「コントが始まる」最終回で考えた人生の価値

 「コントが始まる」が最終回を迎えた。話の概要は、菅田将暉、神木隆之介、仲野太賀の3人の俳優が「マクベス」という売れないコントトリオ芸人に扮して話が進み、解散まで、そしてそれからの歩みを辿る群像劇。

 マクベスを取り巻く個々に自覚的な負け犬達が、徐々に負け犬である自分を相対化して、ポジティブに自分の新しい未来に歩みを進めいく様子がすごくうまく描かれている。

 総じて私達は、人生を一直線の勝ち負けでその価値を判断しがちである。それは、地位であったり収入であったり成績であったり恋愛であったり色々な基準を個人でそれぞれ設けている。ただ、それらはあくまでも人生の横軸としての断面的な1要素の評価に過ぎない。でも、実際の人生の価値は、過去もあって、現在もあって、未来もある多面的で不確定な要素で満ち溢れている。

 人生を一直線として考えて、他人の人生の勝ち負けを断定する価値観は簡単だと思う。ただ、このドラマもみて思ったのは、本当の人生の価値は、何が勝ちで何が負けかなんてわからないし、少なくともそれは他人が見て決めることではない。どんなに他者から苦境に見えても本人には充実した生活の場合だってあるし、他者から羨まれる生活を送っていても本人にとっては物足りない生活だってあり得る。

 先日、最終回を迎えた大豆田とわ子と3人の元夫たちのオダギリジョーが扮する小鳥遊大史がとわ子に言った言葉に繋がるのかもしれない。

「あの、過去とか未来とか現在とか、そういうのって、どっかの誰かが勝手に決めたことだと思うんです。時間って別に過ぎてゆくものじゃなくて、場所っていうか、その……別のところにあるもんだと思うんです。人間は現在だけを生きてるんじゃない。5歳、10歳、20歳、30、40、そのときそのときを人は懸命に生きてて。それは別に過ぎ去ってしまったものなんかじゃなくて。だから、あなたが笑ってる彼女を見たことがあるなら、彼女は今も笑ってるし。5歳のあなたと5歳の彼女は、今も手をつないでいて。今からだって、いつだって気持ちを伝えることができる」

 人生の価値は、私達が思うように直線的な時間の流れで他人には決められないものなのかもしれない。もちろ、それは勝ち負けという尺度で決めるものでもない。自分自身の人生の価値は、自分の過去や現在や未来が混在した場としての時間の中で、色々と試行錯誤しながら、自分自身がずっと考えていくものなのかもしれない。少なくともその人の人生の価値は、他人が決められるものではないと思う。

 


 



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