは、近しいシチュエーションをトレースするような性行為を望んでいたんですよ。おそらく、被害に遭ったときの状況を”再演”することで、自分の身に起きたわけのわからない出来事を理解したい気持ちが強かったんだと思うんですけど。

でも、それもだんだんとつらくなってきて、性行為自体ができなくなったときに、自分の中で”被虐”から”加虐”へと欲望のベクトルが変わってきたんです。マイルドな言い方をすれば、積極性を発揮したくなってきたんですね。

それまでは挿入に関しても”される側”という意識でいたのですが、「”食ってる”のはこっちだぞ」と思うようになって、そしたら性行為が楽しくなってきた。

だから、亜鶴さんの身体は傷だらけになってしまったけど、ものすごい善行をされたと思います。やっぱり対人関係とりわけ性に関する問題を抱えている場合、人との関わりなしで這い上がりきることは難しいと思うので。


過去への執着がない亜鶴氏との会話がどこに着地するのか。話をする前はまったく想像がつかなかった。けれど、会話を交わし、インタビュアー(聞き手)/インタビュイー(話し手)の枠組みからだんだんと外れていく過程で、自分でも忘れていた昔の記憶へと帰着した。そして、それは私を構成する核の一つでもある。

答えが欲しいと、ひとりで盲目的になればなるほど、その答えからは遠ざかるものなのかもしれない。身体の力を抜き、役割を脱いだ状態で、会話を交わしていく過程。それこそが、過去と復縁する手がかりを得るためのプロセスなのかもしれない。

亜鶴氏との会話の中で、そんなことを考えた。

(収録日:2023年7月10日)



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