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私の決意 ~最も尊敬する上司の教えに背くことを決めました~

かつて企業勤務をしていたころのこと。とっても厳しかった上司は、いつも私にこう言った。

「自分のものさしを持て」

自分の感情や、一緒に仕事をする相手によって判断がブレブレ。そんな出来の悪い部下に業を煮やし、「判断基準は常に一定にしておけ」という意味で言ってくれていたのだろう。今もこの教え、大事にしている。

ものさしを持つなら、なるべく目盛りがたくさんあった方がいい。その方が大きなものも測定できるので。その目盛りとは「本質」。ある一定の、絶対的に変わらない核となる部分。これらは歴史を知り、新たな技術も貪欲に習得し、業務上必要な知識を得ておくこと。そして「適切な質問」をたくさん繰り返すことによって、正しい取捨選択ができるようになる。

一方、ものさしの長さは「経験」。経験が多ければ多いほど、ものさし自体が長くなる。その経験則に基づいて測ることができることが多いというのも事実だ。

だけど、この変化の大きな時代。物事をこれまでの経験で測る、ということが難しくなってきたと感じる。なぜなら、経験したことがないコトやモノがあふれているから。しかも、新しく登場したものをうまくつかいこなす経験をしているのは、我々のようなおじさんおばさん世代よりもZ世代の方だ。

金属製の(=頭が固くなった) ものさし では、長さ(=経験&それに伴う思い込み)が邪魔をして
目の前で起こるいろんなヒト・モノ・コトが複雑に絡み合う事象に対して適切な判断ができなくなってしまう。

では、プラスチックだとどうだろうか。一見すると芯はある。しかし、プラスチックは不安定だ。まわりからのいろんな力が、様々な角度から強く押す。そうすると、その力に耐えることができず、最終的にはポキッと折れてしまう。そう、まるで心が折れてしまうように。

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かつての上司から受け継いだこの教え。ひとつだけ、私は懸念していることがある。

自分のものさしを持つことまでは良いけれど、それを誰かに差し出し、強く押しつけすぎることは、誰かの心を折ってしまうんじゃないかって。プラスチックのものさしを持っている人に、金属製のものさしをガンガンに押し付ける。それって、とんでもなく危険な武器になってしまう。

「いままでずっとこうしてきたのだから、それは変えられない。」

「ここのルールはこうなんだ。それに則ってやってもらわないと。」

「そんなことはムリだから、最初からやめておけ。」

果たしてそれって、正解なんだろうか。きっと、言っている人は自分の経験から良かれと思ってアドバイスをしているのだろうけれど、気づかぬうちに、誰かの心ややる気をポキッと折ってしまっているかもしれない。

人間、そんなに強くはない。
簡単に折れちゃうよね。
だから私は、ものさしを持つことをやめました。

ものさしは、カタチを変えることができません。だから、これまで持っていた硬いものさしは捨てます。

その代わり、新たにメジャーを持つことにしました。

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ものさしもメジャーも、目盛りは同じ。1mm は 1mm。10cm は 10cmです。そこはブレてはいけない。
知識や理論、本質は絶対的にブレない事実として、そこに存在してくれるものなのです。
そして、公平であり、校正です。

目盛りは変えない。でも、目の前にあるモノに対して自分を沿わせていきながら、カタチを柔軟に変化させていく。
そして大事なこと。あくまで、沿わせる程度。締め付けは委縮に繋がる。測っている相手が縮こまってしまっては、正しい測定ができなくなってしまう。

上にある、ハリのある金属製メジャーもいいけれど、できればこんな感じのメジャーをもちたいなと思っている(おなかをへっこませて測りやすい、融通のきくやつ(笑)) ↓

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公平公正で、頭も心も柔らかく。

「本質を見抜き、正しく変化する」って、こういうことなんじゃないかと。

ついでに、メジャー級と言ってもらえるくらいの人になれたらなおラッキー(はい、中年らしいおやじギャグ。我ながらしょうもない(笑))

そんなことを思う、夏の日の午後です。

M社長。会社を卒業してから11年。私、いまも社長のご指導をいつも頭に置いています。これまで出会ったすべての上司で、M社長以上に私をお育てくださった方はおいでになりません。(ものすごくSで、怖くて、たくさん泣かされましたけど…)
でも、もう ものさしは持ちません。メジャーに持ちかえます。そして、メジャーの長さをどんどん増やせるように努力します。
どんな大きさでも。どんな複雑なカタチでも、ブレない測定(判断)ができるように。


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