ねっとり男 寿司と小説編

「えっすごい、えっ80貫なんのネタ食べたの」
 学年の委員会が終わって、自分たちの教室に戻る時に、同じクラスで、同じ体育委員の一実と2人きりになった。
 ふいに昨日テレビでやっていた大食い選手権の話題になり、俺の回転寿司のベスト記録を伝えると、一実は目を丸くして、口を開けて驚いた。

 80貫食べたことは、嘘ではないが、ちょっとしたトリックを使っている。
 80貫は一見多いように見えるが、実際に俺が食べた寿司の皿の数としては、40皿だ。寿司の一貫が、握り寿司2個を指すか、1個を指すか賛否両論あるが、俺は、寿司の一貫 = 握り寿司1個派なのでなんの問題もない。
 ビタミン1000mg配合とか言ってるが、単位を言い換えてしまえば、ビタミン1gだ。
 つまりは魅せ方が重要なのだ。

「いわし……」それだけを言って、俺は一実の目を見る。「食べるんだ」
 特に大した内容を言ってはいないが、俺は、まばたきをゆっくりにすると同時に、話すスピードもまばたきに合わせた。大股でゆっくりと歩くスピードも変えた。一実も小股ながらスピードを合わせてくれている。

 俺が他にもネタを言うもんだと思っていたのだろう、少し間が空いてから、「えっ、イワシ…っと? イワシだけ?」と少し困惑した表情を浮かべた一実が、焦り気味に尋ねてきた。俺が本当にイワシだけで80貫を食べたとでも思ったのだろうか。

「もちろん、イワシだけじゃないよ。中トロとか……」
 一字一句丁寧に伝える。
 ここであえて、中トロだけを選抜することで、たたでさえ寿司の中でも目立つ存在の中トロが、より輝いているような印象を与える。
 そう、光り物イワシよりも、中トロのテカッとした脂をイメージさせる。

「中トロ好きー、わたしも」
 俺がイワシだけを食べる変態でないことに安堵したのと同時に、中トロの旨味を想像したのか、一実は微笑んでから、唇をなめた。

「中トロ……」一度ここで言葉を切ってから、一瞬眉をピクッと上げて、「好きなんだ」とささやくように言った。

 中トロと、好きなんだを分けることで、「好きなんだ」という言葉に重みを持たせる。そうすることで、「好き」の意味が単に中トロを好きという意味ではなくなる。まるで、告白のシーンを彷彿させようとする魂胆だ。

「うん!」と一実は強く頷いた。
 ただその反応は、告白に対して、勢いよく返答する感じではなく、ただただ中トロ好きであることを認めたうなずきであることは、一実の顔色の変化がなかったことから分かった。
 どうやら、俺の「好き」に重みをつけて、意味深に言う作戦は通じなかったようだ。

「えっ、なんで80貫も食べたの?」イワシに惑わされていた一実は、改めて、俺が80貫も寿司を食べた事実に疑問を持った。まぁ無理もない。

「なんでって……、美味しいから……」
 俺は再び微笑みかけて答えた。
 今度は手を後ろで組んで、一実の一歩前で立ち止まり、振り返り気味に一実の目を見て答えた。

「えっ?」
 俺が立ち止まったことに、ふいをつかれたのか、聞き返してきた。

「美味しいから……」
 俺は微笑んだまま、驚いている一実の顔を覗き込むように、背中を丸める。

「美味しいから……?」
 一実は、自分を理解させるために俺の言葉尻を真似したように思えた。

 俺が目を合わしたまま一実を見つめていると、一実は一度目を大きくしてから、急に目線を足元に落とした。
 そして、どこか慌てた口調で、「えっそうなんだ。えっと、あのさ、小説は何書いてるの?」と、どこかで聞いたのであろう、俺が書いている小説のことについて話題を変えた。

「お寿司の話……」
 本当はお寿司の話なんてこれっぽっちも書いていないが、俺は話を変えさせまいと無理やり、軌道修正した。いくら一実の顔を覗いても、一実とは目が合わない。もはやコントのようだ。

「お寿司の話なの?」
 一実は小馬鹿にしたように、口角が上がった口元を手で隠した。

 まぁ無理もない。80貫寿司食うやつが、小説のネタにまでお寿司を使っていたら、どんだけこいつ寿司好きなんだよってなる。俺でもそう思う。

「うん」
 それでも、俺は、一生懸命、誠心誠意、純粋な目で、眉を少し上げながら、一実の顔を見つめ続けた。

「えっ、すごい」
 予想外の一実の返答に、俺の顔から余裕のある微笑みが消えた。情けなく、口をポカンと開けてしまったが、すぐに手を使って閉じて、甘い表情に軌道修正する。 

 そんな俺の努力には目もくれず、一実も、ノートを持った手を体の後ろで組んで、遠い目をして廊下の窓の外を眺め始めた。

「敦彦くんさ、スポーツもできてすごいよね! なんか、女子から憧れの的ってイメージがあったから、なんか私が話しかけていいのかなって思ってたけど……」
 一実は唇を少し噛んだ。
「今ちょっと話しただけで、すごい興味が湧いちゃった」と久しぶりに俺と目を合わせてから、「あなたのこともっと知りたいから、一緒に今日お寿司に行ってくれますか?」と一実は俺と同じように微笑んで、ゆっくりとまばたきをした。
 俺の粘着質な喋り方に洗脳されたように、一実は俺を寿司に誘ってきた。
 全ては作戦通り、慎吾から、「一実って敦彦のこと好きらしいぜ」という噂を聞いていてよかった。じゃないと、体育委員なんて立候補するわけがない。

 俺は一実の隣に並んで、窓の外を眺めた。学校の周りの住宅街が夕日に染められているように、俺の顔が夕日に照らされてから、「お寿司を……一緒に食べるの?」と目を細めて一実を見た。

「うん」
 一実は何かを決心したように小さいながらも強く頷いた。

「ふたりで?」
 俺は少し口元を尖らすように一実に問いかけた。
 まるで、「ふたりで」という言葉を一実に吹きかけるように口元を尖らして。

「2人で」と、一実はその言葉の重さを感じながら、しっかりと言った。

 俺は一実の耳元に口を寄せた。

 一実は一歩だけ後ろに下がったが、キスはされないということが分かったのか、それ以上俺を避けようとはしなかった。

 そして、俺は一実の耳に向かって、「大トロも……食べちゃおっか」と何気ない、大した意味もない言葉を、湿った吐息と共に吹きかけた。

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