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社会を変えるのに本当に必要なこと ブレグマン の「ヒューマンカインド」をまとめながら

ドイツの心理学者フェリックス・ワーネケンの実験によると、人間は、生後わずか18ヵ月で、遊びの手を止めて、人を熱心に助けようとする。見知らぬ人に対しても同じようにふるまい、見返りは何も求めない。それは、世界中で同じ結果になる。実は、それに対してお礼をするとかえって助けなくなるのだ。本当はそれが自然状態の人間だ。幼児はまるで「歩くエゴ」というステレオタイプな見方は、実はまったく正しくない。
さらに、人間は、生来、不平等を嫌悪する。3歳の子供はすでにケーキを分けるし、6歳の子供は1人に大きな部分をやるよりそれを捨ててしまう。人間は、熱狂的に頻繁に分かち合う種だというのが真実だ。
そして、人間は危機の時により真価を発揮する。戦争に巻き込まれたり、大災害が起こったりした時、人は、平然と対応して、自らの利益など顧みることなく無条件に助け合う。騒乱は起こらず、むしろ犯罪は減り、自殺や精神疾患まで減る。仲間のために驚異的な勇敢さを示し、自己犠牲の精神をいかんなく発揮する。そして大規模な破壊があっても、ほとんど打ちひしがれることなく復興に勤しみ、生産力は飛躍的に高まる。こうした特徴はどこかの民族に固有のものではなく、ほとんどすべての人間がもつ普遍的なものだ。

一方で、ダッチャー・ケルトナーが行った「クッキーモンスター」と名付けられた有名な実験がある。3人のグループに対してランダムにリーダーを割り当て、そこにクッキーを4枚おいた皿が持ち込まれる。すると、エチケットとして残された4枚目のクッキーは、ほぼ例外なくリーダーが食べる。しかもリーダーは、食べ方がより汚くなる。また、およそ半分近い人は、高級車に乗ると途端に交通法規を守らなくなるという実験結果もでている。車が高級なほどマナーがより悪くなる。研究者たちは、それが「後天性社会病質」だと気づいた。権力は、他の人に対して無感覚になる麻酔薬のように機能する。2014年のアメリカの精神科医によるTMS(経頭蓋磁気刺激)を使った認知機能の実験では、権力の感覚が、共感に必要なミラーリングを混乱させることが発見された。誰かが笑うとあなたも笑うという行為を権力者はしなくなる。権力をもつ人は、平均的な人よりも衝動的で、自己中心的で、無謀で、傲慢で、失礼、他の人びとへの注意力が低く、他人の見方にあまり興味がない。より恥知らずで、人間に特有の赤面するという感覚がない。調査によると、CEOの4-8%が社会障害と診断できる。一般では1%に過ぎない。

この後天性社会病質は、紛れもなくマキャベリが描いた人間像だ。権力を得るためには、人は、恥知らずになり、原則や道徳に縛られてはならない。目的は手段を正当化する。このマキャベリの思想については、ほとんどの人は正しいと考えている。自然状態の人間とはこのようなもので、人間社会ではこんな人間の性質を熟知して自分の利益のためにうまく立ちまわることが「現実的」な対応だ。しかし、ケルトナーはこれが事実だと裏付ける科学がどこにもないことに気づいた。そして、人びとが初めて出会う寮やキャンプで、どのようにコミュニティが形成されるかを調査した。その結果わかったことは、マキャベリがいうように振る舞う人は、すぐにはじき出されることだった。その後も、研究を続けたケルトナーは、マキャベリがいう自然状態は、人間の世界では存在しないと結論づけた。マキャベリとよく似ているのは、チンパンジーの社会だけだった。
しかし、権力ピラミッドの社会では、マキャベリは確かにつよい。競争に打ち勝つ彼らの究極の兵器は、「恥知らず」であって、そう、恥知らずが生き残る。
そして、一度権力を握ると、ほとんどの人を怠惰で信用できないと思いがちになる。人は監視、検閲され、管理、規制させるべき対象となる。そして、何をやるべきかも指示しないといけない。権力をもつと、自分は優れた存在だと思うようになるので、管理は自分がやって当然なことになる。しかし、真実は逆だ。権力によって人は他の視点からものを見なくなり、より視野が狭くなる。

プラセボという現象は科学的に検証され広く知られるものだ。人は暗示にかかると実際にそうなってしまう。プラセボは、薬よりも注射がより効果があり、偽の手術のうち4分の3で効果が確認され、2分の1は実際の手術と変わらない効果になることが分かっている。暗示の力がどれほど強いかを表している。そして、逆の効果であるノセボについては大きくテストされていないが、プラセボと同じような効果があることは間違いない。また、人に期待を寄せて接すると相手は期待に応じてパフォーマンスを向上させることも判明していて、それをピグマリオン効果という。ちょうどその逆はゴーレム効果だ。人びとを愚かであるように扱うと、そう感じるようになるが、それは権力者にとって都合がいい。反撃される可能性がなくなり、検閲もいらない。そして、支配者のビジョンと洞察力が必要になる。心理学の研究では、権力をもたず、無力感を感じる人は自信もない。意見を述べるのをためらう。グループで自分自身を小さく見せて、自分の知性を過小評価する。

社会にゴーレム効果があらわれ、全体がノセボで覆われたら、どうなるだろう?

