確認男 交換日記編

 HRが終わったら、皆一斉に教室から出ていく。
 そんなに慌ててどこに行くんだと俺は、教室のドアの混雑が緩和されるまで、自席に座って、その様子を眺めている。他の人よりも余裕がある男を演じているわけではないが、そう思われても仕方がない。

 さっきまで教室に響いていた皆が発する声や、足音が全て廊下に流れ始めた。そろそろ行くかと、机の横にかけていたカバンに手を伸ばそうとしたら、スカートから伸びた白い脚が目に入った。

 脚が目に入った瞬間、身体をビクつかせてしまったが、俺は一呼吸ついて落ち着かせてから、顔をあげた。
 白い脚の主は蓮加だった。
 蓮加はクラスの中でも俺と喋る女子だ。というより、明るい蓮加が誰とでも話す。その上可愛いんだから、男子は喜んで蓮加と話す。
 でも、蓮加の兄貴がどうも妹大好きな奴らしく、同じクラスの敦彦が蓮加と一緒に帰ってる時に、急に釘バットを持った蓮加の兄貴に追いかけ回されたと聞いた。
 その様子を見て、蓮加は大爆笑してたというのだから、とんでもない兄妹だなと俺は密かに思っていた。

「おつかれ」と俺が声を掛けると、蓮加も「おつかれー」と返してきた。
 そして、「ねぇねぇ」と声をかけられた。

「ん?」
「交換日記しない? 2人だけで」
「えっ? えっ? 交換日記?」
 聞き慣れない単語に、俺は聞き返した。

 ”交換日記”は聞いたことはある。
 一つのノートに1日ごとに自分の日記を書いていくというものであることも知っている。言葉のままだ。
 しかし、実際にしたことはないし、してるところをみたこともない。そもそも日記を、このご時世書いている同級生はいないと思っていた。
 もし書いているとしても、スマホでの日記のアプリだとか、ブログだろう。
 俺の幼馴染のみなみは昔ブログを書くとか言って始めたが、たった2回で更新がここ2年ほど止まっている。やることの多い現代っ子に日記なんて文化は不向きになっているのかも知れない。

 それに、交換日記はただの日記でないことを知っている。よく話に聞いていたのは、女友達同士とか、先生と生徒同士の交換日記だ。親密な関係な人か、親密になろうとする人がするものだと思っている。
 でも、蓮加は俺と交換日記をしたいと言っている。交換日記の意味が分かっていても、蓮加の発言の意図が全くもって分からなかった。

「そう。だから――」
「だ、だ、誰? あぁ、あの、えっ、なっ、だ、だ、誰と?」
 予想もしていない展開に、俺は平常心を保てなくなった。
 ただ今日も1人、電車にボーッと乗って帰るだけだと思っていたら、クラスで可愛いと人気の蓮加から、急に交換日記をしようと言われてもみろ。大抵の男は、言語中枢がやられて、ろれつが回らなくなる。

「だーからぁ」
 蓮加は自分の言葉が全く伝わっていない俺に対しての苛立ちが、口調に現れていた。
「なんで、わかんないの?」
「いや、わっかんないよ」
「だって、君に声かけたんだよ?」
「えっ、俺?」
「うん」
「俺?」
「うん」
 俺が何度も確認すると、蓮加は当たり前だろと言うように真顔で頷いた。

 これはなんか変なドッキリなんじゃないかと、教室を見渡す。後ろの席に、蓮加と仲良しの秋元が眠そうにスマホをいじっているだけだった。
 変にニヤニヤしている輩は、教室の外にも見受けられない。
 これはドッキリじゃないと俺は判断した。そうなると、もっと蓮加の発言が俺に向けてのものとは思えなかった。

「俺と交換日記?」
「そうだよ」
 何度目の確認かをしても、蓮加は俺に微笑みかけてきた。その瞬間に、心臓が一気に収縮した気がした。蓮加に俺の心臓を掴まれたと錯覚する。

「えぇ? 待って」
 俺は胸を抑えて、俯き、蓮加を視界から消した。でないと、心拍数が上がり続けて、そこら中の毛細血管から血が吹き出してもおかしくはないと思ったから。照れているわけじゃない。蓮加に殺されれないようにする為の立派な正当防衛だ。

「それ、なんで?」
 一呼吸じゃ興奮は収まらず、三呼吸ほどしてから、蓮加の方に向き直した。
「したいの。したいから」
「え、待って」
 はにかんだまま、自分の欲求を露わにしている蓮加に俺は呼吸不全になりかけた。再び、蓮加を視界から消す。今の蓮加は俺にとって、メデューサよりも危険な存在になっている。石になることは流石にないが、死んで死後硬直で石のように固くなることは可能な気がした。

