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仙台戦:頑張れって言ってしまった

翌日になってあらためて、なんとも不思議な味わいの試合だったと思い起こしている。
テレビの前で冷静に見ていたら、秒殺3失点で呆れ果ててそこから追いついても最後までどこか冷めた気持ちで見ていたかもしれないなって思った。なのでテレビ観戦していた人達の手厳しい評価については異論はない。いや現地でも手厳しくて全然いいけど。

ただ個人的には、今年になって何度か現地で見ている中で、試合としてはひどく不細工な内容であるにも関わらず、一番心が動いた試合だった。そして声が出せず歌もうたえず、これまでと変わらない拍手と手拍子のみだったのに何故か「応援した気になった」試合でもあった。


昨日の試合は上限の制限が緩和されてから最初のホームだった。
緩和されたといっても5千人をすこし超えるくらいの入りだったので、動員としては渋い数だったと思う。
けれどドームに向かう途中で、「今年はじめてドームに来る」という会話が近くから聞こえたり、またドームに入ってからも「今こんなふうになってるんだ」という驚く声も聞こえた。

今も各自の事情で来場を控えているサポーターも少なくないだろう。
そんな中では動員の急速な復活は望めないのかもしれないけど、今年はじめて来た人達が「ああ生観戦はいいな」と思える試合だったらまずOKで、それには適うものだったとも思う。

そしてこの試合からチケット料金が通常のものに戻っていて、たぶんそのせいだと思うけど、家族連れが増えていたように見えた。前までのチケット代では家族連れ観戦は予算的に厳しいものがある人も少なくなかったと思う。実際そういう声も聞いていた。感染対策という手間はあるけど、そんな客層も少しづつ戻ってきたらいいなとも。

何よりチケット代が席種別に戻ったことで、これまで定位置にしていた場所にそれぞれが戻っていった感じがした。ゴール裏に人が集まっている絵面はそれだけでやっぱりいいものだなって思った。

3つ飛ばしだった席は1つ飛ばしになった。
そのことで周囲のお客さんの間からは明らかに会話が増えていた。
1mにも満たない距離が縮まったことで、これまでの3席飛ばしの「距離」が観戦者同士を物理的と心理的同時に孤立させていたかを気付かされた。
後ろに座った人達がこれまでの試合の話を淡々としているのを聞くのも、そういえば久しぶりだった。

それぞれ定位置に戻ったことと縮まった距離は、会場の空気も同時に変えたようにも感じた。これまでは誰かの声が聞こえる=大声を出している=大概聞きたくもないような言葉 だった。それが昨日は違った。


普通の会話の音量でも聞こえる声。
「今のはいいよね」「小次郎でけえ」「福森…」「小柏いいね」「いい流れ!」「は?何それ」「は???」「…ふざけんなよ…」「いい加減にしろよ~」という周囲のつぶやきが次々と耳に入ってくる。
試合の展開と内容によって見ている人達の言葉はどんどん変わる。追いついて、そして試合終盤になって足を攣る選手が増えてくる。

「金子無理だね」
「一人足りない…」
「でも交代終わっちゃってる」
「え、戻るの」
「ロペスも足つってる」
「菅ちゃんも苦しそう」
「がんばれがんばれ」
「攻めろまだ行ける」
「頑張れ」

自分も頑張れって言っちゃったよね。
川崎戦では声をかけられないことに本当に無力さを感じたのに、選手に届かないような小さな声の言葉でも、それが共通した思いであったら、会場の空気をホームのそれに変えていく力があるのじゃないかという小さな希望。もちろん試合展開にもよると思うけど。
ただ歌も大声もなくても、「勝ってほしい」という気持ちを表すこと伝えることが決して不可能ではないんだ、って思えたのは大きいかも。


距離感とか定位置とか、これまで考えたこともなかったことを考えさせられて新たな発見が増える。まったくとんでもないシーズンだけど無駄にしてなんかやるものか、という感情も生まれつつある。
試合ごとに考えることも感じることも変わっていく。前はそう思っていたけど今は違う、とかそういうこともたくさんあって、自分の気持ちの変化をここに書き残しているのも意地の一貫。転んでもただでは起きないよ。

試合の内容はこの日もただしく歪でいろいろ拙い。けれど難しいと言われているミシャのサッカーをトップリーグでの経験の浅い選手たちが(顔ぶれからいってほぼユニバですよ)日毎吸収していっているのも間違いないと思うし。途中交代で出場してきた深井さんが「ボーイズ試合はこうやって落ち着かせるもんだぜ」ってばかり立ち回ったキャプテン姿には個人的に相当に萌えたし。

いい試合とはとてもいえない。でも心は動いた。サッカーらしい試合を楽しんだ。でもあの失点まじでどうにかして。でも楽しかった。ああサッカーの一日だなあ。

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