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開かれすぎた窓

ポリティカルコレクトの時代である。私達は、多様性を如何に包摂し、異なる価値観の人間がそれぞれのその小さい窓越しからそれらの他者と共感し、その窓をきれいにしながら共存していけるかが試されてる時代でもある。

一方で、その反作用として少数の声が、いつのまにか大きな社会の窓として、歪な世論として、変容してしまい、多くの人間を排除することも多く起こっている。

私が寮の学生だった頃を思い出す。

それは当たり前の朝日が当たり前のように大地に注ぎ、身体をほのかに暖める心地よい朝であった。

私の寮では、朝に必ず全員が住み込みの寮の先生と一緒に散歩をする。その日もそんな当たり前な日のはずだった。

私はその寮の先生から朴訥に話しかけられた。

「ちんちんでてるよ。」

私は一瞬、その先生が何を言っているのかがわらなかったが、私の無意識の領域は気が付いていた。

シナプスの過剰な明滅。イマジナリーな領域の活性化。

私はいつのまにか自分のズボンのジッパーに手をかけていた。

社会の窓が開きすぎて自分の陰部が外部に露出していた。主観的な時の流れが止まるのとは別に時は無常に流れていく。

徐々に茫漠な精神が明晰に彩られる。何事もあったにも関わらず何事もないかのようにズボンのジッパーを閉める私…社会の心の窓も閉ざす私。

淡き儚い青春の思い出。

結果的にポリティカルコレクトの時代は、すごく大変だと思う。



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