「それは、俺のなんか......日常の事細かく、なんか調べたいの
探偵とかそういうこと――」
 俺はロダン作の考える人のように、蓮加の発言を考えるふりをして、蓮加を見ないようにしたまま言った。
 そして、これ以上興奮しないように、蓮加が交換日記の相手に俺を選んだ理由を、俺に気がある以外に考えることにした。
 しかし、蓮加は俺のその行動を察してか、すぐさま、「違うよ」と否定してきた。

「え?」
「ちがうよ。蓮加のことを知ってほしい」
 俺の考えを否定されてるのに、心地よかった。蓮加の優しい口調もそうだし、俺が無理に考えた理由を否定されて、やっぱり蓮加は俺に気があるんじゃないのかと、良からぬ期待が生まれたから。

 いや、それになんだよ! 違うよの後の、”蓮加のことを知ってほしい”って! なんだよ、なんだよ。
 蓮加のことを知ってほしい......それってつまり、蓮加が俺のことを好きだから、自分のことを知ってほしいって意味として取れる。取れてしまう。

 やばい。このまま行くと心拍数が余裕で200超える。
 ダメだ、顔も真っ赤になって、汗だくになって、自分の動揺が目に見える。落ち着かないとダメだ。
 別の可能性を考えよう。
 蓮加は俺のことを極度のストーカー男だと思いこんでいて、それで、あえて、交換日記という古い媒体を用いて、俺のストーカー心を探ろうとしている。
 よし、そういうことにしよう。

「えぇ、いやいや、俺そういう趣味無いよ......別に人の生活を覗いてやろうとか」
「ちがうよ、生活を書くんじゃないの」
 ダメだ。またしても優しく否定されて、俺は頭を抱えた。
「別に交換日記の内容は、どうでもよくて、ただ交換日記をしたいってこと」

 これだけしたいと言っていた、交換日記の内容はどうでもいい??
 蓮加のことを知ってほしいって言っておきながら、内容はどうでもいいだと? それで、ただ交換日記をしたいだなんて、交換日記をしている関係を欲しているということか......。
 いや、待て待て、もしかすると、ここまで俺の勘違いで、”ただ”、ただ交換日記をしたいが為に、俺に交換日記の相手を申し込んでいる説が急に提唱されたぞ。

 危ない危ない。一歩間違えたら、「俺も蓮加が好きだ!」なんて叫んでいたかもしれない。でも、今の一言で目が冷めた、蓮加はただ交換日記をしたいだけなんだと。

「あっなるほどね」
 俺が理解を笑顔で示すと、蓮加もやっと伝わったのかと言うように表情を明るくさせた。
 しかし、俺が、「なんかノートに文字書くのが好きなんだ!」と言った瞬間に、蓮加は顔を歪めて「ちーがーうーよー」と勢いよく机に両手をついた。

 自己防衛のために自分自身を洗脳したせいで、余計に蓮加の言動の真意が分からなくなった。
「えぇっ!? じゃあわかんないよ俺。頭パニックだよ今」
「だからぁ――」
「蓮加ちゃん何いってんの、さっきから。どういうこと? 俺と?」
 もう困惑が俺を支配し始めて、興奮は冷めていた。自分の脳内に、蓮加の言葉と自分の考えがグルグルと回っているのが分かった。

「うんそう。だから……そのね」と蓮加は両手を机についたまま、俺の顔を覗き込んできた。20センチもない距離に蓮加の顔が来た。

「何をかけばいいの俺は? そして、君は何を書くの? それに。わからない!」
 蓮加が何かを言おうとしていたが、目の前に蓮加の顔があると、呼吸できなくなったから、ハリウッド俳優ばりに腕を大きく広げて、分からないとリアクションをするふりをして、蓮加から離れた。

「聞いて?」
 蓮加は至極冷静に、姿勢を変えずに俺を見ていた。
「ん?」
「あのね……だから……」
 そう言いかけると、蓮加は俺から視線を外して、黒板の方を一度見てから、もう一度俺の方を見た。
「普通の男の子……周りの男の子とは、別に2人でやりたいとは、思わないの」