実は、それが今の社会だ。

さらに、ニュースの大洪水が、それに追い討ちをかける。事件報道が中心のニュースによって多くの人は、ジョージ・ガーブナーが「ミーンワールド症候群(mean world syndrome)」と名付けた症状に陥る。日々ニュースに接し続けると、人は、「誤って危険や不安を感じ、気分が低下し、無力感や、他人への蔑視と敵意をもち、そして不感症になる」。

狩猟採集の人間社会では、通常リーダーは存在しない。人間の歴史のほとんどの時間、意思決定はみんなで話し合いでなされた。リーダーが生まれるのは、非常時の一時的な措置だ。そして、リーダーに病的な振る舞いがあらわれるとすぐに排除された。マキャベリがいうように振る舞うリーダーは、すぐに自分の命を危険にさらした。しかし、文明の発達で変わった。

さまざまな研究から、人間の脳は150人を超えて意味のある関係を続ける能力がないことが分かっている。この数を超えた社会組織をつくったり、事業を行うためには、神話が必要だった。神、王、宗教、通貨から、資本主義まで、リーダー達は、物語りをつくって、人びとが信じるように説得を繰り返した。人びとは虚構を共有し、それによって文明ができたと歴史家のユヴァル・ノア・ハラリはいう。

しかし、もっとも大事な視点が抜け落ちている。リーダーが権力を維持したのは、神話、虚構のせいではない。軍という暴力組織を独占したからだ。マキャベリは、「すべての武装した預言者は勝利し、非武装の預言者は倒れた」と言っている。そして、心理学者が強調するのは、人間は、正当化ができれば、少しの不平等は認めるということだが、武力と虚構によって大きな不平等を認めざるをえなくなった。今のデモクラシーの社会では、もはや暴力の脅威はそれほど大きくないと考えがちだが、そうではない。通帳の印字のために人生の多くの時間を拘束されるのを認めるのは、マネーシステムの背後に強制力があるからだ。

エール大学の「ベビー・ラボ」の研究では、生後6ヶ月の子供が善悪を分ける道徳心をもっていることがわかった。しかし同時に、馴染みがないことに対する嫌悪感をもっていることも確認され、それがモラルの垣根を超えさせる。人間は生まれながらにとても親しみがある存在で、身近なものに強い愛情をもって何かに帰属したがる。一方で、知らないものに対する嫌悪感も根強い。

あるグループに難病の子供の話をする。そして、救命治療の待機リストに載せるが、客観的であるように求めると、誰もその子を有利な位置につけようとしない。ところが、その子がどんな気持ちかを想像させると、モラルに反して有利な位置につけたいと思うようになる。人間の共感力は、スポットライトのように光が当たった場所の感情を強く吸い込む一方で、それ以外の世界はすっかり消えてしまう。そして、共感と排外意識は表裏の関係になっている。
例えば、過激なテロを行った人たちを調べて分かるのは、狂信的な人は皆無に近く、本当に普通の人たちだということだ。普通の人が、最高の友人や恋人との深い共感の中で、リーダーの指示を受けて、もっとも恐ろしいことをする。文明とともに、人類の虐殺の歴史は始まったが、そのパターンはほとんど同じだ。

こうしたさまざまな研究が示すように、人間は本来善なる存在だが、一方で、ほとんどすべての国で、ほとんどの他人は信用できないとほとんどの人が思っている。そして、人間は生来的に利己的であるという教義は、西洋の規範であり、まさに神聖な伝統だ。トゥキディデス、アウグスティヌス、マキャベリ、ホッブズ、ルター、カルバン、バーク、ベンサム、ニーチェ、フロイト、アメリカの建国の父達、偉大な思想家たちは、口を揃えたように言ってきた。しかし、それが事実でないことは、もはや明らかだ。

人間は善だという価値観に基づけば、基本的に会社にマネージャーは要らなくなるし、職業政治家も要らなくなる。マスメディアで取り上げられることはほとんどないが、実際に世界ではそうした取り組みが行われて、大きな成果をあげだしている。自分で学ぶことを決めて、好きなことを学ぶ学校では、子どもたちがもつ本来の才能が開花するし、リーダーをおかず、ほとんどのことを現場担当者たちが話し合いで決める企業は、より業績が向上する。1989年、スラムが広がるブラジルの港町で市長が「市の予算の使い道を市民が決めよう」と言って当選、それを実現したら街が劇的に蘇った。今では世界で1500もの自治体が同じ取り組みをしている。100年以上前から市民が提案して投票で法律をつくれるスイスは、国際競争力世界1位、1人あたりのGDPも2位、もちろん長く戦争もしていない。既に台湾ではスイスとほとんど同じ制度が導入され、イタリア、フランス、韓国の有力な活動家たちも、このダイレクトデモクラシーの導入を目標とし、すでにイタリアでは与党がその改憲案を国会に出している。もちろん、ブレグマンは、ベーシックインカムの推進者として世界的に知られているが、善である人間がお金の呪縛から解放された時、どれほど素晴らしい世界になるかは、どうか想像してみてほしい。

そう、社会を変えるのに本当に必要なこと、より人間らしく生きられる社会に変えるために、必要なのは、人間は善だという事実をみんなが共有して、それに基づいた社会の仕組みについて話し合いを深めて、合意の輪を広げて実現することだ。それは信頼をベースとした楽しいプロセスに違いない。


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