 なら、俺は、”普通の男の子”じゃないということになる、それはアブノーマルという意味か、蓮加にとって特別な男の子の二択だ。
 俺は迷わず確認した。

「俺は?」
「やりたい」
「2人で?」
「うん」
 俺の確認に、蓮加は真っ直ぐな目で俺を見ながら食い気味に答えた。

「ん〜?」 
 しかし、その返答だけじゃ、俺と交換日記をしたい理由が、ヤバいやつだからか、好きだからか分からなかった。

「俺がアレか、読書感想文とかすごい上手だから、俺の文章が見てみたい。
そういうことでしょ? それならそうと言ってよ! ねぇ!」
 俺はあえて二択を一択にするべく、ヤバい奴風に蓮加に畳み掛けた。
 後ろにいた秋元が、「ちょっと!」とガヤを入れてきたのは予想外だった。
 実際に俺は先輩に脅されて、代わりにやらされた読書感想文で賞を取ったことがある。しかし、先輩の授業態度や成績から、その結果を怪しまれて、受賞を取り消すハメになり、先輩はゴーストライターを使ったことがバレて、俺はしばかれた。

「ちがうもん! だって......」
 蓮加は机から手を離し、棒立ちになって、頑固な子供のように否定した。さっきまでの優しさはなくなっている。
 ここで違うと言われたから、二択は一択になった。それはもう蓮加は俺が好きということが分かる。
 俺は、なぜかここで最初の興奮を求めていた。あの一歩間違えたら死ぬかもしれない興奮を。

「なによ? じゃあ、もう俺わかんないし! もう俺、帰らなきゃいけないから」
 ここで帰るふりをして、蓮加に告白をさせることにした。
 しかし、そんな俺の策略を邪魔するかのように、秋元が、「かえれ! かえれ、かえれ!」と言ってきた。

「なんだよ、秋元さん。ちょっと静かにしててよ」
「わからずや、かえっちゃえ.....」
「ちょっとわかんないよ」
 秋元を気にせず、催促するように蓮加に言った。

「だからぁ」
 蓮加は少し重苦しく口を開いた。
「さっきいったけどさぁ......」

 蓮加はさっきよりも明らかに話すスピードが落ちていた。明らかに動揺していた。
 それでも、俺は構わず蓮加に確認した。
「ん? どんなことを書くの? そこには何を書くの?」
 俺は立ち上がって、腕を広げた。
「今日始めました。何を書くの?」

「ちがうよ! 別に内容はどうでもいいの!」と蓮加は少し焦って否定した。さっきまでの優しさはない。明らかに蓮加に余裕がなくなっているのが手に取るようにわかった。
「あのね友達とは別にしたくないの」

「友達とはしたくない……?」
 俺は蓮加の言葉尻を繰り返して確認した。

「だから――」
「友達じゃないの? 僕は? 赤の他人ってことだよね? じゃあ」
 あえて一択だったところに、新しい選択技を用意して、蓮加に確認した。

 ここで蓮加はまたしても焦って否定してくると思ったが、蓮加は口を真一文字に結んでいた。
 そして、しばらくしてから、ゆっくり口から息を吸った。

「一番……好きなの……」
 蓮加の大きな黒目に濁りはなかった。
 しかし、大事な一文が抜けていた。誰が好きとは言っていない。ここまできて、それを言わさずに帰すわけにはいかない。心拍数は最初に興奮した時よりも上がっているが、意識はしっかりしている。

「えぇ? 今日の天気が? なにが? 好きなのって、言われても、なに、なにが?」
 俺は怒涛の確認をした。
 もっと心臓に負荷をかけたかった。自分が経験したことのない境地を求めていた。さっきまで自己防衛していた自分とは正反対だ。こんな短時間で、人格が変わることもあるんだなと知った。

「好きな人と交換日記をするっていうのが夢だったんだ……」
 蓮加はまたしても誰とは言わなかった。
 だから、俺は間髪入れずに、「だから誰ぇ? それは?」と目を見開いて、俯いている蓮加の顔を覗き込むようにして見た。

「だから交換日記しようって、今言ってるじゃん」
 蓮加は、少し目に涙を浮かべながら、声を小さくしながらも反抗した。

「だれぇ? だれとぉ?」
 今度は目だけでなく、口も大きく開けて確認した。
 すると、秋元が蓮加を俺から引き離した。

「蓮加、もうこんな人やめな」と言いながら、秋元は俺を睨んだ。蓮加は表情を変えずに足元を見ていた。

「誰ぇー? ねぇー誰とぉー」と俺はゾンビのように、蓮加に腕を伸ばしながら、確認し続けた。


 

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